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タイ実顕地より


ありがとう!タイ

2017-11-08
アルバムを見る⇒ありがとうタイ


日頃の生活を離れ、言葉も風習も違う人たちの中で暮らすことで、色々感じさせてもらいました。
大きく変貌したバンコクと実顕地のある田舎の暮らし。外観の変化の中で、一生懸命生きているそこに流れるものは変わらない。

まず、タイの変貌ぶりに驚いた。高層ビルの連立、立派なホテルに素敵なカフェ、動く歩道、地下鉄にBTS(モノレール?)の整備。車の多さ。それらがカーチェイスのごとく追い越し追い越され。ここは路肩,危ないと思う狭い所でも追い越していく。3車線またぎはお手の物。もちろんクラクションは鳴らさない。遠慮気兼ねがない、譲り合い、お互い様でもないなー。規則がないのが大きいのかな?規則で動いているとつい「なんだよ」って、なるけど、自己責任で相手を感じながらの運転は見事というしかない。
20年ほど前に来たときは車と言えばピックアップ。バイクには赤ちゃん子どもも乗せ、3人から6人乗りまでも。ピックアップの荷台に何人もの人が団子になって乗っていた。ビュンビュン飛ばすのは昔も今も変わりない。
こんな道でも堂々とリヤカーを押して横断したり、間を縫っての追い越しに怒る人はいない。怖くないのだろうか。相手を信頼しているのだろうなー。
BTSの切符自動販売機も窓口も混み合い、大行列になっている中、一番前の人のところに知らないおばさんが「私の切符、○○まで買って」と言ったかどうかそんな感じで、横からお金を出す。声をかけられた男性は一瞬ビックリしながらも買ってあげる。並んでいる人も何も言わない。「みんな並んでいるだろう」「順番だろう」と責めない。なんか変わらない人情というか、お互い様の感じがアチコチで観られる。
ロッツというワゴン車型の乗り合いバスは満員になったら出発する。乗ったら、かごが回ってきて乗客はそこに運賃をいれる。運転手の横に座った人がお金を数えて運転手に報告。合わない時は伝言ゲームのように「足りないよ!」との声がする。必ずお金が後ろから回ってくる。誰かが下りる時は出入口近くの人がドアーを開けてあげる。車は時間に来るというより来たら乗るから空席が出ない。空いた席がある時だけバス停近くになるとブーっと小さくクラクションを鳴らす。助け合いの合理的な仕組みだ。
人と人が近い。どこにいても、もたもたの私たちによく、声をかけてくれます。地図を広げていると「大丈夫ですか」地下鉄の切符を説明読みながらやっていると横から「こうですよ」と買ってくれ、スーパーマーケットでビールをかごに入れているとレジの人以外に何人もが「11時にならないと買えないよ」と教えてくれる。風景は大きく変わったけど、人の関係はこのままでいて欲しいなぁ。

毎日並ぶ屋台にはエネルギーを貰う。よくこれだけ、毎日並んで売れるのかなぁ。作って残りはどうしているのか?売り「」込みをする気配はなし、スマホいじったり、ご飯を食べていたり。売れる売れないより今ここで店を開くのが私ですよ、と。なんか、人生の面白みは今ここにを実践しているのを見せて貰っている気分になる。

タイに来て若いころの疑問、なんで生まれてきたの?人間ってなに?に答える時が来たように感じている。特講でわけわからなかった世界や、私はあなた、私はないの世界が身近になってきたように思う。まだ思うだけだけど、じっくり焦らずに、結論を出さずに味わいながら生きていきたいと思っています。



空を飛ぶ鳥のように

アルバムを見る⇒鷹の渡り

タイの南部、チュンポンで鷹の渡りを観た。
日本から中国から、ロシアや北朝鮮からも国境を越え、何万キロも旅をして渡ってくる。
大空を自由に飛ぶ鳥の素晴らしさと同時に、人間の素晴らしさも見せて貰いました。

「これからのタイの社会を創っていくのは彼らなんだろうな」と思いました。
無私の心というか、隔てがなく、誰にでも分け与える行為。
実際にそういう行いをする人を初めて目の当たりにした。

鷹の渡りをガイドとして案内してくれた「カオ ディンソーの自然を守る会」のメンバーの行動、何気ない振る舞いが素晴らしかった。(山男ってそういう人間だったなーと若かりし頃のことを思い出しもしたが)この年になって目に映った彼らの動きには感動した。
足の悪い人がいれば、横に付き添い、危ない場所では手を貸し、つかず離れず。途中で鷹を見る場所で、みんなが暑がっていれば、近くから木切れやひもを調達して頭の上にテントを張ってくれる。自分たちは汗びっしょりになって。次のポイントに移る私たちは、何もせずその場を去る。
頂上で弁当の時は仲間を先にと自分の食事は後回し。この時の為に持ってきたのであろう、ふかした紫芋を私たちに「どうですか?一個?もっとどうぞ。三個?まだありますよ」と勧めてくれる笑顔が愛くるしい。
もちろん鷹の群れを見つけるのはいち早く「ほら来た。ハチクマ!」の声のする方を見ると、瞬く間に大群が昇ってくる。望遠鏡を借りて観る鷹の姿は美しく、羽の広がりの模様までくっきりと見える。空を飛ぶ鳥のように自由に生きる、、、。自分まで鳥になってあの雄大な空を飛んでいる気分だ。

