タイ実顕地25周年
Posted by タイ実顕地 上田康雄 | 2013年 4月 15日 PM 1時 03分 in 国際

今朝みんなで撮った一枚(4/14)
この4月で25年になります。
1988年に入植した時は「タイ農場」と呼んでいました。
ゆっくりした時の流れのなかで、交流で来たいろんな人達や社員さんや地域の住民とボチボチなんとかやって来ました。
そして、やっと「タイ特講」にむけて動き始めました。
3月下旬にはタイ実顕地の後見人であるレックさんとブンチョンさんを日本の実顕地へ案内しました。
ブンチョンさんは滞在最後の日に「大事なことは形でなく精神だな」という意味のことを言っていました。
これからもタイ実顕地から「贈り物」をタイの人達のこころもとへ届ける仕事をやっていきたいと思っています。
【タイ実顕地 上田康雄】

レックさんとブンチョンさん
豊里ファームオープンで(4/7)
祝!タイ実顕地25周年
豊里実顕地 沖永和規
豊里実顕地には、タイ実顕地の同窓生というか、タイ実顕地に交流に行った人が多いのにいつも驚きます。上田さんが来ると、すぐに集まれる人が多い。
タイ実顕地の空気がそうさせるのでしょうが、ある意味、上田さんたちの人間性にもよるんでないかと、つい、この前、話題になったばかりです。
1988年は、ヤマギシの年表によれば、スイス実顕地、ブラジル実顕地と、相次いで海外実顕地が発足した記念すべき年です。
実顕地は、規模や内容を問わず、その場にあるだけで意義あるものと思っています。あることで、将来において、限りない展望と希望が開けてくるからです。規模は小さくとも世界中に広がる。それは海外実顕地ならではのことでしょう。
幾多の困難さを克服しながら、その場にあることを持続してきた同志に敬意を表します。
この機会に、タイ実顕地の歴史をまとめた小冊子でも作ってみたいものです。
交流に行った人のアンソロジーだけでもいっぱい集まるのではないでしょうか。
特講中に考えかんがえ、ためつすがめつの数日、午後の研鑽がはじまると真っ黒に日焼けした人が真ん中の座布団にすわると、上田です、タイから来ました、短く挨拶して実顕地のことを話してくれました。上田さんはトイレでもう一度あった時、ぼくにおれは一年にひとり特講におくる、でやっていると言い、ぼくを見ました。ぼくは長いことニューヨークのレストランでタイの人たちとフランス料理屋で働いていて、誇り高い彼らに助けられたり、困ったりでしたので、上田さんの飾らない人柄と眼差しが心に残りました。
そのあとすぐに、アメリカ実顕地へ出発して、カリフォルニアから職場の人を特講に送ることができました。
そして、日本に来て養豚から豊里食堂にやってきたときは、数百人、多い時は二千人以上の人の食事を作る、それはもう寄る辺ない心もとの日々の仕事でしたが、
そのメニューの煮卵のゆで卵のからむきに、小ちゃな女の子たちがきてくれていて、そのなかに可愛いかわいい、果林ちゃんがいた。その時は
彼女が上田さんの娘だとは知らなかったけれど、後には加奈子ちゃんとも言葉をかわすようになり、いつでも微笑んでくれるふたりをどこかでぼくは、励みにしていた。
いまはふたりとも、可愛い、あいかわらず。そしてそれぞれ、素敵で
頼りになって、礼儀正しい旦那さんがいて、親しい気持ちです。
毒蛇は急がない、とタイの言葉にあるように大物は悠々として外さないのだ、上田さんの風貌が語っているようです。
アメリカ実顕地は20年。30年前、合衆国上院議員スパーク マツナガは
ワシントンの彼の執務室で星条旗でぼくをつつんで、これからは日本とアメリカが二度と戦争をしないように、マサミ、おまえは忘れずにアメリカで暮らしなさい、と固く手を握って言った。
ぼくはいまは日本で生活していますが、この土地が自分の国だと思えるように外国からやってくる人たちの役に立てたらと思っています。
育った環境、考え、それらのちがい、というのは外国人だからだ、というわけでもなく、すぐとなりのひと、そしてぼく、海外実顕地というのは、日本にこそ、自分の心にこそ、作り、育てていく、そうではないのかと、思います。上田さんの流した汗の一滴に及ばぬ自分のかんがえですが、なんというか、これから、悠々とはいかないけれど、志をわすれることなく、日々を、ですね。
ありがとう。
タイ実顕地の皆様
25周年おめでとうございます!
