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新年を迎えて
【豊里】


繋がり産まれてくる仔に

一年を振り返る、一年を描く。

単純な疑問?

六十を過ぎた自分と詩乃や和真の一年は同じ?

違うよなあ~ やっぱり!

五歳の時間、十五歳の時間

青年の時間、老境の時間。 続き流れている時間。

それぞれの年代の時間を持っている。

兄姉が弟妹の世話をするようにちょっと下の世話をする。

繋がり繋がり産まれてくる仔に村人みんなの想いがあつまる。

それが「学育」の始まりでは?

鈴木義樹 豊里実顕地
 

もっとひとつでの底力が出せそうです

昨年、飼育から精肉、加工までを一貫して養豚の経営としてみていこうとやってきました。精肉の作業に関わったり、加工部門に養豚部としての人材を配置してもらったり、また供給の人とともに企画を考えたり、まだまだ充分とはいえませんが、具体的に動きが進みつつあります。

今年は次のステップとして、中身の面でひとつの経営でやっていくにはどんなことができるでしょうか。

精肉、加工の作業というのは、傍から見ると専門職で熟練した人しかできないように見えますが、中には初めての人でも時間さえかければやれそうな作業内容が結構あります。最初から最後までその人でなければ、ということでもなさそうです。これをなんとか別の人でできないものかなあ、飼育の人が時間メンバーで入れないかなあ、他職場の人が関われないものか、体力のない人でも、その位ならと・・・。そのことでもっと多くの人がミートセンターに出入りしたら面白くなりそうだな、なんてなことを考えたりします。

元々は豚を飼っていた人が、肉を捌いたり、香りをつけ保存性を高めるために塩漬け、燻製にして加工したものを、今はその規模が大きくなって分業してるだけですから、精肉、加工の面白さを飼育の人も味わわないともったいないです。

精肉の年末調整の体制も毎年あることなので、牛の精肉のできる人がその時期牛精肉に専念できるよう考えたいです。この曜日なら飼育の人が、豚精肉の一部をできるようになって牛精肉に送り出せるようになるとか・・・。

昨年の終わり頃、四日市畜産公社のカット場に出向いている精肉メンバーの人たちと田の山で焼き肉をやりました。普段は四日市に行って作業をしているメンバーですが、田の山に来てもらうことで、飼育メンバーとの交流になり、飼育メンバーもこういう人たちが豚肉を精肉してくれてるのかと知り合え、こんな機会をもっと増やさないとなと思います。実際、動いてみて、行ってみて、話をしてみてみえてくるものがちがってくるし、なんせ人が入ってきます。

もっとひとつでの底力が出せそうです。

販路についてもヤマギシの豚肉の引き合いがいくつか出始めています。昨年夏に関西の食品業者から豚肉を取引したい話があり、今ではひと月250頭の出荷を続けています。年末にそこの業者から銘柄豚として出さないかという話があり、うちの豚肉を評価してくれているようです。関西で豚肉を広めるのは難しいとよく耳にしますが、今年はその話をどこまで進められるか楽しみです。適した銘柄豚のネーミングがあれば募集します。

と、こんなことを考えていますが、ひととともにの方向へ、いろいろな部門との研鑽で進めていきたいです。

生原秀幸 豊里実顕地
  

「お裾分け」の原点は変わらない

みんなで作って、みんなで食べよう。 今年は野菜をたくさんつくりたい。

去年も増やしたつもりだったが、要望に十分応じきれなかった。幸いなことに良質な堆肥がたくさんあるし、広い畑もあるし、近くには未耕地もまだある。こんな好条件の中で、野菜作りを活かさない手はない。作る人さえいれば、まだいっぱい作れる。ネオポリス農場も去年あたりから賑やかになってきたが、まだまだ余裕がある。他の仕事を持っている人がいくらかの時間を割いて一人一品目から始めても、シーズンを通したら一人3品目ぐらい作れるだろう。たくさん寄れば大きな時間になる。

