普段着のけんさん
「『けんさん』って何だろう?」を読んでみて
そもそも「研鑽とは何なのだろうか」という吉田さんの問いかけに、なるほどそうだなあと肯きつつ読んでいると自分の中からも切れ切れの思いが次々湧いてきました。
研鑽の出来る研鑚態度を身につける必要性を痛感しながらも、けんさん理念が達者の割りには日常生活の隅々にけんさんが浸透していないのはなぜだろうか。もっと普段着としてのけんさんを着こなしていきたいものだなあと、常日頃自分も願っている一人です。
さて、一月度の春日山の研鑽テーマは以下のようなものです。
なぜヤマギシズム実顕地なのか
○自分が幸せになりたいから。全人幸福は副産物。
○他にやることがないから。
このテーマで研鑽していると、ふと自分の中からとても懐かしい記憶がよみがえってきました。もう30年以上も前に、当時「けんさん」紙に『ある愛の詩』と題した長文の原稿を投稿したことがあります。内容は、実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという、そんな「いい目にあった、いい思いをした」という体験を綴ったものです。
するとある時、たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに当時春日山のSさんから「佐川節をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがありました。
ところが当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのです。吉田さんもいわれる「おかしな抑制作用」が働いたのでしょうか。それ以降、そんな自分の「ぬるま湯的」生き方を自己批判し意識して封印するようになりました。
そしてご指摘の2000年当時以降、自立するというのかはじめて自分はどうするんだとイズム運動に真正面から直面せざるを得ない状況に追い込まれました。皆そうだったのではないでしょうか。
そんな時です。なぜかあの封印していた「佐川節」の世界がよみがえってきたのです。そしてふと、妄想しました。自分にとって「ぬるま湯的な」もっとも心地よい自己慰安の場所からヤマギシズムにもし橋が架けられたらどんなにか楽ちんでいいかなあと。本当に虫のいい話を思いついたのです。自分の幸せばかり追い求めていたら、その幸せがひいては全人幸福につながる?
そんなバカな、と何度も何度も打ち消しているうちに、もうやぶれかぶれの捨て身の覚悟からの瓢箪から駒でした。だから橋が架かったような感触が得られた時、ヤッターと思わず心の中で叫んだものです。当時は吉田さんと同じく自分も山岸巳代蔵全集の編集に専念させてもらっていました。村の研鑽会も出ないでただひたすら編集に打ち込みながら、ほとんどは「佐川節」から自分がヤマギシズムそのものだといえるところまで、またその観点から、裏付けとして山岸巳代蔵の発言を検証するという作業を密かにやっていました。それはそれは愉しい時でしたが……。
これは吉田さんに限らず他の人にもある見方だと思いますが、例えば「理想社会が未だ実現されていない」とか「未だ研鑽で解決されていない様々な問題が山積されている」とか「内部で熾烈な対立が続いている」とか「骨肉の争い」といった表現があります。他にも「長がないといいながら、その実管理するものとされるもの、独裁者的リーダーがいるではないか」と現状組織の末期的退廃を嘆く見方もあります。
一方自分らの心の中では、すでに理想社会は実現してあり、問題を問題としてみない見方が確立されてあり、矛盾点はすべて解決済み、例えば吉田さんの問いかけにある六川と紀南との微笑ましい兄弟(親戚)げんかも、あとは研鑽によって溶けていくだけの前途洋々とひらけている観点があります。
ここでは二つの観点の是非を論じることが目的でなく、一つの現象がなぜどうして見方によってこんなにも異なるのかです。もし人は自分の心の中にあるものを通してしか見えない、心の中にあるものが現実に映るものだとするならば、何を心の中にもっているかが問われているのだと思います。
自分だったらそれは、さきの「○○節」というか「実顕地の中でのいい目にあった、いい思いをした」体験や研鑽によって励まされたような心の体験の数々なのです。そういう幸せ感を通して現状の実顕地をいつもみています。後者の観点に立ってこれからも生きていけたらよいなあと念じているのです。
