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全国実顕地づくり研鑽会[経理・窓口]編


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4/24追記

諸悪の根源は経理だ! 実顕地生活をするためだったら、税金なんて払ったらいいじゃないか!
えっ!なんて言ったの? どういう意味? あまりにも無謀な発言じゃないの!
という「実顕地ひとつの研鑽会 経理・窓口編」を経て、今生活庶務メンバーと産業事務所メンバーとで「窓口」を“ひとつ”にというので研鑽が始まった。
こんな研鑽会はもちろん初めてで、「生活と法人がひとつになるなんて絶対ありえない」なんて意見も出たり、「まったく描けない、理解できない」、「これは・あれはどうするの」
などなど。
今までの経過で二つでやっている窓口だから・・・『実顕地ひとつ』は分かるけど、実際にひとつにしたらどうなるの、もう大変だよ。
仕事を含めた暮らしの中で、共に実顕地生活はどうなのかと探り営んでいこうとしているはずだったのに、税務署や他の公的機関などからの指摘をそのまま四角四面に受けとってあまりにも自分の頭のゆとりがなくなってしまっているのを感じた。

いろんな事柄をぬかりなくすすめるために、周りの人や自分自身をも縛っていく。
なにが起きても今そこにいる人たちと“どうしようかな”とその時その時考えていくしかないはずなのに、用意周到にとらわれていってしまう。

準備・計画や描きがダメと言っているのでなく、なんか心底のあたりで解放されているように思えて、これはなんか楽しくなる。
参画したころに地域の会員の人たちから昔の配送マンのことを聞いたことが多々ある。
時間に遅れても悪びれるところもないし、家にあがりこんでご飯は食べるわ昼寝はするわ、言えばきりがないけどとっても常識はずれ、でもなにか惹かれるのよと。
非常識をすすめたいわけではないが、もういちど何が一番大切なのか、なにが人とひとを豊かに結びつけていくのか、今回の研鑽会をきっかけに共に考えていきたいと思えました。
「窓口」はどんな展開を見せていくのか。

【豊里実顕地 成瀬行茂】

全国実顕地づくり研鑽会(経理・窓口編)が4/10~4/11ありました。
会場が3重の輪になる程の人の参加でした。
参加して、帰って松本さんに「どう?楽しかった?」と聞かれて
「なんか私の為にやってくれた研鑽会みたいで~。」
「どんでん反しを自分が自分でやっちゃたのかなと思う」
そう答えた。
今は茫然としてる。
いや~。
あまりにも、バッチグ−のタイミングの研鑽会で。
誰かが、どこかで見ててくれてたのかな~。
私にとって、救われた 研鑽会でした。
他の人はどうかしら?ね。
「要るものは要る、要らないものは要らない」と、こういうことやね。人を食った意味やなく、正確に。
生まれるという自然任せでないもので、「要らないものは作る必要ない」という考え方ね。
「必要なのもは必要。要らんものは必要ない」とする考え方よ。そこに自分が狙ってるのは、必要がなくなる
のに、それの究明がないために、いつまでも必要としてる無駄をなくしていこうとしているの。科学・究明して、
要らないとこへもっていこうとするのを、真の科学とか、研鑽とか言ってるわけやね。

キッチリやる、とかそれをはずすとか
レシートそこまで居るか?いらないか?
ホントに経営資料って居るの?
それぞれの立場での具体例が出ました。
私が思うに、レシートがどうの
資料がどうのっていう例がこうやって
方法論だけが
拡がっていくことの方が、どうなのか?
と考えさせられた。
ホントは、何やろうとしてるのか?

私のキッチリは、超めんどくさがり屋で、だから後後さらにめんどくさくなるから、なら今、やっておこー!って性分。これをどうなんのか?
だけど、字は優しく書きたいな~。
数字も後後分かりやすくしたいな~。
ってのは、変わらないな。
でも、どこかで世間に合わせて、ズレちゃったら、大変!っていう事が肩に
乗っかってた自分に気がついたね。
研鑽会に出てみて、これ!って答えは無いな。
これからどうしていこうか?
またその時その時に寄りたいなという感じですね。

【多摩実顕地 佐々木順子】

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今回参加して、今、二つの事について考えていきたいと思っています。
一つは、美里の製菓部(?)の方が、紅白もちを贈りたいと願い、費用等経営面からの葛藤の中で、やっぱり贈りたい心を大切にしたいと願い、
経営面との折合いもつけた、という話について、最初に何から始まるのか?という事。
湧きあがる心のフタを自分にも他にも、強いていないか?という事。(話の中でも出ていたが、お金を持っている人が強いと思われる面があるなら、経理担当の影響が大きいのではないかと)
二つめは、税務等の事で、「無所有資金を外に出さない」という考えがしっかりとあって、税金を「取られる」として、自他に壁を作っているという現実、研学等で、「一つ」という事を何度もやってきている。はっきりと、税金とも一つという立ち所に立たない限りは、見えない世界があるな、という事。
この二つの点について、こうだという事ではないか、どうしても良い物(事)は良いというところで生きていると思う。
「汲めば汲む程、沸いてくる親愛の情」の泉が枯れないうちにと思います。

【別海実顕地 佐藤裕子】