ページを印刷 ページを印刷

豊里の選卵センター終業


人育ちの場として


 選卵センターが内部川実顕地に移転するに伴い、豊里の選卵センターが31日をもって終了する。
 三重県内の選卵を一つでやろうと始まって26年。1キロの定重量を測れる機械を日本で初めて取り入れた。一志実顕地の1・2棟の卵も選卵をしていた頃は一日に15トン程の卵を朝5時から夜9時まで流していた。
今は一週間に5トン強の量になってきた。大型機械なので、最低でもそれぞれの部所に9人揃わないと動かせない。これからは、卵の様子をすぐに伝えられる内部川実顕地の養鶏場の近くに移し、出荷量に併わせた小さな機械でやれるようにと移動が決まった。

予備寮や研修所女子がやった時期もあった。中西さん、米山さん夫婦と社員でやってきて11年。機械も古くなり、部品がなかったり、専門業者でも修理ができない中、中西さんが機械の調子を全て見てくれた。
参画して1年ほどで選卵センターの配置になった米山夫婦は、中西さんと一緒にやってきたのが一番大きいと話す。
言いたい放題の自分たちに
「それでやってみたらいい」
と、一切否定の言葉はなかったという。
社員さん同士がもめて
「あの人が居るなら私たちはやめる」
となった場面でも
「仲よしができないんだったら、卵の出荷はしなければいい」
と言ってくれた。
年末贈答卵100個がキャンセルになった時、一個づつにシールを貼り手詰めしたのに、と腹が立って話したら
「一生懸命やったからなー。卵なんかどうなってもいい。人が育ったらいい」
と言ってくれた、と振り返る。
 繋がってここまでやってこれた社員さんたちが、互いに一緒にやってきた思いを書いてまとめた。どの人のメッセージからも共にやってきた豊かさがあふれていた。

26年、休むことなく動いた選卵機