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今朝、ふと思ったこと【豊里】


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今朝、初めて職場のみんなで、豊里ファームの開店前の準備に行きました。
ひと段落して、おいしそうな阿山のパンが並んでいる前で数人で会話した時のことです。

「おいしそうだね」

「来るたびにいい匂いがしてて食べたくなる」

「売れてなかったら、さっともらって食べたらいいやん、おいしいかどうか食べてみてよ」

「いいよ、買って食べるから」

「買って食べるっていう感覚、全然わからん!」

「でもこんなにきれいに包装してくれてるのに」

「売り上げに貢献しようって思っちゃう」

この会話をするまでは、私は豊里ファームできれいに並んで売ってるものについて、お金のやりとりをして、自分の手元にもらうということに、ほとんど違和感がなかったことに気がついた。
会話の中の“売り上げに貢献する”については、私も“感覚わからん”だけど。

いつの頃からか、生産物が必要なときは、お小遣いにしろ、別に提案してもらったお金にしろ、販売所へ行ってお金の受け渡しという“手続き”をとる、ということは豊里の村人で一致してやってきたこと。

そして、たとえば、豊里ファームにあんなにたくさん物が並んでいて、村人といえどもお金のやり取りなしで使えるとなったら、収拾つかなくなるんじゃないか、みたいなことも思ったりした。

でも、考えてみると、それって、世界中が、お金を通して世の中が回っているとしている観方と何も変わらないのでは???

世界でただひとつ、ヤマギシの村人で金の要らない村をつくろうとしてるのに。
“お金がないとあらゆることが成り立たない”と、世界中のほとんどの人がそう思ってやっているのと、変わらないんじゃない?

よ~~~く、考えてみたいと思った。

よく考える前に、「でも、○○する人がいたらどうするの?」
「○○になったら困るでしょ」「そんなことしたら絶対○○になるよ」と、

先走りしないで、わざわざ実顕地をつくってやろうとしているお互いで、なんでそこにお金が要ると思ってるのか、そのことをよく考えてみたいと思った。

【豊里実顕地 沖永雅子】