暑がっていると、自分の用意していた傘を差しかけてくれ、喜田さんと二人で自撮りしようとしていたらさっと寄ってきて撮ってくれる。その心遣いが憎いというか、ベストタイミング。
山を下りると、それも用意して来ていたのかバナナの房を差し出す。私達だけでなく、その場にいる人みんなに勧める。彼らの行為を書くときりがないけど、身に付いたものを感じた。共に生きる、みんなが気持ちよく暮らせるように、こうして生きている人がいる。
仏教の国タイだからなんだろうか。王様の親族かしら。心の修練をしたのだろうか。ガイド料は団体に寄付すると聞いていたけど、無報酬でそんな行為の出来る彼らを見せて貰ったことは、自分のこれからの指針、大きな大きなプレゼントをもらった気分で、思い出すと目頭が熱くなります。
ほんの少しでもいいからそんな生き方をできるようになりたいと思った。もっと自分の心を見つめていきたいと思った。
そういう人が居る、そういう生き方をしている人が実際に居る。そのことが財産。

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アルバムを見る⇒タイのお風呂がリニューアル!

タイのお風呂がリニューアル!

春日山の菊地昇さんが作ってくれたドラム缶風呂が今回リニューアルし、より快適になりました。

ドラム缶でなくバスタブ、湯船に入れます❗これで足は伸ばせるし、壁に寄りかかっても大丈夫。
生活空間の広い庭隅に、菊池さんが次にタイに来る山鳥さんにと、焼却場を改造して作ってくれて、タイに交流に来たどれだけの人が楽しみ、癒されたことだろうか。
今度の風呂桶は使わなくなったエビ工場からの調達。「ドラム缶が痛んできたし、今度は浴槽にしようと思う」と朝の出発研で上田さんが言ってたと思うと、なんと!夕方には出来上がって、庭の祠の氏神様に見守られながら、早速の一番風呂です。喜田さんもゆったりと浸かり、トマトの芽かきで汗びっしょりになった体を休ませます。
木陰で空と葉っぱの揺れを見あげながらの入浴は最高です。
「ガスや電気を使う風呂でなく、すべて在るものだよ」と上田さん。
薪はトマトの支柱だった竹、これがよく燃えるらしい。足りなければ、ユーカリの落ちた枝を拾って来て。
まず、鍋で湯を沸かし、エビ工場で使わなくなったクーラーボックスに水と調合しながら入れる。暖かいタイだからすぐいい温度になります。
「お風呂沸いたよ」と声がかかると、
まずはシャワー室で体を洗い、男性はバスタオルで腰を被い、女性は風呂用のワンピースを着て、湯船に向かいます。私が歩いてお風呂行っている途中、石畳みの向こうで首をもたげてこちらを見ていたのはコブラかな?鳥にしては首が長いし、顔が薄かった。
夕食の話題は「やっぱり、足が伸ばせるのはいいね」とお風呂の話。「神様が正面に見えるしね」「鳥の声聞きながらだもんね」「この庭も昔は茨の木でいっぱいで、みんなで根っこから抜いて行ったんだよ」「家久子さんらがいたころかな。よく抜いたね」塀の外は車が爆音立てて走っているけど、話は尽きない、、、、

ここで暮らしていると、昔話が浮かんでくる。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に。洗濯していると大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れて来て、、、。桃から産まれた桃太郎!のはなし。
鬼退治をした桃太郎、桃太郎より大きなプレゼントが齎らせているような気がしてきます。童話の様な暮らしです。
タイ実顕地を造る最初は川で洗濯し、身体も洗い、地元の人らと同じ暮らしをしていたそうです。そんな話が心に残っていたからなのかな?

実顕地の姿形は変わっても、変わらず流れているものを噛みしめています。自分自身もゆっくり坂を下っているけど、願ったものを忘れずにと。

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アルバムを見る⇒タイは雨季
タイは雨季

昼間のいいお天気が嘘のように、夕方食事中に雷と雨風が来たと思ったら停電です。長い夜、ロウソクのもとスマホでお便りします。
ビザの申請でマレーシアペナン島に行って来ました。
喜田さんと二人での旅。マレーシア語はわからない、インドの字はもやしみたい、中国の漢字は所々読んで想像する。英語はもちろん話せないし、単語も出てこない。二人で四苦八苦、久しぶりに苦労を共にです。
ビザの申請はスマホの翻訳アプリを駆使して担当者と会話し、事前に聞きたいことを英語でメモしてきたので、割りと簡単に出来たのですが、、。