これは誰もが実感・体感するところですが、人間一人で為すよりも皆で力を合わせてやれることの大きさを痛感します。いや、人類の文化・文明史がそのことを実証して今日に至っています。ところがヤマギシの実顕地に限らず人間最低三人寄って集団を組み始めるやいなや、一人や二人の世界では生じなかった様々な問題・軋轢・齟齬をきたします。どんなグループや組織であれ最初は善意の全員納得の同意から出発したものが、いろんな事情や想定外の事態でそのうち集団から抜け出したくなる場面に当の自分自身が直面します。人間社会史はそうした離合集散の繰り返しだといってもよいでしょう。いやはや、一人で暮らせるものならどんなにか問題も発生しないでよいと思うのですが……。
そこで登場したのが、「けんさん」です。実際お互いの立場を放すという「けんさん」があったからこそ曲がりなりにもここまでやってこられたなあと拝みたい気持ちが出る一方、吉田さんがご指摘されるように、まだまだかつてない「けんさん」の威力を自分の手足のように使いこなせないでいる自分らのアホさノロマ加減に苦笑するものです。
どちらにせよ、そんな試し試しの日々の一コマ一コマが面白いのです。あの2000年当時の学習効果でしょうか、自分らは不幸の根源は自他の我執にあるとして、そのことを直接話法で指摘し合い取り除くよりも、間接話法で本人も気付かぬうちに解消していく村づくりのコツを学びました。一つ進展したのですね。しかも、他にやることがみつかれば、願いが叶うような仕組み制度も整備されてきました。少しは生長しました。
また吉田さんは、現状の「単なる話し合い・打ち合わせの代名詞」として使われている研鑽レベルを深く憂えておられるようにも感じました。確かにそうした現状把握・認識は村づくりには欠かせません。しかしそれはあくまで自分の腹の底に納めておく質のもので、だからこそ間接話法でむしろ日々のちょっとした話し合いや打ち合わせにも互いの心を通わせ、そこにイズムの花が咲いているのを見つけた歓びをこそ皆で味わいたいものだと自分自身心しているところです。
なべて自然全人一体の地球上の輪の中の出来事なのですから……。
間接話法について、ずっと考えてみています。
普段着のけんさんの中で言わんとするところ、あるいはソンジュン君が紹介してくれている、日本のきものの美しさの例とは、少し違うかもしれませんが、日常の暮らしの中で、間接話法、何か見出せないかと思い…。
例えば、「トマトの味は、トマトを実際に口に入れて食べてみなければわからない」ということがあります。そのことを自分に引きつけて考えてみると、私の場合、最近こんな体験がありました。
集卵台車で、とっての部分をパイプのようなもので角ばった形に溶接して修理したもので、見た目に押したり引いたりしにくそうな台車がありました。
ずっと使いにくそうだと敬遠していたのですが、その台車を実際に使ってみると、今の集卵量を載せるのにはよく収まり、割合軽く押せるものだと実感し、それを使うようになりました。
ひとつの例題(話なども)から自分を振り返り、自分に引きつけ考えることができる、そんな話の投げかけ方があるように思います。もっと考えてみたいです。
きょうチョッと感動しました。
遅ればせながら今日初めて春日山の製麺工場へ職場交流に行きました。太陽の家(私の職場)は火曜日のうどんの日に行っています。私は製麺工場が出来た時も参観にいかなかったので今日初めて製造現場にはいりました。最初に更衣室に入って、そのナント整然としかも細やかに用意されていることか。当り前なのかも知れませんが、、、。
こんな光景を前にも見たなーと思ったのです。明和実顕地の鶏移動に行ったときの更衣室、
何年か前に研鑽学校で美里の内山養鶏場に行ったときの更衣室(その時は研学生みんなで感動して、話題になったの)私の知らない所でまだまだあるのでしょうが、、、。
そこに同じ質のものが流れているように見えたのです。(私の多分な思い入れですが)
佐川さんの『イズムの花』と言う言葉が心に浮かびました。
「間接話法」について、考えてみました。
ふと思いおこすのは、去年2月に参加した養鶏法研鑽会のある場面のことです。研鑽会の時、会場の各自のスリッパは、けっこうごちゃごちゃとぬいでいました。
