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関西集中研 6/20~21


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春日山実顕地で開催しました。「きく」と「われ、ひとと共に繁栄せん」をテーマに研鑽生活。”愛の作用”という言葉を思いうかべてしまいそうな心に染み入る一泊二日でした。 

加賀実顕地 新村正人

参加した人の感想より

誰かが発する言葉に、しばしの沈黙。自分の中に入ってきた言葉で自分の心が動く感触を感じ、そのことについて思うことが浮かび、発したくなる。たぶん、日常の会話でもこうやって会話はキャッチボールのように人々の間を行き交っているのでしょうが、気になることが、事柄をすすめることや、自分が思ったことや判断したことにとらわれていると、その心地よさを忘れてしまいがちです。私の目の前にいるその人との出会いをその人と関わるすべてのものの存在を感じながら、暮らしていきたいです。池には睡蓮が咲き、栗の花や梨やぶどうの赤ちゃんが秋にむけて育ち始めていました。本当は毎日は宇宙すべてと会話しているのかも。

一泊二日で「”きく”をテーマでやってください」と言われる度に、「ああ。そうだ」と立ち止まり意識しないと聞いていない自分に気がつきました。
でも、「きこう」を意識したら「きける」自分もいました。
こんな意識の抜ける自分ですが、「あ~」とか「う~ん」と声を出したら、誰かが気づいたり、気にかけてくれる中にいたんだなということは発見でした。
「われ、ひととともに繁栄せん」は自分を無理に曲げて人に合わせるっていうイメージで大嫌いな言葉でしたが、本当はいつも自然にやっているかも?って思いました。

一泊二日過ごして、「イライラ」を置いておけそうだなと思った。
「きく」目的を考えたとき、自分と自分の皮一枚へだった外側すべてをつなぐためと思えたら、豊かな世界へつながっている自分なんだなあと感じた。
集中研での暮らしの中で、人の中でゆっくりじっくり味わせてもらえて、穏やかな気持ちで自分を振り返ると、「ききたい」と思う自分が確認できたように思う。

今まで「きく」ということを考えたことなどありませんでしたが、意見を出し合う中で、自分から「自分を外とつなぐため」という言葉が出てきた時には、自分で言ったことなのに「なるほど」と思う自分もいました。
他の人の話を聞いて、生きるために「きく」ということがあるのも新たな発見でした。
チラシに書いてあった「温かく素敵なもの」は、研鑽した仲間たちの気遣いの中に発見でき、それは日常の中にいつもあったことなのに気づいてなかっただけなのも、今になってわかりました。

今回「きく」はどういうことなのかなとみんなで考えて、外界との接触店、外界のものが入ってくることかなと思ったことが新しい感覚でした。
そうなると「きく」の実践の中で、一言一言が大切に感じられて、その一言をきいて、自分の中からでてくるものがあって行動する、その連続、そんなみんなとの暮らしが心地よかったです。