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2011年をやってみて
【豊里交流会より】


豊里実顕地の12月度の交流会から、この一年を振り返っての発表を紹介します。

今年一年を振り返って

中原庄司

 今年の村の文化祭に乳牛部は、「職場で仕事をして思うこと」という表題で全員にレポートを出してもらい、展示しました。

 普段は仕事でのやり取り以外はあまり話をしない社員さん達が、日頃何を思っているかという事を知る絶好の機会でもありました。展示の評判はなかなかのもんで、特に社員さん達の文面は村ネットにも載るほどでした。

 その中身といえば、仕事が好きです、楽しい、おもしろい、仕事をしてて幸せです、等とほとんどの人が書いていました。そして、やりがいのある仕事ですとか、牛と接するのが嬉しいとか、美味しいミルクを出してもらう為に、と書いている人も居ました。

 驚いたのは、ヤマギシの目標の為に自己最高でやってますと書いている人が居たこと。そして極めつけは世界一仕事しやすい職場ですと書いてあり、しかし諸国の人が日本一と書くのもおかしなもので何となく納得です。

 乳牛部では現在、実顕地メンバー14名、社員17名で構成し、社員さん達の割合が半分以上を占めています。職場での社員の役割としては、以前は搾乳、エサやり、牛舎の床管理位が主な仕事でしたが、今は、治療、分娩、繁殖というある程度経験のいる分野でも活躍していて、最近では肉牛部の繁殖に欠かせない存在としても育ってきました。

 話は飛びますが、酪農業界の現状は、ここのところ乳価と飼料単価も安定し、需給のバランスもそれ程深刻ではなく、先行き不透明な面もありますが、今のところは、外的要素に左右されずにそこそこ安定した経営が出来る状況です。乳牛部もそんな中で去年から収支が黒字に転換し、抱えてるテーマも少しずつ解消しつつあり、事柄的にも着実に前に進んできています。

 具体的には、乳牛部にとって一番重要な、原乳の乳質が基準値を遥かに超えた数値で維持できるようになってきました。又牛の淘汰数も去年の291頭から今年は149頭と約半分に減り、来年は更に減らせる気配を感じています。そして来年度からの育成牛再開についても準備段階に入ってきました。

 最近自分は、あまり事柄をすすめようとしなくても、自然と事柄が進んできているような不思議な感じを受ける事があります。 たとえば、気にはなっていたけどというような事がいつの間にか改善されていたり、気にもしていなかった事が、変わっていてよくなったなあと感じる事があったりで、そんなあたりが原乳の乳質、牛の淘汰数の半減に現れているような気がしています。

 最後に、自分自身も仕事をして楽しいとか、おもしろいとか、嬉しいとか、一応は感じています。一例ですが、朝の搾乳で感じているあたりを紹介します。

 搾乳は、パーラーに入ってきた牛の乳頭を消毒して、拭いて、ミルカーを掛けて、搾り終わったら又消毒して、牛を出すという一連の流れですが、その流れの中で、唯一牛の体に触れるのは拭きの作業です。しかも彼女達にとっては体の中で最もデリケートな部分に、タオルを通してですが触れるわけです。勘違いしないで下さい、その事が嬉しいわけではありません。

 拭きは、汚れた乳頭をきれいに拭き取ることと、適度の刺激を与え牛が乳を出そうとするホルモンオキシトシンの分泌を促す為のものでもあります。4本の乳頭を拭き取るのに15秒程の作業ですが,タオルのきれいな面を巧みにずらして汚れを取り除く、特に乳頭の先端は最後に親指の先で拭き取る、牛の足の位置乳房の形などで拭く順番どちらの手を使うかを咄嗟に判断して拭く、そして大事なのは拭きながら牛に喜んでもらえることを意識して拭く。そうすると牛に蹴られても、コノヤローというのは出てきません。

 恥ずかしい話ですが、長年やっていてこんな風に意識しだしたのはつい最近のことで、以前のただ拭くだけとは次元の違う世界のように感じています。今後もひとつの事柄をすすめるたびに、楽しくすすめて行きたいとあらためて思っています。

牛肉予約とり踊り

池内道明

 こんばんは。

 私はクリスマスが誕生日です。今日で71歳です。キリストさんとね、誕生日が一緒なんです。その時はイエスと答えます。

 ♪幸せは~歩いてこない だから歩いていくんだね♪このリズムです。このリズムに乗って、1ヵ月間この度、年末牛肉の予約を毎日もう楽しんで楽しんでやらせてもらいました。

