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「ふたたびのゆりかご」著者 多賀洋子様来訪


4年前に「ふたたびのゆりかご◇アルツハイマー型認知症の夫と笑い合う日々◇」を読んだ泉きぬさんが作者に10枚にも及ぶ手紙を書き、その本は介護で悩んでいた友人に贈ったそうです。
その本の著者多賀洋子さんがその時の手紙を持って、先日きぬさんを訪ねてきました。
訪問を受けてみてをきぬさんに書いて貰いました。

豊里実顕地 喜田栄子

泉きぬ(大正12年5月1日生まれ)

すっかり耄碌してその本を読むに至った経緯(いきさつ)もタイトルも忘却の彼方なのだが、手にした日のことは覚えている。それは白内障手術で入院した晩春の朝だった。
作者の多賀洋子さんに読後の感想を綴って送ったのだが(それも忘れていた)、四年経って逢いに来てくれた。
多賀洋子さんは認知症のお連れ合いの介護についての本を編まれたのだ。
洋子さんは彼が健康だった頃は穏やかで優しい紳士だったのに、発症後は狂暴化し背筋の寒くなるような場面も展開された由。
病気は身体が痛むだけでなく、心をも苛むことをこの本を通して訴えられている。
洋子さんはその後二冊認知症介護について上梓された由。拝読を楽しみにしている。
洋子さんとは訪ねて下さる3月10まで相見えることなく、一方的に読後感などを書き送っていたが、その手紙を持ってケアマネージャーの鈴木さんと一緒に来られた。落ち着いた思慮深い方と思っていたが、お逢いして一層その感が深まった。
耳の遠い私には淑やかな多賀さんの声が聴き取れず勝手に筆談でとお願いして、快く受けて頂いたがその文字はこれ見よがしな行・草書でなくきちんとした楷書で、読みやすく美しい紙面であった。思い遣りといふのはこういふ場合にも当て嵌まるだろう。
お茶に「和」の間に請じた時、吾が高瀬シェフは真っ白な大きなプレートに、苺とクリームで目の覚めるような景を表現して下さって、見た瞬間一同ウォーッと喚声をあげた。新鮮な苺のお味といい、何よりのおもてなしであった。

【多賀洋子さん】
「ふたたびのゆりかご◇認知症の夫と笑い合う日々◇」の中で多賀さんは、夫の退職と同時に、念願の田舎暮らしに
京都から津市に引っ越しされたが、その頃夫に異変がおき、惑い、悩みながら、変化を受け入れていく日々をそのままに書かれ、
介護施設のスタッフと共に認知症に向きあい、今を幸せに笑って暮らしていると著している。
きぬさんの手紙には自分の人生を切々と書きながら、ヤマギシに参画した直後、夫を亡くしたが、
今は娘夫婦と大勢の仲間と幸せに暮らしていると結ばれていた。
洋子さんはきぬさんに会ってみたい、ヤマギシに行ってみたいと思っていたが、ご主人の通っていた憩いの汀のケアマネージャーを通して今回の訪問が実現した。
著書は他に「認知症介護に行き詰まる前に読む本◇愛情を込めたウソ◇で介護は楽なる」「認知症介護が楽なる本」がある。