無料バスに乗って観光しようとバスターミナル迄来たものの、どのバスなのか?どこで乗るのか、何度も何度も色んな人たちに聞いた。英単語を二人でたしあいながら。
若い人ならどうかな?この人はどうかな?観光客なのか現地の人なのかわからないけど、手当たり次第。近く迄来ているのにわからない。駐車違反を摘発しているお巡りさんにも聞いた。みんな親切で簡単に、指差しでそこだよとターミナルを教えてくれるけど、何もわからないから、そこのどこなのかわからない。ぐるぐるするうちにターミナルの外、すぐ脇に、探していた無料バスらしきものが見えた❗
中学生らしき男の子に「ジィスイズ、フリーバス?」そうだとうなずいてくれた。人が増えてきてバスが停まると群がる様に乗っていく。前後ろどっちから乗ってもいいのかな?なんて躊躇しているうちにバスは出ていってしまった。ここでいいんだと自信もつき、次のバスを待つこと30分。人間観察しながら、待ちくたびれた頃やっと来た。
バス通学の子らも次々と乗ってきた。女の子は頭をヒジャブで隠しているけど、笑顔や見つめあう目は日本も同じ。友達とイタズラに興じて笑いあう子、怒ったりはにかむ感じ。見ているだけで心も緩む。
バスの運転手がなにか大きな声で言った。身体の不自由な人が乗って来たので、誰か席を譲ってくれと言っているのかな?痩せたおばさんが自分の横にどうぞと一人分の席に二人で座った。観光客と分かると地元のおじさんが色々知っている言葉で話しかけてくる。親日家が多い。本に書いていた通りだ。
食堂では仕事ぶりが目に入る。タイとは、少し違う。頃合いを見て美味しいですか?と、声かけてくれる。微妙なちょっとしたタイミングが心地いい。ホテルの朝のバイキングでは、皿が空になるや否やどんどん退いて行ってくれるんだけど、仕事だからやっているのか、相手のことがみえての仕事なのか。我が身を反省。毎朝会う接客係の女性は、よく気がつき、付かず離れずの接客に思わず「あなたはプロフェッショナルですね」と言った。彼女もありがとうございますと応えてくれた。心が通じる瞬間って、嬉しい❗

本当は失敗ばかりで、余分なお金も使ったんだけど、色々あって面白いの連続です。
夫婦で、どうしてそうなったか?どう思ったのか出しあえる時間が有るのがいいですね。日本の日常では次次とやることがあるので、放りぱなっしなんですが。
また熟年者同士で普段はわかったつもりになってやり過ごしていることも、どう思ったのか聞くと、へー❗そうなのと面白いものがあります。
計画して調べてと、頭を使いすぎて、もう動かないと現場で力発揮できない喜田さん。普段は体力と口だけが取り柄なのに、歩き過ぎて、靴擦れに水が溜まり、日本で痛めた膝も痛くて足どうなってんのと思う私です。けど、普段とは違う力が働いているのかケンカにもならず、言いたいこと言って面白く助け合って、生きています。わからないことは面白い❗を体感しています。コレが人生最後の旅行かもと思って来たけど、まだまだいけるかな?
タイ語の「マイペラン」。人生は諸行無常、気にしないで、前あるのみってこんな感じ!?

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写真を見る=>タイの朝

タイの朝

朝一はカエルの鳴き声かな?耳の底に羽根音の様な息づかいと鳴き声が遠くから近くから、高く低く揃って、うねりの様に押し寄せてくる。何千何万いるのだろう。
虫たちの声も聞こえる。
あちこちから犬の遠吠えも。カエルの次は、明るさとともに鳥たちのさえずりが始まる。
ヒョヒヨヒヨ、ヒャヒャヒャ。タタタラン、キカンキカンキャン、チィチィチィチ、ピィピィピィ 一日の始まりを喜ぶ、表現の仕様がない様々な澄みきった鳴​​き声。
トラックの暴走するような凄まじい爆音も。
みんな生きている。
生命の躍動と共に始まる朝だ。
私の一日は洗濯干しから始まる。
長い廊下をタイ箒を使って優しく掃いて、モップをかける。
タイの箒は優しくならざる得ない。私でも。日本の箒は力で集めるけど、タイ箒は静かに集まって来るものを寄せるだけのようだ。
汚れていない様でも、寄せてみると、結構ある。玄関の前後ろ、二階の廊下と掃除が終わると汗びっしょり。そよ風が気持ちいい。水が少なくてもシャワーの贅沢さが最高。
食事も美味しくて、何の不安もなく、困ることもない生活。人生に先のみえてきた今、どのような道が開けているのかまだ分からないけど、色んな命と共に生きていくのは変わらない。

タイの人たちの佇まいとか、大都会​ ​バンコクのエネルギーとかいっぱい刺激を受けています。

豊里実顕地 喜田栄子