 やっぱり秋の研鑽会で、職場、そして仕事職場、そっから広がるものっていうテーマがありましたね。

 その、実顕地と、地域地元、また、出入りしている業者なんかの関連会社にもこう、なんか生産物を通して架け橋になったらいいなっていうのがいつもあってね、その架け橋を私がやらしてもらいました。私自身も生産物なんですよね。

 老人会を10年間、今年でちょうどなる節目としてね、今まであまり商売商売っちゅうのがあって、あまり声かけてなかった。今年はちょっと、声かけたらすぐに手を出してね、高野尾なんかを歩いてたらね、「池内さん何踊っとるんですか」っちゅうからね、「いや肉踊りしとるんです」ゆうたらね、「ちょっと家来なさい」ちゅうからね、ほんだら「どんな肉ですか」ゆうから「う~ん、肉っちゅうてもね、すごくね、健康な牛を飼うだけで、美味しい肉です」ゆうたら「買おうがな」「買おうがな」ゆうてね、その、おおたよしこさんがね、その隣のさわさんこわさんはっさんからみんな呼んでくれてね、そこだけで10キロとれたんよね。

 それでもうこれはやっぱり、うん今年はやれるなっつう手応えがあって、老人会だけで30キロで、そしてもう折原さんに声かけよう思って、事務所に行ったら、地図でここ行ったらいいあそこ行ったらいいってもう折原さん躍るんですね、こうやってね。

 あそこがいい ここがいい あそこがいい ここがいい もうそれが嬉しくてね、二人で踊りあいしたんです。

 それでもう、20キロだね、高野尾地区で50キロ、そして、前田さんに、声かけた。稲わら堆肥とか飼料稲とかね、それはやっぱりその還元はやっぱりもっと、大事にしたらいいかなぁって

 ほとんどね、もう3分の1しか回れてないの。1日にやっぱりそんなに回れんのよ、歌も歌わないかんからね。朝行って昼行って、留守も多いから。それでも安濃地区で50キロ。

 100キロいって、風呂に入ったときに萩田さんに「100キロいったよ」って言ったら握手してくるしね。みんなこう、みんなが応援してくれてるなって。真理ちゃんなんか飛び上がって喜ぶよね。千浪さんにも電話したりね。

 もう村中あげてさ。やっぱこう研鑽でやるちゅうので、肉牛部の出発研にいって、栄子ちゃんにまたね、村ネットに出してもらったり。

 まぁ牛も山羊も羊もいる出発研でしたけどね。私が一番賑やかだったね。

 それでやっぱりこう、200キロとるちゅうのが目標にあって、100キロはいったんだけどね、あとの100キロどうしよって考えたときに、あ、そうやうち出入りしとる業者の会社行こうちゅうか、最初よしだ工場さん行ったら、すぐ社長と会うて、15キロでいいかって一発で決まったんよね。そのとき名刺がなくて、もうなんか名札だけで「私、池内です。生産物の拡大してます」ゆうだけで、そして、ちょっとあの、建設の梶山さんが「あ、すぐ作る」ってもうぱっぱっぱっとね、名称は[生産物拡大係]。あとは、課長まではいったんよね。係長でとめたんやけどね。来年は係長にしょうかなって。

 そんで飼料センター行ったら井波さんが「よっしゃー」ちゅうからね、それはもうきみ子さんもね、さちえさんもね、寄ってきてニコニコして、対応してくれるし、各窓口にずっとこうして一緒にやらしてもらって、会社さんでね、70キロは行ったかね。だからそんなで頼んで220キロオーバーしてしもて、

 今年はすごいこね、そっから広がるものっちゅうかね、なんかこうそこに栄える、栄えていくちゅうそういう世界をなんかすごく味わったのね。

まぁ仕事としては200キロが仕事やけど、一番の大仕事はやっぱりそこやったね。

 来年はまたタイでそれをやりたいですわ。

 1月10日から4月10日まで、川添裕子ちゃんとこで今度やるんだけどね、川添さんがね、「あんたがた二人どうなるんや」ゆうてね「もう世界最強の拡大や」言われて、お墨付きをもらったんですわ。だからその、自分の持ち味と言ったらおかしいけど、まぁタイでも持って踊ってこうかなと、そんなんを今楽しみにしています。一緒にやらせてください。

