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With(共にやる)


With(共にやる)

「みんな」と「一つ」

「一つ」の心を考える

一致しなくてはダメなのか

印刷 ⇒ 令和3年2月with

◯年間テーマ

With(共にやる)

◯2月度テーマ

「みんな」と「一つ」
「一つ」の心を考える
一致しなくてはダメなのか

元日の朝、「みんなで考えない」「みんなで決めない」というテーマを読んだ。まず「エ~、それでイイの~」と抗するものが、次に「で、どうしていくの?」と出てきた。地域の会員さんからも「このテーマどういうことかわからないね」と村ネットへ寄せられてきました。
正月のテーマをみて「今までとは反対では?」と、穏やかな元旦に、そこここで静かなざわめきが起こったようです。
また次の様な投稿もありました。
ある研鑽会で「みんなで考えない みんなで決めない」というテーマを考えている時、ふと昨年5月のテーマ「みんなで考える 一つで考える」というテーマを思い出した。同時に「みんな」という言葉に「個の集団」というイメージを感じ、思わず「みんなというのは曲者だな」と発してしまった。危ういと感じたのだ。(中略)「私はあなた、あなたは私、私はない」という世界はどんなだろう。ひょっとしたら「みんなで」とか「一人で」という言葉がいらないのかも。そんなことを考えてしまった。
研鑚会の中では「みんなといっても全員という意味とは思わない。一人で決めても一人で決めたのでなく、みんなで決めたと思う時もある」という発言もありました。
昨年5月・6月のテーマは「みんなで考える 一つで考える」でした。「みんな」と「一つ」をイコールとするか、全く別次元のこととみるか、捉え方によっては大きく世界が変わってくるのではないでしょうか。
さらに遡ると2019年の9月から3ヶ月間は「全員一致と一人で決める」というテーマでもやってきました。テーマに使われる語句や角度は変わっても、一つのものを、繰り返し繰り返し探り顕していく、今年もそんな1年になっていきそうです。
「もともと一つだから」「一つから考えたら」という言葉も時折使われますが、自然全人一体の理から観れば当然のことでしょうが、そこへ加えて自ら「一つの心」を用意していこうとする能動的なものがなければ、日々の実顕地生活も村づくりも味気ないものになってしまうのではないでしょうか。
ある実顕地では、大寒の日に愛和館の食卓へ大寒卵(でも実は前日に集卵し選卵されたもの)を食生活の人が用意した。そこへ、それは大寒卵ではない、大寒の今日に産んだ卵を明日出すべきでは、という意見が。
また、日頃の暮らしの中でも、愛和館の料理の味付けを濃くして欲しいという人と、薄くして欲しいという人。お風呂の湯船の温度を高くして欲しいという人と、低くして欲しいという人と、今がちょうど良い人。同じ車を二人の人が同時に使いたい時や、使い方についてなど・・・
これまでは、一致点を見出すことに時間をかけたり、こだわり過ぎたり、なんとかその二つの間をとれないかと考えてみたり。と思い当たることもありますが、そもそも、その事柄は一致しないとダメなのか?例え、一致したように見えても、そう思っているだけでお互いに次の瞬間には感じ方も考えも変化していくことばかりでしょう。この間の研鑽を通して実は本来の「一致」とは全くかけ離れたものを、勘違いして一致させようとしていただけなのでは?ということがおぼろげながら見えてきました。
今日から豊里実顕地では研鑽学校が開催されます。
二週間をかけ、どのように展開され共に進んでいけるか楽しみです。

実顕地研鑽部