ところが、期間の後半、最終日の数日前あたりから廊下のスリッパがそろってきたのです。
誰かが「そろえましょう」と声をかけたわけでもないのですが。そのことは、私の心の中に深く残っています。
おそらく、一人一人の心の中に、自分のことしか目がいかないのではなく、他とのつながりの中の自分を自覚し、意識しはじめたりよくしていこうとする気持ちがととのってきてスリッパがそろうようになったのかな、と思ったのです。
こういうのを間接法というのではありませんか。
「普段着のけんさん」を読んで思ったことは。吉田光男さんの「けんさんってなんだろう」について、その内容を批判するのではなく、日常の些細なことに、もっと目を向けて、その事象をどう自分がみているか、その内実を問いかけてるように思いました。
私の心の中にあるもので、そとのことが”みえる”、というか映ってくる、というものでしょう。
何か佐川さんの文章には、あたたかいものを感じました。
呼びかけるもの、かけられるものがありました。
「ある愛の詩」ものせてくれていてそれも読みました。
これまでの実顕地生活や、人生の中で触れたり、受けたり、体にすり込まれていることの中に人と人とがつながっていく本質的な宝物があるような気がします。
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Faxで届きました。投稿を代行します。(美里実顕地 沖永健介)
交流で別海実顕地にいます。夕べ幸福研があり佐川さんの「普段着のけんさん」を読んで出し合いました。「けんさん」と平仮名だと新鮮でやさしく普段着っぽい。「けんさん」の場に出すことで自分の思いがはなれ、そのこと自体が間接話法かも?「けんさん」は否定がなく出された意見を足し算していく感じ。自分の心は既に解決されているとは、とても言えないが、そう言える世界があると知って嬉しい。などなど。
これまでの実顕地生活を振り返り、「言われるのが大嫌いで、そのくせ言うのは好きで言いたい放題」の私を直接いじることなく、いろんな場を用意してもらい気付けるように気付けるように背中を押してもらってきたなあとつくづく思いました。
「間接話法」について、調べてみました。
実顕地で昔からよく語られてきた言葉の中で、
というのがあるようです。
それから、
『山岸巳代蔵全集第7巻(104~105ページ)』に間接話法について以下のような文章もありました。
うーん、分かるようでよく分からないな~
30年以上前の「けんさん」紙に掲載したという『ある愛の詩』ですが、春日山コラムにありました。↓
http://www.kasugayama.or.jp/colum/newpage9.htm
30年以上前に書いたものとは思えない、まったく古さを感じさせない文章だと思いました。
部屋で一人で憂いているようにはなりたくないですね。
日常のひとこまひとこまを皆と共に、暮らしの中での研鑽を積み重ねていきたい
そんな中で共に育ちあうようなそんな暮らしこそ実顕地生活かと思います。
未熟なもの同士で育ちあい、その中からまた、新しい未熟な命が生まれ出てきます。
とにかく、ずっと未熟なのだ。 生き方、方向性、なにがやりたいのかそれだけでしょう。と思う。
今思うと自分は今までよくやってきたなと思う、今思うとですよ。 とにかくみんなと一緒に暮らしてきた。
村の風呂に入り、愛和館でご飯を食べて、みんなと同じ屋根の下で寝ました。36年間。 幸せでしたよ。
自分の本当の幸福を願い、やっているうちに自然とそんな社会が・・・
そんなのが一番いいなあ それがもっとも自然で無理がない
佐川さん なかなかロマンチストなのですね(笑)
とても暖かい観点だな~と思いました。
間接話法ってどんな感じですかね?
心の中にあるものが現実に映る。
今の自分にとても響く言葉でした。
何を心の中に持っているか、自分を見つめてみたいです。
普段着の研鑽 と言うタイトルが まずもって良いですね。
郁恵ちゃんも書いていたように
「間接話法」って、佐川さんの中では どんなイメージなんですか?
簡単な実例などあれば 書いてもらえると嬉しいなあ・・・。
この文章から、日頃佐川さんが、「おおらかで緩やかな心境を味わっているんだな~」
と受け取りました。
直接話法・間接話法、それぞれが、使いやすい方を使いながら、
読み取り合って、暮らしていきたいです。