石巻のお母さん達と一緒に、春まつりを楽しみたいなと思っています。

瀬戸千浪

 私は今年5月から始まって半年くらいの間に石巻に4回行かせてもらいました。

 一年の1割くらい宮城県の石巻にいたと思うんですけど、一番最近の12月に行かせてもらった時は、春日の便にのせてもらって、北条の浜川ゆきこさんと2人で鹿妻地区にできたハナソウというJENの人たちによってできたカフェみたいなとこがあるんですけど、そこに行かせてもらってゼンザイを、鹿妻食堂一緒にやってもらった地元のお母さん達と、出してきて、心ひとつでっていう歌を、みんなで、みんなで歌いたかったんだけど、CD忘れちゃって、仕方なく、ゆきこさんと私とで、下手な二人で大声あげて歌って、みんなで歌ってきました。

 でっかい歌詞カードと、後から萩田さんがCD送ってくれて、そこでかけてもらってるそうです。

 そのあと、りんちゃんていう人と、メインでやってくれてた人と、いわさんていう鹿妻食堂のすぐ近くに住んでた人と、二人を連れて、雄物川実顕地に一泊で行ってきました。

 そこで、豚しゃぶとか頂いて実顕地に触れたというよりは、実顕地の人に触れてもらったなという感じがしてて、またそのあとまた石巻帰ってきて、そこでまたよしこちゃんとか、うっちゃん、けいちゃんとか、まぁ名前いうと変なんですけどそういう人達と、豚しゃぶをまた一緒に食べて、次は5月の祭にみんなで行って、鹿妻食堂の店を出そうね、という話しをして、帰ってきました。

 こんな中で、自分達というか私の中で、どういう事だったんかなぁとよく思うんですけど、ほんとに千年に一度と言われる災害で、ほんとに被災地なんですけどそこは。

 だけど自分達がやってきたことは、その炊き出しとか泥だしとか、まぁ事柄はそうなんですけど、やっぱりすごく誰とでも、仲良く楽しく、すごく幸せに思いっきりやってたかな、と思って、そのことが、どう伝わるんかなってあんまり思ってなかったんだけど、やっぱり、元気が出たとか、ほんとにこんな風に暮らしていきたいなって思えたとか、食べ物も、ほんとになんか美味しい美味しいって食べてもらって、それはまぁ自分達、やらしてもらって行った自分達だけじゃなくって、豊里実顕地の一人一人の人の、心意気というか、思いがあってのことだったんかなと思って、実顕地ってどうやって広がるんかなって思ってたけど、こういう感じで、

 私達別にヤマギシってことは、隠すってわけじゃないけど言わないで、JENの一員ということで、成りきってやってきたんですけど、でもだんだんバレてきて、というか、ヤマギシの牛乳とか、ヤマギシの生産物とかいう箱がそこら中にあって、ヤマギシってなんですか?って聞かれて、う~んまぁなんていうか、私の家がヤマギシなんですけど、みたいなで、私も私もヤマギシですって言ったらみんなわけ分かんなくて、まぁでも分かんないから、是非一度来てよっていうことで、みんなやっぱり、そういう人達に、会いにきてくれるんだなと思います。

 ですから、またそういう、鹿妻の、お母さん達とか、お父さんも一緒に来る人もいるみたいなんで、来たら、家族が来たみたいな感じで、受け入れて、一緒に春まつりを楽しみたいなと思っています。

 今回のことで私一つすごく得したなと思ったなと思ったのは、若い人がやっぱりすごい力があるってことを、実感出来て、もっともっと若い人が、実顕地とか、場を得て、やっていけたらいいなと思っています。

 で、そんな中で、自分は、何でもやらしてもらえるように、ちょっと体も鍛えなきゃな、とか、物忘れもひどいので、まぁ利佳ちゃんに今日もいろいろ叱られながらじゃないけど、やってるんですけど、そういうのも、何でもやらしてもらえるようになって、やっていきたいなと改めて、思いました。

みんなの中でやるっていうのはすごい、楽なんだなぁっていうのが、初めてちょっと味わったかな。

村中導子

 私は今年、いろんなことを味わわさしてもらったなという実感があって、特に養豚部で展示をやるっていうのを始めたときに、結構色んな案が 自分の中で出て来て、窓口を決めるときにね、佐竹のくにちゃんがやってくれるっていうことで、私も一緒にお手伝いしたらいいかなぁっていうので始まりました。

