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初めての産業職場へかわって【春日山】


沢山のいろいろな人や物が新鮮に目(心)に入ってきました

春日山実顕地 矢内優子
蔬菜部でトマト出荷する矢内優子さん

蔬菜部でトマト出荷する矢内優子さん

4月1日から蔬菜部配置になりました。前日の3月31日迄、四六時中着けていた『幼年部のお母さん』と言うエプロンを脱いだ日から暫く、何だか裸で歩いているようで、気恥ずかしく、心もとない気分で戸惑いました。
15年間『学園のお母さん』と言うベールを覆って暮らしていたようで、そのエプロンを脱いだときから、沢山のいろいろな人や物が新鮮に目(心)に入ってきました!
また、蔬菜部になったと同時に宿舎が学園舎から陽光館になりました。参画してからほとんど学園舎に住んでいたので、何もかもが新鮮です。
毎日のお風呂や愛和館、陽光館での暮らし、一つ一つ全てが、すごい豊かになりました。
参画して22年、初めての生産職場蔬菜部での始めの一ヶ月は、私にとっては、天と地がひっくり返ったのではないかと思うほどの激動の日々でした。蔬菜部の人たちが話している言葉がさっぱり解らない。入ってこない。英語の国にでも来たような感覚でした。本当に何にも知らない、何にも出来ないゼロからの出発でした。それでも2ヶ月経った今、何とか蔬菜部の人たちに助けて貰いながら、ようやく、自分の足でヨチヨチと歩き始めたというところです。
職場でも暮らしでも毎日が新しく、そして広がっていて何だか面白いです。
今までも、同じ様に人がいて、同じ様に流れていた景色なんだろうけど、違って観えるし、聴こえてくる。今、素の私自身で、そのままでやらせてもらっているのかなと感じています。

念願叶って『男職場』になりました

春日山実顕地 平島春美

春日山養豚部 友田農場にて

春日山養豚部 友田農場にて


2月の終わり頃だったでしょうか、今期(昨年度)の幼年部が終わったら、『男の人が多い職場に行ってみたい』と提案しました。
参画して、25年になります。最初は美里実顕地の製菓部で女の人が主な職場でした。次は食生活で美里・豊里・一志・春日山と22年やらせてもらいました。ここはなんといっても女の園。次が学園畑で太陽の家を1年半、幼年部でお婆ちゃんを1年半、もうもう子供達のエネルギッシュな動きにはついていけない感じになりました。それに参画以来ズーっと女の人が主な職場でやってきて、かねてより一度男の人の多い職場でやってみたいな、と思っていました。これを機会に最後のチャンス(?)かなというのもありました。
もう、年齢も64才になって、多分生産職場に行けたとしても生活部分で美化とか洗濯とかやらせてもらえるかしら、、、と思っていました。
3月から4月にかけて1ヶ月間、別海実顕地に交流に行ってる間は『次の職場はまだ決まっていません』と言っていたのです。帰ってきて『養豚部です』と告げられました。
別海実顕地交流の後、娘のお産の手伝いで続けて1ヶ月いないのもあるので、他実顕地へというのもあるかな、、、?とも思っていましたから「そうか、春日山の養豚部で、さて、どこの農場になるかしら、、、」と思いつつ、また、1ヶ月が過ぎていきました。
帰ってきたら、『友田養豚部』ですって。「へ~、あそこは生活に久美ちゃんいるし、、、」
友田農場に通って今日でちょうど実質一週間が過ぎました。今は真由美ちゃんについて、しっかり、飼育メンバー(?)として見習い中です。チビな私には一日に何回もの柵越えはなかなかハードルが高いですが、今は後ろ足を柵にひっかけないように、手を添えて越えています。慣れたら股関節にとってもいいのではないかしら、、、と楽しみにしています。今はまだまだ、慣れるのに必死で、あちこち、使っていなかった所が、ミシミシいってる感じですが、、、。この年齢であたらしいことが始められるなんてなかなか、いいものです。

今は後ろ足を柵にひっかけないように・・・

今は後ろ足を柵にひっかけないように・・・


しかも今は「次なにやりますか?」と聞いてやる立場になり、新鮮で心地いい。
春日山に来たばかりの頃、真由美ちゃんと食生活で一緒でした。年齢的にも経験からも彼女が私に聞いてくれる立場でした。今、逆転して、真由美ちゃんにいたわられながら、
「春美さん休憩してください、無理しないで、やってください」なんて声かけて貰っています。
友田農場はちょっとした、山と田んぼに囲まれていて、通う道すがらもなかなか、いいものです。目に入ってくる景色も草花も楽しんで、やらせてもらっています。
本命の「男職場の醍醐味」はまだまだ味わう所までいきませんが、、、。

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