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実顕地づくり研鑽会~生活編~


今回の全国実顕地づくり研は「生活編」ということでの1泊2日でした。
先月の実顕地づくり研や、その後の村ネットで話題になった、エプロン・ヤッケのポケットを閉じた例や、食生活の海苔についてのその後や、そんな例を聞いてのそれぞれの実顕地での反応などを出し合うところから始まりました。
「以前美里へ行った時エプロンのポケット無くて不便だった、と帰って言っていたら、一志のヤッケも同じだったと今回初めて知った」と一志の人。
「経緯があって、こうしようとの研鑽の一致点でやっている。ここから何を考えていくのか?」と美里の人。
「名古屋ファームのエプロンの口まで縫われないように、一生懸命ポケットに残って無いか確認している」と内部川の人。
「ポケットを確認しながら出していたら、衣生活でも見れるよ、と声かけてもらった」と同じく名古屋ファームに関わっている人。
ようやくほっこりした気持ちになってきました。衣生活と食生活、衣生活とファーム、同じ衣生活ですがそこの間にあるものの違いは何だろう?という意見も出されました。

また日頃の暮らしから出し合う中で、洗濯の出し方、ネームテープにまつわる話が尽きませんでした。
たたむときには、大きい字で決まったところにテープが付いていれば確実でスムーズです。以前は全国実顕地で付け方も統一されていたようです。
今は付け方も字の大きさもバラバラ、その人次第です。名前なしもあります。衣生活の人から「ネームテープのことが一番(占める)、ネームテープに喜怒哀楽が付いてくる」との声も。豊里へ移動すると名前から番号のテープへの付け替えで一騒動との例も出されました。
「ファスナーを閉めて洗濯に出してください、とお知らせすると1ヶ月くらいは続くがだんだん開けっ放しが増えて衣生活で閉めて洗濯している、この先何があるのか?」「連絡研や仲良し研で出し方など声かけ合ってみては?」「そんな実顕地に私は行きたくない」と続きました。
やりとりをしないで済むようにポケットを閉じ、耳を閉じるのはさみしいけれど、研鑽会でそのことをたびたび話題にするのもどんなところからなのか・・・。
こんな話ってずっとずっとずっとずっとしてきたよね、とも。
男の人からは、こんな赤裸々な生活の話は初めて聞いた。公人の丘へ向かっている自分たちが、本当に幸せといえる社会を実現していくには方法面や仕組みでは解決できない何かがあるのではないのか。洗濯する時全てのファスナーがきっちり閉まっている実顕地と、開けっ放しのものがあってもみんなが楽しく暮らしている実顕地、どっちの実顕地を描いていくのか、と。

手元へ衣類を返したい。から、返すのが仕事、返さねば。となっていったり、愛和館の例では、最後の人まで食べて貰いたい、から最後まであるのがよい。になっていないか?専念すればするほど知らず知らずのうちに自分自身を縛っていないだろか、相手を縛ろうとしていないか?いつの間にか作る人・食べる人、洗濯を出す人・洗う人と分けて観ていないか?そんなことも考えました。
各職場のことは各職場だけで本当は決められない、衣生活のネームテープのこと
も、海苔の話もこのテーマに繋がっていきそうです。

・洗濯いつも裏返しで出してーと思っていたけれど、これでも洗えるんだ!って思った。
・1ヶ月かけて、名前なし衣類があってもいいんだ、となれた。
・うす味が良いって思ってたけど、ふりかけを喜ぶ老蘇さんをみてそれもいいなと思った。元気で長生きが良いって思ってたけどそれもどうなのかな?
そんな暮らしの中のふとした場面で味わった解放感を聞きながら物事の善し悪しでなく、そんな自由な私からみていくことが幸せな社会へと繋がっていくのでは、と手がかりが垣間見えた気がしました。

私自身も、こんな職場の状況の時に研鑽会に来る?と最初は思っていたけれど、岩のりと塩辛を出して行こう、と声かけて貰ってやってみてこんなふうにもできるんだという味わいです。
ずっとずっと何十年と続いてきたテーマで、まだこんなことやってるのか。ともいえるけれど、こうして寄って出し合って、笑って考え合って幸せになり合っていけるのも村ならではの醍醐味かな?
この続きを各実顕地でやってみて、また持ち寄って一緒に考えていくのが楽しみです。

春日山実顕地 奥田なな瀬

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