 今までは大江さんとか、のぶちゃんとか、やってきた人が進めてくれてたんで、私としては、くにちゃんのいう通りのこと、やればいいかなぁって、思ってたんです。

 始めて何日か経たない内に、くにちゃんが休業宣言を出したんです。あのもう、しばらく休みたいですと。

 で、展示だけはやってくれるのかなって思ってたら、頭は使いたくないからということで、そのとき自分の中で、どうしようっていうか、今までそういうことをやったことない私がどうやってやるのっていう気持ちが出て来て、

 一人で頑張ってやるっていうのは、やりたくないと、自分の中でそれがすごいはっきりしてて、そういうやり方をするんなら、展示はやめてもいいんじゃないかって自分の中でまぁ、勝手にそう思ってて、養豚部の方で、ともちゃんに声をかけて、こういう状況で、自分としては、言ってくれて動くことは、色んな人いるけど、一緒に考えてやってくれる人が欲しいです。と提案をしたんです。

 そしたら、即座にともちゃんがその日の内に、展示の方は、ともちゃんが試作、します。で、ステージの方もやるということで、それは、キヨさんが、サポートします。っていう返事を言ったのね。

 そのときに自分の中で、今までと全然なんか、変わったなっていう感じがして、何が変わったかよく分かんないんだけど、ともかく一人で頑張ってやるっていうのはやめよう、そういうのはしたくないっていうのははっきりしててね、そういう返事をもらったときに、すごい自分の中でね、楽になったっていうか、軽くなった。

 そういう風に、養豚部の中で進めてもらって、自分が実感したのはね、ともかく、色んな人が力を貸してくれると。

 地図をね、養豚部の地図を、作ったんだけど、まずみつぐちゃんに声をかけて、みつぐちゃんに、絵を描いてもらったりとか、したんですよね。

それとか、写真のことは、沖永さんに頼むとか。

 そういうのは、私は、実顕地の事あんまり知らないし、出版社なんか入ったことないんだけど、それも行って、声かけてするうちに、なんかね、養豚部の中でもすごい、色んな人が、だんだんだんだん人が寄ってきて、朝の出発研とか、4時半のね、4時半から5時の間に、ステージ企画で、歌ったり踊ったりするんだけど、それに、男の人たちもどんどん、くるようなって、10人ぐらいしか、ステージは、やらないよねって思ってたのが、最終的には14人ぐらいになって、その時間にみんな寄ってきて歌の練習したりとか、女の人は耳を付けるの作ったりとか、どんどんどんどん人が、寄ってくるような、それがね、なんか、どういう風になってそうなってるのか、よくわからないけど、すごい楽しくって、寄ってくるのが楽しいっていうか、もう最後あそこにステージにかけたときにはもう、楽しみ終わった状態というか、養豚部ではもう楽しみ切った状態、というか私にとってはね、そういう気持ちでした。

 それがね、自分にとっては今までと全然違う感触というか、なんか一人で頑張って、一週間経って、あー疲れたっていうのをよく、やってきた気がするんだけど、そういうのじゃなくて、なんか手と頭がどんどんどんどん、動くんだけど、なんかね、勝手に、流れの中に乗ってたら、頭と手が勝手に動いて、どんどん進んでいく感触っていうか、それがね、すごい楽で、なんかそういう感触っていうか、自分が初めてかなぁって、

 今までのね、体験の中で、あんまり味わってきてないなっていうのがね、やっぱりみんなの中でやるっていうのはすごい、楽なんだなぁっていうのがね、今年ね初めてね、なんかちょっと、味わったかなっていうような気がしました。

 そういうのをね、ほんともっともうちょっと、それがなんなんかっていうのが、解明できてないんですけど、なんかそういうので、やっていきたいなっていうのは、思っています。

明るく楽しく、そのままで、心通わせてやらせてもらいたいな。

田口佐由合

 今みっちゃんが言ってたことに、ほんと繋がるなと思うんだけど、私は今年、すごい色々楽しかったなっていうのが、ちょっと頭の中から離れなくって。

 まず、大分長い間行ってなかった研鑽学校に、何年ぶりだろう、5年ぶりぐらいかで、2に行かせてもらって、まぁほんとにびっくりするっていうか、もう特講受けたみたいな感じで、すっごいなんか、えーもうほんとに人とやっていきたいっていう風に思って帰ってきました。

