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村を訪ねて〜島本公子さん来訪記NO2〜


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供給所からファームへ

 5月の末に豊里の「ファーム」を訪ねた。新鮮な野菜が、並ぶ棚にはほうれん草、キャベツ、赤玉ねぎ、ベビーリーフ、トマト等々。葉っぱの間には「時々虫が、、」という生産者のKさんの言葉通り、ニョッキリと大きな虫が顔を出す。
 「ファーム」を訪れるのは昨年の5月に続いて2回目。最初「ファーム」と聞いた時には、牧場風の牧歌的な場所に牛乳やソフトクリームでも食べられるコーナーがあって、野菜も販売しているのかと思った。しかし、そこは、伊勢神宮に通じる幹線道路添いの正に巨大スーパーマーケットの風情。聞けば元はパチンコ屋さん。内装だけ変えて開店したという。背景には供給所から活用者に届ける従来の供給体制が立ち行かなくなってきたこと、消費者のライフスタイルが変わり、80年代盛んだった共同購入が無理になってきたことがあるという。更にネット社会への移行が購買行動に大きな変化をもたらした。私自身も70年代~80年代は共同購入のお世話係りをしてきたが、今は、個別にさまざまなルートから好きなものを好きな時に好きなだけ買うスタイルに変わってきている。
 それにしても最盛期は全国に60何ヵ所かあったという供給所を縮小して店舗で販売するという発想の転換。この大胆な転換はなぜ可能に?「それには若い人達の力が大きい」とKさんは言う。若い人達は「先ずやってみようと我々世代より軽く発想する。我々は重いんですよ」。供給に携わる人達の志は活用者には、時に重かったのではと。そう言えば、私達に暖かく伝わったことも多かったが、「幸福株」の拡大を熱心に勧められ困惑したこともあったことを思い出す。
 若い人達の発想は色々な面で軽やかだったという。建物を購入したのは数年も前で更地にして何かに利用出来ればと思われていたらしいが、建て直しや大幅な増改築案にも若い人達は「此のままで使えるじゃん」という意見が多く、結果、煙草臭かった館内を大掃除、開店に至った。
 Kさん達古くからの メンバーは若い人達の意見を活かすことにリスクは感じなかったのだろうか?「私達は山岸が潰れたら潰れたでいいと。又やり直せばいいんだから」。日本の大学や政界での後進潰しの話はよく聞く。若い人達の意見を先入観なく聞く耳を持つことに敬服した。ゆるやかな世代交代が自然に進行している。そして大方の懸念を吹き飛ばすように「ファーム」は大当たり。2回目の今年の訪問では、この一年の間に名古屋、町田、堺に「ファーム」が新設されたと聞いた。魚離れが囁かれる今日、漁連とも組んで、その日魚フェア。好評で午後から始まるフェアのための整理券を貰うため、まだ11時というのに長蛇の列。買い物客も溢れている。これも若い人達の発案で値段が安いのと何より美味しいことが、近隣の人達の評判になった。「作物を作っている側からすれば安いとも思うが、大きいキャベツも小さいのも一律百円で売ってると必ずしも大きい方ばかり売れる訳でもない。ライフスタイルに合わせて小さい方を買っていく客もいる」、そこには新たな価値観が生まれているのかも知れないと。
 昨年、一際目を引いたのが、母の日用の小さなプレゼント。へちま水にカモミールティー、ラベンダーの匂い袋等のセット3種だ。綺麗なリボンを掛けた優しい目線が嬉しい。Kさんの作ったじゃがいもを東京で食べた。頗るホッコリ味。
 今年は6月下旬に三度目の訪問、ルッコラにトマト、とうもろこし、バジルを買っていく。春日山で丹精込めて朝食を作って下さった堀 幸子さん、料理の腕を振るってランチをご馳走して下さった沖永雅子さん、お二人の共通のメニューが偶然トマトとバジルのサラダだった。とても美味しかったので私も作ってみたいとバジルを買い物篭に添えることを忘れなかった。

島本公子(しまもと・きみこ)
1945年生まれ。兵庫県出身。慶應義塾大学文学部卒業後文化出版局勤務。86年より『家庭画報』の編集に携わり、「本物印の食べ物通信」で各地をルポ。春日山実顕地の養鶏と卵を紹介した。現在も吉永小百合、黒柳徹子など著名人のインタビューや対談を担当している。