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令和、新時代への幕開け



令和、新時代への幕開け

 

『共にやる』を考える

お互いが納得するまで話し合う

その人が納得しないでもやる

 

印刷 ⇒ 令和2年9月、新時代12

年間テーマ

○令和、新時代への幕開け

 

9月度テーマ

〇『共にやる』を考える
〇お互いが納得するまで話し合う
〇その人が納得しないでもやる
 

 

夕張実顕地では、各地からの交流の人を迎えじゃがいも収穫が進められています。今月中旬からは、大潟実顕地での稲刈りも始まる予定です。
いつしか、季節は夏から秋へと移ろいでいることに気づかされます。

水沢地区や一志実顕地で研鑽学校が開催され、その後の様子として「研鑽会などが、穏やかで優しい雰囲気になってきた」「人の話を聴こう、という空気になってきた」そんな声が届いてきます。
一方では、若い人たちのやり取りを聞いていると、自分の言いたいことを言って、相手の話は聞いていないようにも見えるが、共にやっている感じが伝わってくる、という話もありました。
この間の「共にやる」のテーマでは、いろいろな実例を出し合うことで、それぞれの中に「共にやる」についてのイメージを持っていることが見えてきました。
とことんお互いの思いや考えを聞き合える状態、自分のこだわりを放していける状態、心がザワザワせず穏やかな状態、その時々でより良い一致点を見出していこうとするもの、、など。
「われひとと共に」の生き方に共鳴し実顕地に参画し、今もそこを願って暮らしているのであれば、必然的に共にやっているのではないか、、そんなふうにも思えますが、今月は、改めて「共にやる」を考えていきたいと思います。

ある作業を進める時に、AさんとBさんの描くやり方が違い、双方とも譲らない。そういう時「共にやる」とは何だろう。お互いが納得するまで研鑽の一致点を見つけていく。両方のやり方でやってみる。どちらかが納得しなくても一つの方法でやる、、などありますが、そういうことと「共にやる」は果たして関係があるのでしょうか。
例えば、牛や豚を移動する時の扱い一つでも、牛歩の歩みで牛のペースに合わせる人、大きな声を出す人、優しく声をかける人、少々雑な人など、その人の中ではこれで良し。と完結できたとしても、そんなお互いが組んで進める時にはどんなふうになっていくのでしょうか。
生活面でも、日々いろいろな意見が出てくるようなことばかりでしょう。お風呂の湯加減や、美化のやり方、セットする備品について、愛和館であれば、どのレシピの味付けにするか、今日の出し方は?などお互いまたは全員が、意見を聞き合い納得するまで話し、研鑽の一致点を見出していくことが「共にやる」ことだと思い込んでいることも多いのではないでしょうか。そこにいる誰かが納得できないまま、これで進めよう、となった場合は、「共にやる」にはならないのでしょうか。
例え一致点が出たとしても、すぐ後で考えが変わることもあるでしょう。時間をかけ一致点を見出したことでも、或いは、これは譲れないと考えを曲げず頑張ったことでも、人間の思いや考えは変わっていくものだとすれば、一致点を見出していくということについても捉え方が変わっていくでしょう。
そもそも、日常の中では意見の違いがあって当たり前で、毎日の出来事一つ一つに対して一致させていくことはほぼ不可能に近い位にみた方が、「共にやる」の核心に近づいて行けそうです。
今月も、共に研鑽し探り進んでいきたいです

実顕地研鑽部