 でなんか帰ってから研鑽会とか、基本研とか出さしてもらったり、もうとにかく職場の出発研とかもすごく楽しくて、あれ毎日毎日あって、あってっていうか用意して、私はお茶入れるんだけど、コーヒー入れてみんなに、用意するんだけど、みんながもうそれぞれ、まぁ昨日の連絡研の話も聞くんだけど、もうそれプラス言いたいことをほんとにそのまま出してというか、そういうのとか、仲よし研とかもいろんなとこで、みんなとほんとに心通わすのがすごく楽しかったなと思って、

 もうなんか素顔、素のままというか、飾れない自分がそのまま出ちゃうから、まぁ色んなこと気づかせた分だけ、気づかせてもらったり、みんなの話が聞けたりして、すごく楽しくって、もうほんとになんか去年まで、それなりに楽しいと思ってたんだけどもう全然、違う世界にこうなんかいるみたいな感じで、もうほんとにみんなとやるのが楽しくて。

 体も結構楽で、なんかあの糖尿病なんだけど、抱えてたなと思ったんだけど、それもなんか、ちょっとなんか違う感じで、楽にやってて、日々の事が楽で。

 こないだはすごく、今年の調正世話係に選ばれたときにびっくりしたんだけど、でもなんかやっぱりみんなの中にすごい飛び込んでいきたいっていう気持ちがあってずっと来てたから、なんかもうほんとにそのまま飛び込んじゃったっていうか、もうほんとにこんな私でよかったら、ほんとに選んでくれた人達がいてそれでよかったら、ほんとに一緒にやらしてもらいたいなっていう、本心で、そのままの私で、一緒にほんとにやらして下さい。

 そして、こないだもう一つは職場で、掃除やったのね。年末掃除。

 いつも一人ずつでそれぞれの場をやってて私も宿直室やりました。今度は、豊里会館やりました。って感じで自分の中で一つずつ終わってたんだけど、今年みんなでやらないかって話になって、みんなで、ちょっと知恵出し合って、どこからやるとかいう話になって、12月22日にやったときに、出発研は萩田さんが寄ろって言って、それぞれやりかけてた人もいるんだけどみんな寄って、出発研やって、一気に一時間15分ぐらいしかやらなかったんだけど、すごく思いっきり、土田さんも一緒にやってね、私は土田さんとペアで水かけてじゃーってやるのやったんだけど窓とか。

 すごく楽しくって、なんか職場の人達とこの美化をやれたのが私にはとっても良かって、なんか来年も明るく楽しく、そのままで、一緒にもっともっとみんなと、心通じ合ってっていうか通わせて、やらせてもらいたいなって思っています。

よろしくお願いします。

重なり合う、繋がり合う、それから拡がっていく仲良し班

舛屋友子

 私は仲良し班ていうことで、今年の四月かな、班変わったんですよね、6班から1班に変わったんですけど。

 6班のときは、普段でも15人から20人ぐらいが、毎回の仲良し研に来てわいわいと、賑やかだったんですよね。

 その印象で1班に行ったら、なかなか静かで、寂しいという感じで。だから最初何回か行ってたんですけど、その内、なんとなく行きたくないなぁという感じで、ここで頑張って仲よし班を作るとかいうの、もうなんか息切れする~みたいな感じで、しばらく行かなかったような気もするんですよね。今日はやめとこうかなぁみたいな感じで。

 そんな自分が、ある場面から、変わったというか。

それは、あー今日は行ってみようかなと思って、来客館の2階なんですけど、階段をあがってったら、はるちゃんが、出て来てね、「お茶お茶、お茶がないんだよ」って言ったんですよ。で、「お茶ですか?」って言って、「そう、女の人がいないんだよ」って言って、「お茶がないんだよ」って言って、「じゃ、今日は、お茶無しでもいいんじゃないんですか」?って言ったんですけど、でも、「いやお茶お茶」って言ってて、はるちゃんはね、お茶菓子を買って来て、仲良し研にいつもふるまってくれるんですけど、その時はもう、女の人がいなくて、たまたまというより結構あったんかな、そういうことが。

 それで、誰もお茶を用意していないって言っても、え、いるの?っていう人ばっかりなのって言ってて、で私も行ってみたら、確かに男の人が7人ぐらいだったんですよね。それで、あーと思って、お茶を持ってきたんですけど、その時の、はるちゃんの姿ですか、それが自分には強烈に入ってきたんですね。

 なんちゅうのか、この人すごいな、っていう、まぁ表現でいうとそういう表現なんですけど、なんていうんだろうな、こうぐっと入ってくるっていうそういう表現です。表現をするとそういう感じなんですけど