皆さんの投稿文読んでると、胸が一杯になって
うんうんそうそうと同感ばかりで、書くこと無くなって…
2月に訪問出来てほんとうに良かったと思っています
ますますの発展楽しみにしています! 一緒にやらせてください。
タイG25周年おめでとうございます。
25年前に私達夫婦は2人揃って特講を受けて今船南Gでやらせてもらってます。
1年程前から奥村通哉さんや多くの会員さん達と船南幸福研を一緒にやらせてもらってる中で、2月のタイGの報告会で通哉さんが撮ってこられた沢山の写真を見て、行った事のないタイGがとても近くに思えて嬉しかったです。
奥村通哉(京都)
[代筆]東度 千鶴代
「タイG25周年おめでとう!」
上田さん 先日の3/31に春日山の日曜市で思いもよらずお会いできてうれしくて涙が止められませんでした。
2月初めの一週間 いろいろ温かいおもてなしを受け発足当時から現在に至るまでの貴重な体験と実践を聞かせて頂きました。
そして今日村ネットで25周年のご報告と 皆さんのコメントを読んで私の知らない数々のご苦労をヤマギシズムの「魂」で乗り越えて来られたことに改めて敬服と感謝の気持ちいっぱいです。
そして、それを支えてこられた師代さん、お2人の娘さんはじめヤマギシの一体家族の繋がりの偉大な力。
「愛和・一体・研鑽」と表現された山岸先生の理想そのものがこのタイGで立派に顕現されていると実感しました。
遅まきながら、関連するタイGのニュ-スも見ました。
今まで交流を深めてこられた沢山の人々があり上田夫婦、川添夫婦の確固たる2家族に加えて佐々木めぐみさんの熱意と行動力によって
タイ特講実現の日も近いものと楽しみにしています。
25周年おめでとう、まさにゴ-ルデンスタ-トですね。
50周年に向けてのゴ-ルデンスタ-ト
Let’s Go!
See You
平成25年4月20日 (船南G幸福研鑽会の朝)
自称 ヤマギシズム社会の村人 奥村通哉
上田さん、師代さん タイ実顕地25周年おめでとうございます。
交流に行かせてもらって早3年の月日が過ぎました。
空港に向かえに来て頂いてからのタイの暮らし3ヶ月は私にとって 心身の涵養 そのものでした。本当にお世話になりました。
何かある度に思い出としてではなく 一緒に毎日やらせてもらっているような感じがしています。洗濯物を干しているとき上田さんはノースリーブのシャツ半ズボン姿かな?コンボスト 元気してるかな?
エビカツが食卓に出てきますと師代さんが心を込めて揚げている姿やエビ工場の社員さんの笑顔 あのときのオクラはどうしたんだっけ?すっぱいマンゴー食べているのかな?とか。
上田夫妻に受け入れて頂いた事で私のタイ交流は 更に毎日続く の実践に繋がって登場しています。
一緒にやらせてください。
果林ちゃんのコメントを読んで、胸が熱くなりました。
一瞬のうちに果林ちゃんのお母さんになったような、果林ちゃんになったような、不思議な感覚です。
この25年間、どんな言葉にも表せない、様々な思いと時間が親子の間にあったことと思います。
そのどれもなくしては、今のタイ実顕地、今の上田夫妻、今の加奈子ちゃん、果林ちゃんもないはず。
これからも、一緒にやらせてください。
タイ実顕地で私は2年間を一緒させてもらい人生観が変わり、豊里に戻った時あまりのギャップに戸惑った事思い出します。私の原点です。
25周年おめでとうございます。
すごいですね!
