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寧日 やすらかな日々【エッセイ】


現象界が どうであれ

常に 満ち足りてある こころとは いかなるものか

この世の中に起きる すべての事象は公意

受けとめるしかないもののように思える

雨も 風も 青空も 何もかも

すると 人間が関わって起こりうる様々な事象も

すべて 公意になってくる

そうなってくると 自分の

心の底流に 流れているものが

エゴから発するものであるのか

ひとや社会を 愛する心から 発するものであるのか

こころの有り様が 問われてきてしまう

心の公意とも いうべきものが みんなの暮らしの中にあり

心の公意を みんなで 生み出して

保ち合い 補い合い 愛し合う 

そういう 心の公意を見いだすために

このヤマギシの村が ヤマギシズム社会があるとしたら

それは それは 人類にとって またとない

「豊かな社会」の提案なってくると思うのだ

公意への見方 考え方が 豊かになって

公意に 縛られる感覚から 

今できる 最高の 心の公意を生み出していく社会

公意というものに みんなで命を吹き込む 社会形態 公意行

「われ、ひとと共に繁栄せん」と 心の息吹が聞こえてくる

それを ヤマギシズム社会と言ってみると

トンと 合点がいくのである

干し柿づくり

干し柿づくり

和枝さんが 春日山の干し柿に 

なんとか 粉が吹かないかと 願ってする  

人に求められずとも そうならないかと願う 行為に

心を感じて  

そうならないか みんなが幸福にならないか

こうしたら ああしたらと

心が動く姿が 公意を見いだす 心の元に なるように思えて

ああ、寧日

日々是好日(ひびこれこうじつ)である。


【春日山実顕地 柳文夫】