 それから自分、なんか今の仲良し班に行こうと思った原点がそこだったんですよね。

あの姿っていうか、もう何者なのこの人っていうか、すごいなっていうその、こういうのが自分の中にないなっていうかね。

 なんかそういうそのときの感動と言いますか、その、心の中にぐっと入ってきたものっていうのはすごい、自分の衝撃だったんですけど。それからその、仲よし研にも、やっぱり行こうっていう感じで、行き出して。

行かなきゃならないとかそういうのじゃなくてほんと行きたい。ってそういう感じなんですけどね。

 この前、仲良し研の中で、紅葉狩りに行こうよっていう、その、行こう行こうっていう話が出て、それ実現したいなぁっていうのすごく思えて、実現に向けて、それこそさっき導子さんも言ったように、ちょっと声かけたら、寄ってくれて、それも行ってくれたんですけど。

 それと、先日の選考委員会も、男の人2人は決まってて、女の人2人が、決まらないっていうところがあって、みんなそれぞれ事情があると。でも私にも事情があるんだよねぇと思って、私は、中等部の男の子と夕ご飯食べてるじゃないですか、だからそういう事情があるんだけどなぁって言って、

「その食事にじゃあ入ってくれる?」と言ったら、

「じゃあ、それをやろう。」ということになって、仲よし班の女の人が、日替わりで、中等部の男の子の食事に入ってくれたんですけど、なんかそういうことも、ぽっと言える。ぽっと広がる。そういう感触を今すごく楽しんでて、ちょっとみっちゃんがさっき言ったのと似てるんですけど、なんかすごく重なり合う、繋がり合う、それから拡がっていく、ていうあたりが、今、自分はなんか、楽しんでいるなという感じです。

ここで肉牛があって、牛を飼ってて、あーすごくよかったな

高橋護

 ちょっと滑舌が悪いんですけど 今年入れ歯になりまして。聞こえにくいと思いますけど。

 いろんなことがあったと思うんですけど、道子さんが言ったように、なんなんだろうねぇていう感じなんですけど、去年の養鶏法から、玉ねぎ定植から、なんかこんな動きが始まったんじゃないかな~と思って。

 連絡研が始まって、職場で、色んな職場で、寄るようになって、まぁ乳牛とか、養豚の発表にあったみたいに、なんか職場が、職場らしくなるというか、みんなが寄って、まぁ色んなことを、わいわいがやがややれるようになってきたんじゃないかなーっていう感じがして、なんか、こんな方向に、行ったらいいなーっていう方向に、向いて来たりとか、なんか、止まってた機関車が、ちょっと動き出したみたいなそんなような、感じだったんじゃないかなっていう風に思うんです。

 自分の中で、心に残っていることが2つあって、一つは、石巻の炊き出しに行って、豊里の人達が関わって行くようになって、なんか実顕地って、こんな風にして、いってるんだなっていうのが、なんかすごく、透き通って見えるみたいな感じ。みんなの気持ちが寄ってきたとか、心が、こう一つになっていくみたいな。

 そういうのが、実顕地の中だったら、当たり前でやってるんだけど、そういうことが、なんか外に向かってやると、すごくよく見える。そういうのが、自分の中にあって、なんかそういうのって、自分が参画して20年になるんだけど、こういうことが実顕地って出来るんだなっていうようにすごく思って、そのことがすごく印象に残っています。

 それともう一つは、今年ブラジルから、ミゲルとアナっていう二人の人が実習にきて、研鑽学校終わってから、肉牛に来たんですけど、最後、送り出しをするときに、話を聞いたら、なんか毎日牛と触れて、なんかすごく味わってて、最初研鑽学校終わってから話を聞いたときの話より、肉牛で一カ月ぐらい実習したあとの話の方が、なんかすごく、実があるというか、乳牛の社員さんも、牛とやってて、すごくいいって言ってて、 なんかブラジルの人って、牛と相性が合うのかなっていう風に思ったりもするんだけど、なんかほんとに、こう牛とやって、自分の色んなことに気がついていく、そういう毎日だったっていう風に言ってて、なんか話を聞いて、

「ここで肉牛があって、牛を飼ってて、あーすごくよかったな」っていう風に、すごく思ったんですよ。

そんな風に思ったのは、初めてかもしれない。

 そんなことが、ありました。

 なんか、この一年、みんなの話を聞いていると、なんか、また次の、来年が、すごく楽しみっていうか、そんな風に思っています。また一緒にやっていきましょう。