ここのところいろいろあって沈んでいましたが、そんなのちっぽけですね。
タイでの マイペンライ ですよね。
豊里ファームで上田さんにばったり会えてうれしかったです。
25年のほんの1ヶ月でしたが、かかわらせてもらって良かったです。
ニーム茶も毎日頂いています。
50周年に向けて リセットして楽しみましょう。
温かいメッセージありがとうございます。
今朝、娘達に、「25年間ありがとう!」とメールしました。
本当に、この頼りない親は、娘の支えなしにはタイでやってこれなかったです。親らしい事って全然出来なかったけど、
「まだ間に合うかな?」って、いつも思いながら、これからもずっと二人の親でいようと思っています。
昨日から26年目に突入して、「あぁー、次は50周年かあ。」
って思ったら、ちょっと気が重くなりました。
でも、ちょうど孫の圭吾君が幼年さんになって、そうだ!タイ実顕地もリセットなんだなって実感しました。
圭吾君に負けないよう、新鮮な気持ちで日々やって行こうと思います。
今日、タイ実顕地は25周年を迎えました。
皆で今晩お祝いしようと考えてます。
私案ですが「お祝いの言葉」をつくりました。
「上田さん、師代さん、25周年おめでとうございます」
このような記念すべき日に、ご一緒できますことは大変光栄に思います。
参観案内を受けながら上田さんが語られるエピソードのひとつひとつは私の心を熱くするものばかりでした。
特に、地元で芳しからざる方と評されている人への致し様は,上田さんの人柄とイズムの真価が相俟って、仲良しの村の礎となっていったことがよく理解できました。
師代さんのヤマギシズム便りを読んだときの感動も忘れられません。
アメリカ原住民の大陸縦断のはなしでした。
彼等はある時歩くのを止めました。その訳を尋ねると、私たちは急ぎすぎた。魂が置き去りになってしまった。だからこうして魂が追いつくのを待っているのだと言ったそうです。
そうか師代さんは魂と共にを、心において歩んで来たんだ。
エビ工場での、和気藹々とした出発研の様子が得心できたのです。
上田さんのフロンテア精神、師代さんの優しさと芯の強さ、これら一体の夫婦としての歩み、即ちタイ実顕地25年の歴史は全実顕地の誇りであります。お二人の魂の成した偉業です。
これからも幾多の試練が待っていることでしょう。
私は確信します。必ず乗り越えて前進していくことを。
ほんとうにおめでとうございます。
2013・4・13
タイ実顕地交流 小澤善二
私が3歳のときの4月、両親がタイへ出発しました。今、ちょうど自分の娘が3歳です。
父も母も、6歳と3歳の娘2人を日本に残してタイへ行って、そりゃあ色んな思いがあったでしょうが、(もちろん姉も私もね)私は両親がタイ実顕地を25年も続けてきてくれたことに、ありがとうと言いたいです。
それから、この25年間、本当に色んな場面で色んな人達に、私たち家族は支えてもらってきて、今があります。皆さん、どうもありがとうございます。
今までに沢山の人がタイ実顕地を訪れて、色んなことを味わって、そんな一人ひとりが芸術家となって『タイ実顕地』という作品を共に創り上げてきたんだなぁ。そしてこれからも・・・。
25周年嬉しいですね。
タイでの交流で、上田さんが私に「日本人は特殊だからな」と言ってくれました。私はその言葉が今でもお役にたっています。
私の中でアンビリバボーがなくなりました。心穏やかです。
今年韓国で社員の方がタイからこられました。私は知る限りのタイ語で挨拶しました。サワデーカー、アロイなど。緊張気味の
彼がニコッとしました。
タイ実顕地は師代さんの大いなる愛のおかげでもあると思います。(ここを見逃してはいけませんよ)
特講の日程がわかり次第連絡下さい。
上田さん皆さん、どんな絵が描けているのでしょうか?
楽しみですね。私も片隅に筆を入れたいね~。