『一つになり合っていく』イチゴ狩り企画
四日市供給所では、春の『イチゴ狩り』と秋の『りんご狩り』は、年中行事になっています。
毎年楽しみにされている活用者の方が増えてきています。
一家族から始めた『イチゴ狩り』も、去年からマイクロバスを出すようになりました。
先日、『春を味わう』という企画を開催しました。
イチゴ狩りを楽しんだ後、、つくしんぼを採ったり、緑地公園を散策したり、展望の丘でダンボール滑りなどで遊び、大いに春を楽しもうという企画。参加者は総勢50名の規模でした。
参加者の多くの方々は、満足されたように思います。
皆さん一様に「楽しかった。来年もまた来たい。」と満面の笑顔。
後日、感想をメールで伝えてきてくれた方もいました。
子供も大人もダンボール滑りに大はしゃぎしてくれてたし、参加者同士が仲良くなっていくのもよく見えました。
ダンボール滑りで、展望の丘のあまりの急斜面に怯んでいる息子に、お父さんとお母さんが滑って見せ、その姿に息子が安心したように滑って遊べるようになった場面があり、その様子を他の参加者が「子は親の背中を見て育つ、子育ての鏡のようだった」と感想を出したりして、和気藹々でした。
別れ際、一人暮らしの年配の方が、「また、会いましょうね。」と他の参加者の方に言っていたのがとても印象的でした。
しかし、今回の参観企画は、いちごハウスや愛和館のメンバーの人達をてんてこ舞いさせてしまったのも事実。
◎いちごハウスに詳しい連絡を全くしていなかったこと。
◎12時30分食事予定なのに12時になるかならないうちに愛和館に入ってしまったこと。
この二つが直接的な原因。
いちごハウスへの連絡を託したつもりが、当人にその役割がハッキリと伝わってなく、連絡が抜けてしまっていました。
参加者を愛和館へ先導する役割のスタッフにスケジュール表を持たせただけで、時間厳守の再確認などをしていませんでした。
火の見櫓に登って全体を見回す立場の自分が、参加者と一緒になってダンボール滑りに夢中になって遊び呆けたりして、全体を観る考え方が希薄で、その場その場の対応に追われてしまいました。
どれもこれも基礎的なミスです。恥ずかしい限りです。
豊里メンバーの「どんなことがあっても受け入れよう」という姿勢に助けられた企画運営でした。
自分なりに『一つから発し 一つになり合っていく』というテーマを通して自分の内面の在りようを省みてみると、『役割を委す』ということなどに対しての自分の捉え方が、てんてこ舞いの根本原因ではないだろうかと思い至りました。
つまり、自分の捉え方をデフォルメして表現すると「この役割は、あなたに委せましたから、私には関係ありません。この役割の責任は、あなたにあります。」委せるというよりも突き放す感じ。というよりは「私は私。あなたはあなた。」という一つでない世界からの発想。
相手の心に寄り添うことが『聴く』ことの大切な要素であると同様に、『話す・伝える』時にも、どれだけ自分の心の触手が相手に伸びているか、相手の在りようを自分の心が添おうとしているかが重要なのかも知れない。
『一つになり合っていく』というところに繋がっていくのだろうか?
来年も同じ企画で同じメンバーで参観企画に挑戦してみたいと思いました。