ざっくり作って、丁寧に調理して、 おいしく食べよう。

畑ではこんなぶ細工なキャベツで大丈夫なんだろうかと心配するが、愛和館に出ているキャベツはまるで魔法にかけられたみたいにきれいに仕上がって食卓にあがってくる。ここには、粗野な野菜もうまく調理してくれる人がいて、それをおいしく食べてくれる人がいる。スーパーに並ぶような芸術品の野菜でなくていい。見かけは悪くていいんであって、それなら手間暇かけない素人百姓のやり方でやれる。全体作業で植えた玉葱なども、味で言うならプロの農家にもひけは取らないと思う。

そして周りにもお裾分け。 たくさん出来た旨いものは 知人にお裾分けしよう。

自分たちが作ったものを自分たちで食べるのはおいしいが、それを知人にわけてあげて、おいしく食べてもらえたら、これはもう、作り手冥利につきる。もっとおいしいのを作ろう、またわけてあげようという気にもなる。「お裾分け」はしかし、直接の知人だけとも限らない。高野尾の人もいたり、東京の友人もいたり、そういう知人やお隣さんへのお裾分けがどんどん拡がって、いつの間にか、難しく言うと、「供給」と言うことになってきても、はじめの「お裾分け」の原点は変わらないと思う。 「お裾分け」できるぐらい作りたい。

沖永和規 豊里実顕地
  

本当の生き方を共に探り、共に実践していきたい

オーストラリアの人と一緒に特講、高研、研鑽学校をやらせてもらう中で、感じたものが大きく二つあります。

一つは実顕地にいると気が付かない、実顕地生活を通して私の身に付いたものがあって、それにオーストラリアの人が惹かれることです。

もう一つは、普段は研鑽の空気の中にいると結構やれている気になってしまいますが、研鑽をまだ知らない人たちの中に自分の身を置いてみると、自分の聴く態度、言う態度、一体観などがどの程度のものか、明らかになることです。 その人達の一生にかかる一度きりの特講と感じながらも、それでしかやれないのです。

毎日の実顕地生活をもっと大事にしたくなりましたし、研鑽学校にもまた行きたくなりました。

今年もオーストラリアの会員が、研鑽学校と実顕地の実習に来ます。 実顕地というのをどうしても形で捉えてしまいがちで、オーストラリアで実顕地をつくりたいと思っている人もいますが、まずその人達と一緒にやりたいのは、特講と研鑽学校です。 本当の生き方を共に探って、共に実践していきたいです。

そういう意味で、諸国の人が入る研鑽学校に、実顕地メンバーも積極的に参加して欲しいと思っています。

梶山リッタ 豊里実顕地
 

突き動かされる何かがある

あけましておめでとうございます。今年はどんな一年になるか楽しみです。

昨年一年は私事ながらいろいろありました。念願の井戸が掘れました。掘り始めと同時に厳冬のモンゴルへ行きました。娘の高校受験がありました。研学Ⅱに行きました。モンゴル実習生がやって来ました。養鶏法の係に入りました。などなど、どれも自分にとっては大きなことでしたが、そんな中でも、やはりモンゴルのことに関わらせてもらったことが大きかったと思います。

役目だからやらせてもらうというよりは、突き動かされる何かがあるように思います。彼らに対する情と云う様なものだけではなく、運命的というか本能的というか使命感というか、うまく表現できませんが、そんなものに動かされている感じがします。

そういう感じが自分だけでなく他の人にも感じられ、それが実顕地全体として暖かい雰囲気を醸し出してきているようにも思うのです。もちろん彼らの人柄や真面目な態度があってのことなのでしょうが。

自分に出来ることはそれほどありませんが、出来ることは精一杯やらせてもらいたいです。

それから、養鶏法の係に入って、自分が余りにもヤマギシズムについて知らないなという事を自覚しました。もう少し知っていきたいと思います。

M.K 豊里実顕地