モンゴル報告
4月22日~27日、今年度の農業技能実習生受け入れ準備の一つとして、希望者の面接と日本語試験に立ち会ってきました。また、モンゴル労働省の事務次官との面談もしました。
面接希望者は25人でしたが、当日来た人たちは19人でした。
ほとんどの人が、自己紹介を日本語ですることができて、日本語の勉強をしている様子が窺えました。
- 面接会場にて
現在モンゴルは、人口の半分が首都ウランバートルに集中していて、農業の衰退が問題になっているようです。
「農業をする人が減って肉の値段が高騰している。遅れている国の農業を何とかしたい。」
「日本で3年間農業実習をして帰国したら、国の農業発展の為に役に立ちたい。」
「今日本でやっている1期生と、これから行く自分たちの同期が一緒にやっていきたい。」
等々・・・熱心でした。
また、ヤマギシの実顕地でやってみたいという人たちもいました。
若い人たちが、国の農業や自分の行き方を真摯に語る姿に胸を打たれました。
労働省は最近、厚生労働省から労働省に分かれたばかりとのこと。
- 国会議事堂前広場
- 国会議事堂
- チンギスハーンの夫人達
面談では、モンゴルから送り出している約200人の技能実習生に力を入れていきたい。現在日本は、夫婦やカップルでの受け入れを認めてくれていないが、人道的にみても、受け入れるようにしてほしい。そのように政府に働きかけてもらいたいという要望もありました。
私は今まで、実習生を個人として受け入れているという感覚しかありませんでしたが、労働省で面談をしたことによって、「国と国との約束によって、大切なモンゴル国民をお預かりしているのだなぁ。」という意識に変わりました。
24日午後、ヤマギシ農場に移動しました。
山羊と羊の赤ちゃんが100匹以上生まれていて、とってもかわいかったです。
広大な大地に山羊と羊の親子がたくさんいて、「ここで楽園村ができたら、子ども達がどんなに喜ぶだろう!実現させたいな。」と、思いました。
この地に実顕地を創りたい。それは、モンゴルの人たちがやっていくことになるのだから、今受け入れている1期生や、これからやってくる実習生の3年間がとても大切。そこを一緒にやらせてもらいたいと、あらためて今まで以上に強く思いました。
6日間行動を共にしてくれたゲレルマ・ガンゾルグ姉弟、ジャワザーさんたち、ありがとう!
特に、春日山を訪れてくれた時にはカラオケまで一緒にしたけれど、そんなに近くはなれなかったガンゾルグと心が通った気がしてとても嬉しいです。ゲレルマとは、さらに近くなれたことも嬉しかった。
普段近くにはいなくても、一緒にやっていく同志だね。これからもヨロシク(*^_^*)
【春日山実顕地 柳 順】
美味しい、モンゴル!
4月22日~27日の日程で、モンゴルへ行ってきました。
モンゴルの技能実習生との面接のためです。
今日本に来ている人達が1期生で、今回面接したのが2期生の候補者たち。
内部川実顕地でも受け入れを考えているので、僕が代表として送り出されました。
内容の濃い6日間で、色々なことにビックリしたり、感動したり、感銘を受けたり、美味しかったりしました。
書き出すととめどなくなるし、一緒にモンゴルへ行った他のメンバーもむらネットへ投稿してくれると思うので、僕は「美味しかった」あたりを切り取って書いてみます。
まず最初にインパクトのあったのがこれ。
皿に乗って出て来た白いものは…豚の脂、ラードです。
これを一枚そのままパンに乗っけて食べると聞いて、みんな「げっ」という顔をしていました。
ああモンゴル最初の洗礼だなとパクリ…。でも意外とあぶらっぽくなく、あっさりとしていました。うまい、というか何か変わった食べ物だなというか。でも脂のかたまりには違いないので、体重増加が気になるところです(最終的に2キロ増)。
次の日、面接の休憩時間の出前で取ってもらったのがこのプレート。
左は牛肉、米、マッシュポテト、野菜料理。 右はボーズ(餃子、中身は羊肉)、ホーショール(揚げ餃子、こちらも羊肉)、骨付き羊肉、肉入りスープ。
昼食ですが、すごいボリュームでした!とにかく肉が多い!
