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JENの石巻担当者に話を聞きました


JENのスタッフと地元の人と-鹿妻食堂

 ヤマギシに活動の場を用意してくれた認定NGO法人「JEN」の石巻担当者に話を聞きました。

①JEN(ジェン)ってどんな団体?

 JENは旧ユーゴの民族紛争のとき、日本としてなにかできないかと考えるNPOや資金団体など6つの団体が日本としてまとまって活動して行こうと、日本初の連合NGOとして1994年1月に誕生しました。「Japan Emergency NGOs」の頭文字からJENと呼んでいます。

②どんなことをやっているの?

 戦争や紛争、また自然災害の犠牲になった人々へ支援活動をしています。厳しい生活を余儀なくされている人々に自らの力と地域の力を最大限に活かし、社会の再生を果たすことができるように支援を迅速、的確、柔軟に行っています。開始以来一貫して心のケアと自立をモットーに活動をして来ました。

只今インタビュー中

③どんなところで活動してきたの?

 旧ユーゴを初め、アフガニスタン、イラク、スーダンでの生活再建支援。新潟中越地震の復興から村おこしの支援。パキスタン、スリランカ、東日本大震災への緊急支援を実施中です。

④どんな人らが活動しているの?

 職員は管理部などがある東京のスタッフと外国人スタッフ14人を入れて30人位。今7カ国で活動しているので、そこの現地採用のスタッフが全体で200人程。石巻だけでも現地スタッフが20人位います。本部から2~3人の国際スタッフと現地採用のスタッフ20人~30人で一つのプロジェクトを支援しています。

 

⑤現地スタッフというのは?

 地元の人たちにあれやりたい、これやりたいと早くなって貰って、それを支援するのがJENです。頭で考えるだけでなく、現地の人らと必要なプロジェクトを組み立て支援するので、現地スタッフはなくてならないです。

⑥JENのスタッフになろうと思ったきっかけは?

 小さい頃から世界不思議発見などの番組が大好きで、アフリカやアジアの大自然や動物、世界遺産などにあこがれ、世界を周る人になりたいと思っていました。中学生の頃になると、自然豊かな所なのに厳しい暮らしであったり、紛争が絶えなかったり、同じ地球に生まれながら、日本人の自分との差はなんだろう、無関係じゃないなと思ってきました。大学で国際協力を学び、経験が欲しくて一般企業にも就職しました。

 JENでは最初ハイチを担当し、新潟の十町池谷集落の最後6カ月をやりました。新潟は6年間に1000人のボランティアを送り、田植えや雪下ろしをして都会の若者と地元に残った6世帯の住人が交流し、お互いに良い刺激になりました。

西村さん

西村さん

 私は4月18日からスタッフで働いています。石巻で育ち、東京で青春時代を過ごしました。石巻に帰って仕事を探している時被災し、知り合いにJENで働いて見ないかと紹介されて面接を受けました。被災前から東京に行くのは簡単だけど、過疎化する石巻を見捨てていいのかという思いもありました。
加藤さん

⑦石巻で活動してきて

 3月の被災後すぐ来ました。志していたのは海外での協力でした。日本では起こるとは思ってもなかったです。現場に居るけど、ニュースで見てもまだ、ギャップがあります。与えるだけの炊き出しでなく、地元に暮して一緒に話し、交流したいと思っていました。

 ヤマギシの炊き出しは癒しの空間になっていて、JENの願う場になっていると思いました。特殊な事態だけど、人間本来の部分が引き出されたというか、人に会っても挨拶もしない感じだったけど、今はみんな軽く「どう」「大丈夫」と声掛けてコミュニケーションがあり、和やかにご飯を食べてていいなーと思います。

西村さん
 こうなったからと町を忘れ、逃げ出していくのが恐い。こういう形で人が寄って再生していければと思う。石巻にはなんとかしようとする人がいっぱい居て、私は集まった人たちの熱い思いに引っ張られた感じです。

 一人じゃできないけど、復興を思っている人がいれば、力を出せるし、相談できる。彼らの姿を見て、他人事じゃない、自分も動かなくっちゃと思えてきました。

加藤さん

⑧ヤマギシの人らとやってみては

 皆さんが私たちの目指すところに共感してくださり、JENとして動いてくれている姿に感動しました。
西村さん

 ありがとうの一言です。どうして、こんなによくしてくれるんだと。私、人を信じられなくなりそうだったのです。出会えてよかった。
加藤さん

 


 短い時間でしたが、別れ際涙ぐんでいた若い二人にこれからを実感しました。

【豊里実顕地 喜田栄子】