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みんなが気になる実顕地運営(9)


みんなが気になる実顕地運営(9)
 

      ○特講実顕地開催の波及効果と今後
      ○一体へ自己を調正する

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この夏も、子供たちをはじめ多くの人たちを村へ迎え、にぎやかな毎日を過ごしてきました。
今年に入り、特別講習研鑽会の会場を研鑽学校から実顕地へと移し、豊里実顕地で2回開催され、8月には美里実顕地で開催されました。
美里実顕地の人や、世話係として関わった人から話を聞かせてもらう中で、実顕地開催ならではの味わいや、そこから齎されるもの、ひろがっていくものを感じます。
例えば、幼い子供を持つお母さん達がまわりの人たちに応援してもらいながら、生活スタッフとしておもいっきりやらせて貰ったことで、次回の特講(那須実顕地の予定)も、ぜひ一緒に創っていきたい、子どもを連れてでも行きたい、という気持ちが湧いてきたそうです。
また、特講生・村人が一緒に愛和館で食事する中では、食生活の人で描いたこととは全く違う光景もあったそうです。当初は、テーブルに出すものは特講生に食べてもらって、カウンターのものは村人向けと考えていましたが実際はそのようにはならず、一つの場でお互いに自由に食べている姿を見て、「特講生と村人」というふうに分けてみていたことに気づく場面もあったそうです。
そんな美里での特講を受け、韓国実顕地での特講も村人の愛和館を使ってやってみたそうです。
第1回特講からの歴史をみてもわかるように、本来、特講はどこでもできる、どこでやってもよいものでしょうが、この時期、実顕地で開催することで私たちにとっても多くの味わいや気づきがあり、そこから齎され波及していくものがあるようです。今後のさらなる展開が楽しみです。

私達も、かつて特講を受けた中で、自然全人一体の理を知り、研鑽学校で一体観に立つ実践をし、一体の生き方を志して参画してきましたが、さて今日の私は、どんなことを思い、意識しながら暮らしているでしょう。
「もともとひとつ」「全ては繋がっている」「一体の輪の中の自分」と事実、この一つの中で生きている私ではあるのですが、わたしが一体の人になっていくとはどういうことでしょうか。きっかけとして、以前、養鶏法研鑽会に参加した人の感想を紹介します。
「みんなが一体なんだから、では済まない、そもそも一体とは何かを具体的にするには、何を通して一体の養鶏になっていくかを考えることに養鶏をやっている意味があるんだということにびっくりした。もともと一体じゃないか、ではなく、自己を一体化していかないと一体にならない」
先月のテーマ解説の中に「一体へ自己を調正する」という一節があり今月のテーマにもなりましたが、一体とはあるがままの受け身ではなく、能動的で積極的なものなのではないでしょうか。日常のやり取りの中では、愛和館での暮らしが例としてわかり易そうです。味がうすい・濃い、もっとよく焼いてほしい・焦げすぎ、もっと慎ましいメニューでよいのでは・もっと肉を出してほしい、明日の分に少し貰っていきたい・そんなに持っていったら最後の人までないよ、、、。こんな一つ一つの場面で「一体へ自己を調正する」とはどんなことなのでしょう。   日々の実顕地生活に目を向けると、それぞれに応じた場があり、職場や仕事などやりがいもあり、豊かな暮らしがあり、子育てや介護なども大家族ならではの良さがあり、そんな生活を共に創り心満たされながらここまで来ました。今月はそんな中で私たちが一番やりたいことでもある「一体になっていく」ということを意識的に積極的にやってみたいものです。

実顕地研鑽部