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ぎりぎりの所で新しい自分に出会う


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1月5日(日)は春日山実顕地西会場でお正月ヤマギシズム特別講習会と1週間研鑽学校の交流会がありました。
「特講ってなんだろう、、、?」
参加者の学生は日常の、場所も時間の流れかたも携帯からも放たれて、設定されたテーマに取り組む。はじめはなにがなんだかわからない。
テーマを考えているうちに、人っていろんな考え方あるんだ、とあらためて気づかされたり、偏見や決めつけを持ちやすい自分に気づいたり。係りの愛情を感じながらも、「折れられない自分」を発見したり、、、。もう、ぎりぎりのところで、自分に向き合うしかなくなってくる。その過程で元学園生などは親や村人が何をやろうとしているのかが少し覗えたりする。そして、学園でやってきたことが自然と身についてる自分を発見する。
どの人にもドラマがあってその山を超えると新しい自分に出会う。
まさに自分の中に温かいものが流れるのを感じる瞬間。
そんな時、村人との交流(村人訪問)で「楽しいの次があるよ」と言ってもらう。
「村は特講を受けた人ばっかりだけど、でも怒ったりもするよ」とも言う。
各人、ちがうけど、それでも私達に何かを伝えようとしているのを感じる。
とにかく、温かいものが流れている。それって、なんだろう、、、?
 それぞれの人を送り出した妻や親たち、会社の上司の言葉にまたまたドラマがあった。
一言で言ったら『感謝』でしょうか。モンゴルの特講から引き続き係りをした冨田恒平さんが是非、特講の係りをして、ドラマを創りましょう!と呼びかけていました。
今回特講を受けられていない日曜市の常連さんが来られていて「胸がいっぱいです。野菜もそうですが心で触れ合っているみなさんと関われてよかった、ありがとう」と言ってらしたのが印象的でした。最後に逢澤さんが今年は『実顕地ひとつ、心で人類の幸せを手繰り寄せましょう』と結びました。
1-2014-01-05 特講交流研

後半は1週間研鑽学校の交流会でした。久しぶりに開催の1週間研学です。
こちらは『零位に立つ』の実践報告から。交流会前・先に帰られた宇山さんのみなさんへの手紙はまさに「零位に立ってる自分」を発見した報告でした。どの方も「零位に立つ」実践が解りやすくって,帰ったらやってみる手がかりを掴まれたようでした。
とにかく「研鑽」がしたくって、今回参加したという、上門さん。開催に至るまでのいろんな話をきいて、次に繋げていきたいと言ってました。小野寺さんは「特講は『仮免』と言われてやってきた。今回、研学に参加して、まだまだ『本免』とは言えないけど、「使ってナンボやってナンボですから、、、。」と。奥様の未希さんもなかなか厳しく「無意識にやってることを止めて、意識してすごしたら、次が見えてくる」と激励。
こちらは「研鑽学校ってなんだろう、、?」「零位に立つって?」
小林幸子さんは「研学は命の洗濯、全てを洗い流して見直す、帰ったら仲間がいてその中で芋でも洗うように研ぎ澄ましながら皆でやっていきます」と。『車検』という話も。
「零位って、特講の怒り研で『なんで腹がたつんだろう、、、?』って考えるでしょう、それが零位、誰も本能的になれる」と言われるのは第一回特講受講の渡辺熊雄さん、続けて「本能的になれる?ホントかな~と思うでしょう、これも零位」、、、、、?
最後に係りをした、中山さんが「僕は3.11以降ウルウルなりやすくなってね、今は『みかん』見たらウルウル、、、そんなお互いになり合っていきたいです」と締めました。
この意味は研鑽学校3 に参加されると解ける?のです。
最後まで‘コマーシャル’だなーと係り相棒の園田さんのつぶやきでした。

【春日山実顕地 平島春美】