今年こそ、アレ(A.R.E.)
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今年こそ、アレ(A.R.E.)
「何でも用意されている実顕地」とは?
印刷⇨6年9月テーマ
◯年間テーマ
今年こそ、アレ(A.R.E.)
◯9月度テーマ
「何でも用意されている実顕地」とは?
韓国楽園村が終わって、日本から参加していた子供たちが帰ってきました。
楽園村がとっても楽しかったこと、韓国の子ども達が素直でホントに可愛かったこと。お姉ちゃんと言って慕ってくれたこと。日本語を勉強して、また日本で会いたい!と言ってくれたこと、私も韓国語を覚えたい。最後は涙、涙の感動の別れだったようです。
コロナ禍を経て、久しぶりに韓国実顕地の懐に受け入れてもらい、かけがえのない経験をさせてもらったようです。
8月19日から別海実顕地の2番草収穫交流が始まり、25日からは夕張実顕地のじゃが芋収穫交流に出発しました。
「どちらでもよい人になる」というテーマを続けてくる中で、私、相手、誰々の、考えや方法を対としての「どちらでも」と言っているわけではなさそうだ、とおぼろげに見えてきました。
春日山では、お風呂の脱衣室に用意してあった入浴用タオルを、脱衣室に入る前の通路に大きな棚を用意して、そこから各自がタオルを持ってお風呂に入るように変えてみました。ところが長年の習慣からか、その棚からタオルを持って行くことを忘れる人も多く、取りに戻ったり、人に頼んで持ってきてもらう光景がしばらく続いています。仕組みが見直され、自分で用意していくことになかなか馴染めない様子です。「脱衣室にもタオルを用意した方が良いのでは」という声も出てきました。
豊里では、展示場のある暮らしを見直そうと、今はお休みしてやってみています。
当初は、活かし合いの暮らし、画期的な仕組みだね、と始まりましたが、今はどうかな?
閉めるのは反対だ、上手に活かしていたのに残念、という声も聞かれますが、これからの暮らし方を考えて行くのには面白いテーマではないでしょうか。
長年の実顕地生活の中で、ヤマギシの暮らしはこういうもの、として習慣にしていること、手段や方法がいつの間にか目的にすり替わってしまっていることなど多くありそうです。
みんなのことを思って用意していたはずが、大変になる気持ちが出てきたり、良かれと思って用意していることが逆さになっている場合もあったり、用意してもらって当たり前の中で、用意されていないと不満や求める気持ちが出てくる時もあるでしょう。
何でも用意されている実顕地の中で、私達はどんなお互いになり合って、どんな暮らしを描いていくのでしょうか。
スーパーにお米がないというニュースが連日放送されています。実顕地では大潟実顕地で米づくりをしていることもあり、まさかお米がなくなるとは、日頃の暮らしの中ではほとんど考えることもありませんでした。ところが、今年は実顕地でもお米が切れることが現実になってきました。
先月、宮崎県で発生した地震を受け、気象庁は巨大地震注意を初めて発表しました。今後、巨大地震や激甚災害など、今日あるものが明日は何も無くなる、何が起きるか分からないようになってきました。自分達が生活していく上では、実顕地にいたら何の心配もないと思ってきましたが、何でも用意されている実顕地の中で、私が用意していくこともありそうです。
共に探り進んでいきましょう。