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陽光館燕ものがたり 【その3】


陽光館の軒先にツバメが巣を 5/18

 

 いよいよ巣立ちの時がやってきた。6月20日朝、巣に動くものはなく全員の巣立ちだった。しかし夕方には巣は子燕でいっぱいに盛り上がっていて、親燕も少し離れて竿に止まっていた。それは、今迄の私の「巣立ち」という概念を変えるものだった。
 一度巣立ったら二度と巣には戻らないものと思い込んでいた。17日、1羽巣から出て親と並んでいたが、親が飛び立つと、ヨチヨチ歩いて巣へゆき、よじ登り巣へ納まった。あれは、明朝巣立つのではと思ったが、的中して18日その1羽がまず巣立った。そして午後は1羽を残して全員が巣立った。

孵って間もない燕たち 6/6

 その日の夕方には全員が帰ってきてズラーッと顔を並べていた。1、2、3、4、5アレ?5羽も居る。通りかかったせつ子さんを呼んで数えてもらうがやっぱり5羽と言う。「エーッ」私達老蘇は全員が4羽と思い込んでいた。研学でキメツケ外れた時よりもっと動揺した。早速雄物川Gへ「りんご摘果交流」の妙子さんに「ビックリシャックリ燕の子5羽も居た」とFAXする。

親から餌を 6/13

 19日も1羽を残して全員出払った。残った1羽に親が時々餌を運んできたり、たまに4・5羽が巣の近くに飛んで来る。広い天地を得た子燕たちのはしゃぐように見えるにぎやかさ。残った1羽はチッチッと鳴いたり、羽をウーンと広げたりしている。午後になり台風4号のご襲来、風雨が強くなってきた夕方、案じていたら、ちゃんと子燕も親も帰ってきている。育ちの状況や環境の変化で親達は巣へ誘い、もう大丈夫となった時、ほんとうの巣立ちとなるのだと思った。

 10日程前、鴉が2羽近くの桜の木に来た。落ち着きのない鴉に、さして意味があるとは考えなかった。少しして親燕の動きが慌しくなり、巣の方へ来てはバタバタと大きく羽ばたき、又、桜の木へと何度も繰り返すのである。燕の親にとっての鴉は途方もなく大きく、ましてその嘴(くちばし)は…50gにも満たない様な小さな体で、鴉を牽制し、雛に危険を知らせていたのだ。通りかかった小林さんに話すと「雛を狙っているから鴉を追っぱらって」とのこと。私は桜の下で低くドスをきかせて「こらあ」と言ってみた。すると、彼らはうしろめたそうに首を垂れて(ホントです)木の上へゆき飛び去った。それは悪さを見つかった子供の仕草そっくりだった。

 翌日からしばらく鴉は来なかったが17日の朝、又1羽やって来て、桜の木から、外灯のてっぺんに飛び乗った。すると又、果敢にも親燕は鴉に向かって鋭く飛び交うのである。足場がぐらつく鴉はほどなく去ったが、時間にしてはわずかで、道を通る人は全く気づかない。
  
 

『六月の鳥の攻防ひそやかに』

 文字通り体を張っての燕の子育てに、衣・食・住豊かな村での暮しの自らを省みて恥ずかしいと思った。誰に教わったのでもなく、手狭な巣の中で向きをかえ、お尻を出してポチリと白い糞を落すのである。もし1羽でも機嫌を損ねて突き上げたら下へまっさかさまで、その状態は自然界の意思、公意とも思えた。この1ヶ月余の燕の子育てドラマに改めて巣を賜ったのだと思った。

お尻を出してポチリと

 熊雄さんが空(から)になった巣を見上げ乍ら「燕と一緒の出発研だったなあ」の一言に、ジィジ、バァバは一様に首肯いた。秋には何千キロも海を渡ってゆく小さな体に秘められたパワーと叡知に感動し、彼等の無事を祈るばかりだ。
 

『夏空へ吸ひ込まれゆく巣立ちかな』

【春日山実顕地 筒井和枝】
これまでの燕ものがたり → 燕ものがたり その1・その2

とびたった燕の巣 6/22