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この夏やってみて 【豊里】


20・30代のお母さんの研鑽会に参加して

 まず印象に残ったのは多川柿の精神で考えた事でした。

 多川さんはもういないけど、多川の精神は残っていく。

 今の自分はお母さんからや、周りの人から何を伝えて貰って自分の子供に何を伝えていきたいのか考えました。

 お風呂のタオルを次の人が使いやすいようにきれいにかけるとか、トイレのスリッパをそろえるのも、次使う人が入りやすいようにそろえるとか、その事柄がよいとかそういうことではなく、いつもその事柄の向こう側に人がいるということ。 日常生活で小さな事柄を自分は当たり前にしてきた事も小さい時に自分の親や周りの人からそういう事を伝えて貰ってきたなぁと気付きました。

 子供をしかる時に、ただ感情で怒っていたけど、何の為に叱るのがはっきりしました。お風呂あがり保湿剤を塗る時いつもはチョロチョロ逃げ回る眞子を「じっとしてなさい」と叱りながらぬっていたけど、帰ってきてからは眞子に「薬をぬって貰うなら薬をぬって貰う人の事を考えて、ぬりやすいようにじっとたってて」と少し冷静にいえるようになりました。

 お母さん研から帰ってきて2週間。怒らないとこうと思いながらしかりまくっていて、人は簡単には変われないなぁと思いながら、そーゆー自分だなぁと気づいたとこから繰り返しながら、少しずつやさしいお母さんに変われていけたらいいなぁと思いました。

 眞子は初めてのお泊りで楽しんできたみたいです。

大森百合子

韓日青少年楽園村をやってみて

 行く前に、僕の決めていたことがひとつだけありまして、それは向こうへ行ったら現地スタッフの考えに則ってやって行こうということでした。(その割にはチョイチョイ 口出ししてましたが。)

 真面目な、ジェホ君たち韓国人スタッフと、それほどでもない、僕をはじめとする日本人スタッフが、絶妙にマッチし、企画は、ことごとく大ヒットだったと思います。

 楽園村の後、ソウル観光をしたのですが、まず小グループに分かれて、グループごとにスケジュールをたてました。僕の方から「どんなふうにチーム分けしますか」と聞いたら、「誰とでもいいなあ。」と子供達から返ってきました。

 そんな子供達と、スタッフが連れて行くのではなく、案内するのでも無く(ムリです)、一緒に地図を見ながら、ちょっと遠回りしてしまったり、タクシーに乗ったり、地元度100パーセントの屋台で昼ご飯を食べたりしたことは、最高の思い出です。

 帰りの電車に乗り遅れたチームは、「バッピンス(韓国式かき氷)が食べたい!」と言ってギリギリまで欲張りすぎた僕のチームだけでした。

 最後の夜に村の人みんなに集まってもらって、お別れのミーティングをした後、ランタンをとばしました。何か願いごとをしながら飛ばすもののようですが、考えてみたら、完全に願いが叶った状態なので、これ以上何もお願いする事はないと気付きました。「どれもこれも良かったなあ」と思いながら飛ばしました。

 日本に帰るフェリーで、  「人生で最高だったかもしんね〜。」  と言った子がいました。

 自分も42歳になりますが、最高に楽しかったです。帰ってから思った事なんですが、彼らは高等部一期生ととてもよく似た雰囲気だったと思います。

 岡山駅で、そして新大阪駅で、  「お疲れ様でした。それでは皆さんお元気で。さようなら。」  と言って別れました。

 さて、これからどうしたらいいかな。  これで終わりとしないで、これからもときどき会えるといいなと思います。

池内秀樹

夏の韓国特講世話係をやってみて

 私が韓国へ行った頃は、ちょうど韓日青少年楽園村が終わった頃でした。さあ、次の動きへというところで、次の日から韓国で228回の特講の準備研が始まりました。

 韓国実顕地は今、大人が8人、子どもが5人、実習生の青年が2人総勢15人で、産業は主に養鶏、自家用の野菜を少し、あとは供給です。そして夏と冬に楽園村、特講、ある年は研鑽学校をやっています。特に特講は生活体験者を受け入れて、3週間は実顕地で生活体験。1週間は特講という流れになっていて、その人達が特講の半分を占めています。

 韓国ではたいてい高校生まではずーっと勉強しかやらなくて、大学に入っても、就職できるかどうか分からないという状態です。卒業の時、いきなり現実にぶつかることになり、大学に入ってから悩み始める人が多く、そういう人達が何かを求めて実顕地の生活体験に来たりしているという実感がしました。

 今回は特講に4人の村人が送り出され、村の人たちと食事とか風呂の生活時間を調整しながらやることができました。例えば食事、風呂は村人が来る前に済ませ、メニュー紹介は特講期間中2回、村参観には殆んどの村人が案内役で、係に入っている人も案内しました。村人が村の生活を支えながら、やれるだけのところで特講に関わりながら、特講生の一人ひとり事を分かって、特講生との交流会に臨むという感じでした。

 特講が終わると、1カ月1回は実顕地で会員との幸福研鑽会、ソウルでは青年研鑽会が用意され、研鑽できる機会を通して、次に繋がっていくという仕組みになっているようです。

 今回の特講で一番印象に残ったのは実践の書の研鑽です。ひとつひとつの文章が新鮮な意味を持って目に飛び込んで来ました。特に「真実の世界」「幸福一色快適社会」「悪平等をおしつけない社会」などが、日常生活でもあ、そうか!ここにこう書いてあるではないかと、思える文章が次々現れ、新たな感動という感じでした。

 もう一つは韓国の特講生に日本人だと思っていたと言われたことです。これから私は韓国人でもなく、日本人でもないと云う自分ではなく、韓国人でもあり、日本人でもある。今いる場所の人として、今やれることを思い切りやっていきたいです。

呉星順