左の料理が一人一皿づつあって、右の料理は二皿を10人ほどで分けて食べました。
僕は肉好きなので最高でしたが、日本の女性二人はさすがに食べ切れずに思わず白米を残そうとすると、
「米残すとブッタに叱られるヨ!」とゲレルマさんの厳しい一言。
それ以後は期間通して米を残さない努力をしていました。
長谷川さんの前にあるのが、肉うどん。
3日もすると、僕と長谷川さん以外の人はさすがに肉だらけの食事に疲れてきたようで、このうどんが好評でした。
他にトマトスープなんかも日本人好みの味だったようです。
面接、日本語試験を終えて、4日目に研鑽学校の会場となった農場へ移動。
回りは、まだ草も生えていないので見渡す限りの茶色。
木も山の上にチョロっとあるくらいで、そんな中にポンと建物がある感じはなんというかモンゴルならではというか、自然の中に人間が場所を借りて住んでいる、という印象でした。
この建物が一つあるだけでものすごく心強い、というか。
冬はマイナス50℃にもなる厳しい環境、それを想像しただけで、ここに農場をつくってきた人達の強さを感じます。
農場では馬に乗らせてもらったり、産まれたばかりの子羊を見せてもらったり、ほんとうに歓迎してもらいました。そしてその日の夜は、またしてもたっぷりの肉。
今日のメインは牛肉。日本と違って脂身が少なく、固い牛肉です。
基本的に肉牛も放牧で育ててるからこういう肉になるのかな。
とても美味しかったです。
ウォッカが肉に合うこと!
とにかく今回食べた食事は、量が多くて、肉が多かった!
ということでどちらも僕にとっては大満足でした。
上の写真は、焼きうどん?かな。
これは街の軽食店で出て来た一人分。多いですよね!最高です。
ということでホントに食い物のことだけ書きました。
でもこういうものを食べているモンゴルの人達を受け入れるんだな、ということをしっかり感じました。
食は人をつくる、とも言います(?)
モンゴルの人達の背景を垣間見た思いでした。
モンゴル行きは「そこの実顕地に知った顔の人がいるだけで、来たときのモンゴル実習生の気持ちが違う」という言葉に動かされてどたん場で決めました。
正直な私の感想を言いますね。
モンゴル行きの飛行機のスチュワーデスさんの美しさ、町行く若い女性達のすらっとした脚とボリュームのある上半身(なんとファッショナブル!)、そしてがっしりとした体格の若者たちに目をうばわれました。肉を食べてるからかなぁ。相撲が強いのも分かるきがするなぁ。
ウランバートル市街は車のラッシュ。いきなり横のほうから車が現れたり、すれすれのところをバスが通り過ぎたり、車の目の前を平気で歩いていく人、ルールがあるようなないような・・・。日本に帰ったときに乗った飛行場のバスの中でやたらほっとしている自分でした。
そんな交通事情のなか、神経の疲れる運転を朝早くから夜までずっとしてくれたガンゾルグさん。仕事もやめてヤマギシの農場に通っているとか、静かだけど確かな彼の姿は心の中に刻まれた感じがします。
順ちゃん、石角さん、長谷川さん、佐藤さん、亜細亜の橋の奥井さん、そしてゲレルマさん、印刷会社の副社長のジャウザーさん、夜のビールタイムまで一週間近く一緒に過ごさせてもらって、仲間意識がうまれたこと、この面接旅行の一番の収穫でした。
去年の1月、第1期生の面接のためウランバートル空港に降り立った時の気温は、-40℃でした。今回は、まだまだ寒いと聞いていましたが、セーターを着ていると暑いほどで、日中、市内では、半袖で歩いている人がいました。これから、緑がぐんぐん
増え、私はまだ見たことない「草原の国 モンゴル」が、広がることでしょう。
モンゴルは、長い歴史のある国ですが、今、新しい国に生まれ変わろうとしていると感じました。まず、会う人会う人がみな若い。今回面接に立ち会った労働省の係官、面談した労働省の担当部長もみんな30代のイケメンでカッコイイ。
女性陣は、大騒ぎ。
又、市内は、去年の冬に増して建設ラッシュ。至る所で、タワークレーンが林立していました。ただ、足場は、見てるだけで怖いですが。外は、夜の8時まで明るいので、多くの人が遅くまで現場で働いていました。その中には、北朝鮮からの労働者も多いとのことでした。
ウランバートルへの一極集中が進んで、政府も、若い人もモンゴルの農業に危機感を持っています。「農業がモンゴルの国の基盤だ。」というのは、みんな一致しているようで、政府も、「実習生が帰国したら、その実習成果に基づいて、いろんな支援策をとっていきたい。」と話をされていました。
今回面接した人の中で、実習を終えて帰国後、定着型の農業を育てたいという考えの人が多かったです。
但し、個人経営でやるとすぐに限界がくるので、仲間と一緒にやっていきたいという意見もあり、そのあたりが若い人達による新しい動きになるのかなと思いました。
今回の応募者の中には、3月にあったモンゴル1週間研鑽学校を出発したばかりの人が12人もいて、楽しかった研鑽学校の雰囲気がそのまま面接会場にもあふれている感じでした。
今、豊里の苗の店も大盛況ですが、日本の各実顕地でモンゴルの大事な青年達が、じっくりとモンゴル社会の元種に育って、3年後に、モンゴルの広い大地へ送り出したいと思います。