スモモの季節 【豊里】
風呂上がりの脱衣場でスモモの話題になりました。リンゴ
が少なくなったので、スモモ収穫をさせて欲しいという話しがありました。
私のコメントは、アクシデントがあってうまくいかないのも、子供たちにはいい勉強に
なるね〜などと偉そうなことを言っていました。相手の話は、スモモを採らせて欲しいと
いうことなのです。私の方はハイどうぞか、いえ、ダメです。とこのどちらかだと、分か
りやすい会話になっているのですが、まあそんな状況で、話しもそれッきりです。
その後、お湯に浸かっていると、偉そうに言ったコメントの奥に、スモモを採らせて欲
しいと聞いたその一瞬に、何か物惜しみしたい・ケチな心が私の中に発生していたなと気
づきました。
毎年、高野尾小はスモモ収穫にきています。それに全体の収穫等は他の人に、私から頼
み込んで全部やってもらいます。自分は果樹の世話が楽しみで、収穫は他の人に楽しんで
貰うというところなのです。
そういう姿勢なのですが、この物惜しみ・ケチな心が、時折、意識の底にす〜と忍び込
んでくるのです。心は自分がコントロールできるように思ってきましたが、これから離れ
ることは出来ても、その発生を止めることが出来ない仕組みにあることを学んでいます。
山岸先生が舞台を観察する要領でとおっしゃっていることにようやくにして合点です。心
の仕組みを系統立てて学ぶと欲や怒りに如何にうまく操られているか、実に興味深い心の
構造です。
今回のようにそれに気づかないと、それを覆い隠すためにか余計なことを言ってしまい
ます。自分が不幸になって回りも不愉快にします。
自分が幸せに恵まれ楽しんでいるものを、他の人にそれを分けて欲しいと言われると、
それを惜しみたくなる心・ケチな心。これは豊かな人にも、物が乏しい人にもあります。
その源は嫌という怒りのエネルギーから出てくるものです。意識していたら結構見つけら
れます。この怒りは巧妙に絡めてくるので、それを見抜いて即刻ハイさようならができる
と面白いです。上手くいくとニンマリ!
誰のものでもない所有者のいない自然界のスモモ。タダの社会の果樹園。それを例え一
時でも「物惜しみ果樹園」にしないようにと思いました。
〜 私は変わる。世界も変わる。〜