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実顕地一つからの出発【豊里】


豊里ファーム 2014-02-09 11-23-34

ひとつになることが一番今日の仕事

鎌田茂樹

「ヤマギシ」に出会い実顕地に参画して38年になります。
その間、一度もこの生き方をやめようと思ったことはありません。
ただ、時々に行き詰まり、これで本当にいいのだろうか?本当はどうなんだろう?と自問することの繰り返しだったようにも思います。
供給活動についても、15年前ごろ(供給量が下がり始めた時期)から、ある疑問を持つようになりました。
「供給を通して自分は何をやりたいのか?」という疑問に明確にこれ!と言えないのです。
もちろん、「全人幸福親愛社会づくり」は大きなテーマとしてありますが、その実践としてどうするのか?どうしたいのか?が明確でないのです。

折りしも、大阪三供給所の経営や設備、暮らしのテーマも早急に解決の糸口を見出す必要に迫られていました。(今も続いていますが)
正月の研鑽会が供給部だけでなく、全実顕地の参加で実現され、供給を皆で考えていく動きになったことと、豊里ファームができたこともあり、新しい動きが出てきたこの時期に、ヤマギシズムの原点に立ち還って考えてみたい、と急遽研鑽学校に参加させてもらいました。

この疑問は、研鑽学校でかなり晴れたと思います。
ヤマギシズムとは、もともと離れようのないお互いが、個の囲いを外すことで真実の世界に気づき、本当の生き方ができるという考え方であり、何とでも、誰とでもひとつになろうとする(仲良し)ことがその具現方式なんだと気付きました。

また、何をするにも零位に立つことが肝心で、まず零位に立って、「今、この瞬間」からの自分の思考、行動を決定することにします。
皆さん、一緒にやりましょう!

一つでやっていくには

高嶋洋平

実顕地一つからの出発、という研鑽を今年入ってから色々な場所や研鑽会でやってきた。
やってみて思うのは、「一つ」・「一体」ということは研鑽会では随分やってきているが、まだまだ頭の中の世界で「ああでもない、こうでもない」、とこねくり回している段階で、頭の中で考えてるだけでは最終的に元に戻ってしまい前には進まない。
研鑽した事を、実際に動いて実践してみて初めて次が描けたり、見えてくるんやろな。
実顕地づくりするなら、それでやりたいと自分は思う。
一体でやっていくときに、まずは思っている事考えている事を出し合う事かな。その時に相手の出方を伺って何も言えなくなるような自分では、一つにはなれないよな。大方の人が一致してるようなときに、異う考えが出てきたら先ず言おう、もしかしたらそこに本質的なことがあるかもしれない、こんな感じで自分の考えもみんなの事としてやれたらええよな。
やってみて間違ってればやめたらいい、せっかくやったからと形を維持する世界はしんどいしやりたくない。そう思う。
若い人は、感覚でヤマギシズムをやれている、みたいな声を耳にするけど、はたしてそうなのか?と思うことがある。自分らがやっていることも本当はどうか?で探っていかなければと思う。
今年一年、自分自身も実顕地一つ、一体というあたりで皆と研鑽してヤマギシズムを探って顕していきたい。

正月三日間の研鑽会に参加してみて

生原秀幸

久々に終わった後の何とも言えないすがすがしいというか、豊かな気持ちになったというか、こんな研鑽会もあったんだと感じ、ひと月経った今でも尾を引いている。
研鑽会自体も、その主旨が事前に伝えられて、こんな研鑽会はぜひやりたいという人達が大勢いたという要素は大きかったのではなかろうか。そんなベースの中で心に残ったのは、どんな意見が出ても決して対意識を感じるようなことがなかったことである。80人程の人数だけに、いろいろな角度から、いろんな意見が出て、言い張っている様な場面もないとは言えないけれど、そんなことはどうでもいいような、むしろ、違った意見を求めているよう・・・。人数が多いと出しっぱなしなりがちなことは何度か経験してきたが、今回は何が違うのだろう。こういう研鑽会になるにはどうすれば、と後々考えさせられた。
ある人はこれからのことを熱く語り、それは分かるがとても付いて行けないという意見も出て、それでもそれをやらないと・・・と。これからは誰でもやれるようにすることも必要なのでは、とも。
どうせんとあかんという物でもなく、本当にこれから何をしたいんだろう、に一生懸命向き合っていたように思う。言葉として、表現として、表情、声の大きさ等は、本当に様々だったけれど、同じ焦点に向き合っていた研鑽会だった。
供給所の人の意見は何かおかしいように思うという意見が出たとき、自分達はおかしいと思わないと最初から発言していた人もいたけれど、おかしいと言っていた人が研鑽会の中で次第におかしいと感じないように変わっていった場面を見て、研鑽会のすごさを感じた。
そんな三日間を終え、あの特講を受けた時のような、温かくほのぼのとした感じを味わったのは自分だけではなかったと思う。

何を大事にしていくかを研鑽しながら

村岡悦史

先日の三重地区産業研で、実顕地生産物というけど自分は実顕地副産物と言いたい、と出した人がいました。日々どこに重きを置いて何をやっているかと考えてみると、実顕地副産物とは言い得て妙です。
振り返ってみると、去年2月の養鶏法をキッカケに豊里ファームが始まって、常設店への移行・飲食コーナーの充実・肉屋さんのオープンと、いろんなことがありつつも密度濃く寄ってやっていくなかで、それぞれの職場や実顕地の枠を超えた見方や動きが普通になってきました。
今月に入って、野菜出荷場の配送センター内への移転も実現しました。作業上の合理化はオマケで、全国の実顕地と供給所にむけてのセンター機能を充実するためです。
次は阿山パン工場の豊里ファーム内への移転が控えていますが、何を大事にしていくかを研鑽しながら、面白いものにしていきたいです。

一緒に考えていきたい

大森雅樹

野菜出荷場を配送センターに移転というアイデアは一昨年から出ていたのですが、去年豊里ファームが始まり、人が豊里ファームに集まるようになったことで、出荷場移転も現実の話になりました。
2/4の昼から出荷場の社員さん達と、前の出荷場から出荷台や、使用している袋 パック 箱を配送センターに運び込み、2/5の朝から通常の出荷を開始しました。

とりあえず今までの業務が行えるようにというので、移転してきたのですが、これから豊里ファームでしてきたパック詰めなどを、出荷場で詰めたり、人や物が多く出入りすることになると思います。色々なことが起こると思うので、より良くなるように、一緒に考えていきたいです。

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【豊里実顕地 文化部】