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実顕地一つの運営(1)-2


実顕地一つの運営(1)-2

意見考え方が違っても一つの運営

有精卵の育成場として船南実顕地スタート

最新の養鶏法 一体養鶏ゆかりの六川実顕地で

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「実顕地一つの運営」と年間テーマを新たに、1月は全国実顕地づくり研「産業・流通編」や「一つの運営編」に各地から一堂に会し、新しい年がスタートしました。
「一つの運営編」では次のような話が心に残っています。ちょうど村ネットでも紹介されていましたので引用してみます。

「たとえば豊里のように大所帯だと、みんなが一致して進めるというのはほぼ不可能で実際には各所で考える人が寄って考えて進めているようです。沢山集まれば集まるほど違う意見が出てくるのは当たり前で、意見が一致しない、違っても一つの運営というのはどういうことだろう?」

ホント、意見考え方が違っても、一つの運営ってどんなことなんだろう?
確かに形の上の一致を探る前に、心が通じ合っているかどうかがポイントにはなるのですが……。
このテーマは、日頃の実顕地での暮らしや何やる場合にも共通するようです。この間の動きを軽くふり返ってみると、心の通じ合い云々以前に、実際のさまざまな動きのなかで通じ合ってきたようにも感じます。なるほどなぁ、愉快なことだなぁと驚かされます。

先月、全国の養鶏部連絡研の中で、供給所からファームへの流れによる養鶏部の今後がテーマとなりました。「実顕地一つの運営」という観点から船南実顕地を有精卵の育成専門農場としてスタートできないか、という話が持ち上がり、1月24日、本庁産業部と各地の養鶏部の人達が、船南実顕地に集まり、船南実顕地の全員と研鑽会を持ちました。
始めにこの間の説明をすると、船南のメンバーから「有精卵が船南からなくなるということは考えられない」「船南は有精卵があって地元と繋がりが出来ている。地元の人の有精卵の信頼は篤い」「業者が豊かな緑ときれいな水の船南の有精卵を求めている。他の実顕地の卵はいらないといっている」「成鶏がいなくなって、育成だけになったら、仕事の段取りや、借地の使い方、育成器具の準備など大変なこと」など、さまざまな困る話が次々と出されました。
後半、「養鶏部としては、育成専門農場を作りたかったこと」「榛名で育成をやらなくなると、成鶏がそこで飼えるようになること」「船南実顕地に交流に来る人が増えて、実顕地同士の繋がりが密になってくること」「船南実顕地で育った鶏が、津木・内部川・榛名に行くこと」など、「実顕地一つの運営」を形にできる話も出される中、色々あるかもしれないけれど、とにかくやってみようということになりました。
4月5日には、津木と榛名に送る鶏の入雛、育雛が始まります。早くも「子ども達を連れて船南へ入雛に行きたい」「職場から送り出しあって鶏移動へ行きたい」という声も聞こえてきます。どのような運営を展開していけるのか楽しみです。

2月の養鶏法研鑽会は、六川実顕地で2週間開催されることが決まり、今月の本庁研や全国実顕地づくり研も六川実顕地で開かれることになりました。
六川実顕地は、百万羽構想が発表され春日山ができる前の昭和32年に、初めて一体養鶏として始まったという記録があります。そこには、鶏を飼うことが目的ではなく手段であること、「楽しく暮らそう」「仲良くやろう」を合言葉として、何か深い理論があったわけではなく、一体作業の方法があったわけでもない、ただ特講を受けた<気持ち>だけを実行したという感じ、と記されています。
ここ2~3年で、みかん摘果や収穫などの適期作業交流や子ども合宿などで、六川へ送り出し合いながら関わる機会が増えてきました。遠くはなれているみかん山が、自分のみかん山になりつつある人も増えてきたのではないでしょうか。
ある研鑽会で六川の人から「たくさんの人を送り出して貰ってやってきたが、実顕地へはみかんをほとんど贈らず、どんどん市場へ出荷していたがどうだったんだろう」と出されました。一つの実動を通して、何でも意見しあえるお互いになりあいながら、共に一つの運営といえるものを見出していきたいものです。
昨年の養鶏法研鑽会は美里実顕地から始まり、韓国実顕地、岡部実顕地を会場に、それぞれの実顕地にとっても大きな節目となり、そこから始まった新しい動きが日々伝わってきます。
今回の養鶏法や一連の研鑽機会を通して、何が生まれ深まっていくのか、昨年オープンした堺ファームや、先の船南との繋がりはもちろん、新しい広がりが楽しみです。

実顕地研鑽部