第30回
実顕地養鶏法研鑽会
11/25 豊里へ
四日市の有名な温泉で身体を清め、じゃなくPEDの関係上、温泉で服を着替えて豊里に帰ってきました。
雄物川・那須に続き今晩から豊里で一緒に実顕地つくりをやっていきます。みんな元気で返事がいいですね。
豊里実顕地 喜田栄子
11/25 養鶏法を受け入れて
養鶏法メンバーを受け入れて印象に残るのは、交流研でも話題の生活館中庭の紅葉の伐採です。
紅葉の庭木が時間をかけ大きく育ち枝を伸ばし、南側1階の客間を日陰にし、落ち葉やムカデを集めていました。
日常の生活では、やれずに先延ばしになっていましたが、養鶏法メンバーの実行研鑽作業に提案しました。
研鑽の結果。5本在った内3本を伐採し、2本は枝を落とし残すことになりました。 伐採した幹や枝は、無駄なく、
愛和館に在る薪ストーブの、焚き木として全て生かします。今日も暗くなり灯篭に明かりが灯り、生活館中庭に面した回廊を照らしています。
明日26日からの、豊里実顕地での養鶏法研鑽会を、思いっきり仲良しで進めてください。豊里での交流研楽しみにしています。
那須実顕地 矢頭英二
11/25 今朝那須から元気に出発!
昨夜、雄物川~那須の交流研が行われました。岡部、榛名、多摩からもたくさん来て、約70人になりました。
今回の養鶏法は、雄物川メンバー6人のうち5人参加、また夫婦参加も3組。
参加者の中から「自分も夫婦で参加出来たら良かった。」との声も。、、、
那須では、かねてから中庭の紅葉の木のことがテーマになっていましたが、今回の養鶏法と那須のメンバーとで写真のようになりました。新しい庭造りへと続いていく今の形です。
何と、灯篭があったなんて知らなかった!!!??
夜は灯りが灯りました。
今朝、みんなでお弁当を作って、小雨の中豊里に出発しました。まずは、出発のお知らせです。
那須実顕地 村上 美津江
11/21
今日、11月21日の夕方 実顕地養鶏法研鑽会のメンバーが 栃木県の那須実顕地に到着しました。
雄物川実顕地からバスでの、移動、お疲れ様でした。 温泉に入りその後 愛和館での夕食です。
さあ! 今日から、那須実顕地での研鑽会が始まります! 雄物川での仲良しの輪をもっと大きく広げて
ください。 24日、夜の交流研が楽しみになってきました。
事柄に魂を込めて、ことがら、というかたちにあらわしてこその実顕地だと思います。
なんとでもなるようないいかげんなものづくりはしたくないと思います。
「その場を空ければ、そこを埋める次の手が」
という文章が職場に貼ってありました。
せっかく生まれってきて、一度限りかもしれない人生。
生物学的に言っても、全く同じ人間などありえない。
その人ならではの、そのひとでしかできない何かを見出す努力をしていきたいものだと思います。
あいつが抜けたら、いったいどうなってしまうんだろう。
まずはそこから、そこまで、やりきって、究めていきたいものだと思います。
「その場」には何が当てはまるのでしょうか?
親として?、子として? 職場? 友人? ボランティアの社会活動?
「無理と思うところを、やる、という、雨天決行型」
というのもありました。
走ってやまない大企業のイベントチラシなどによく書いてありますね
「雨天決行」
晴耕雨読という、天地自然豊かなこの国で昔から言い伝えられてきた言葉があります。
その真意を、もっと研鑽したいものだと思います。
天地自然の大循環に沿った暮らしぶり、テンポ、人間らしい暮らしっていったいなんだろうかと研鑽したら面白そうですね。
あの、職場の壁に貼ってある文は、どなたが案を考えられているのでしょか?教えてもらえませんか?一度、お話ししてみたいです。
>その人ならではの、そのひとでしかできない何かを見出す
この一節が ずっと心に残って響いています。
自分の身近な あの人ならではの、って…?
この人にしかできない何か、とは…?
自分には、そういうの、あるのかしら……?
なんだか自分の心の中で、
一人ひとりが、かけがえのない大切な存在として浮かび上がってきました。
何ができるとか、何ができないとか、こういう特技があるとか、
こういう動きをしようとか、
ヤマギシの人は、そういう方向でついつい考えてしまう傾向があります。
テーマも、毎度、そういう方向づけで、研鑽されてきたのかもしれませんね。
雨天決行?
動?
やらねばならぬ?
やればやるほど?
やりたくなる?
やってみてどうか?
仕事研?
足し合う? 出し合う? 重なり合う?
そういうことが、大事な時もあろうが、が、が、、、、、
たとえば、こどもにとって、お母さんは、家にかえったら、いるだけで、
ほっとした、安心した、そんな存在だったと思います。
何をするわけでもない、特技があるわけでもない。病気で寝たきりのお母さんも
いた。でも、こどもにとっては、そんなことは、関係ないわけで。
友人は?兄弟は?
年老いて、「なにもできなくなった」親はどうですか?
この村は、何のためにあるのでしょうね?
研鑽したいです。
「その場を空ければ、そこを埋める次の手が」
という壁の文を読んで、改めて、思う。
じっけんちの運動を長く、長く、重ねて来て、
今、この時期に、この文章を、引っぱり出してくる、
そして、そこに乗ろうとする係、参画者、関係者の
底の浅さ、軽さ。
雄物川の人達も、那須の人達も、東北にいた頃から見知った顔ばかりで、賑やかな様子が嬉しいです。
那須の中庭に灯篭があったんですねー。何度も通ったけど、知らなかった。
「事柄は何とでもなる、どうなってもOKやな」
事柄は何とでもなる。さて、何とでもならないのは何だ?と今夕の豊里実行研は始まりました。
建設で水質検査をしている人を海外の実顕地交流に、と聞いた時。え~と、検査は外注出来るし、ファームの焼き鳥は何とかなるだろうし~。イイんじゃない、送り出せる、と考えた。私がそう出したら、「事柄は何とでもなるけど、どうなってもOKって感じ?何か○○保険があるから大丈夫みたいな~」ハア、確かに。
どうなってもOKって心境ではないな、足元固めてからだったと気が付いた。
ら、初めて、交流のひとに来てほしいと言ってる事も、送り出そうとする夫妻にはどうだろうか、とかも思えてきた。