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安土さんお目でとう!!


2014-02-20 安土さん005
角膜移植の手術を終え、目が見えるようになった喜びの声を安土さんに語ってもらいました。

【豊里実顕地 喜田栄子】

豊里実顕地 安土 亮 70歳

行きと帰りでは大違い。帰りは新名神の車窓から見える風景に、子どもみたいにキャァキャァ言ってました。由美子がうるさいって言うほど。アメリカのドナーにも、先生にも看護士さんにも由美子にも、みんなに感謝です。今回の角膜移植の手術で右目が裸眼で0,1矯正で0,4見えるようになりました。左は失明しているので受けていません。今は杖無しですたすた歩けます。

角膜移植の手術は9回目です。替えた角膜が濁って来て、あきらめていたんだけど、一昨年だったかなぁ?掃除していたらバックが暗い中で光が差していてバケツの形とか色、手の指とかが見えたんです。
目の奥は正常かもわからんなぁと思って、医学も進歩しているだろうし診療所研に「角膜移植をしたい」って出したんです。
三重大に3か月に1回は通っていたから、相談したら京都府立医大の木下教授を紹介してくれました。
木下教授は角膜移植の権威でアメリカで研鑽積んできた人で、全国から患者さんが来ています。
去年の11月診てもらい「これなら行けます。2月7日にひとつ空いていますがどうしますか」言われ、「お願いします」と即答です。

昔は局部麻酔で手術中もえらかったし後も麻酔が切れて一晩中唸っていたんですが、今回は全身麻酔で緊張もしなかったですね。
一晩寝て次の日の検査で眼帯外したら、先生がパソコン打っているのが最初に目に入って来て「あー!見える!」って思って、透明な眼帯に替えてくれて廊下に出ると明るいし、何でもパッと見えて何見てもきれいで、パジャマもパジャマのボタンも、靴下もスリッパも、由美子さんもきれいでした。
洗面所の鏡で自分を見た時「これが俺の顔か~」って他人の顔見るようでした。若い頃をイメージしていたからね。
もう、なんでも見たくなって、廊下の掲示物も雑誌やパンフレットも、見て触りたくなって、子どもにかえったみたいで何でも興味がわくんです。

見るもの聞く声皆楽しく、美しく、飽くるを知らず、あの通り、あれは本当ですね。
道歩いていても、建物も空も雲も実にきれいですね。見えるってホントすばらしい!人間ってすばらしい!いやーこんな所に住んでたのか。
人に会いたくなるんです。顔とかジロジロ見たくなって、知らない顔ばかりで浦島太郎状態です。
豊里も初めて見るし、広々していて愛和館の大きな窓から活動の庭とか見ながら、ほんとおとぎの国みたいです。
透明な水、滴も見えてきれいですね。
車の形も違うし、テレビもブラウン管でなく薄くなっていて驚きです。未来の国にタイムスリップしたみたいです。

2014-02-20 安土さん004

2014-02-20 安土さん組写真

娘も昔の友だちも会いに来てくれましたが、初めて会うみたいです。
ご飯もお米の粒が見えるし、食器もきれいですね。感動の連続です。
愛和館の食事も美味しいし、人の顔が見えるのが楽しみです。顔がはっきり見えるから話が分かりよいです。
顔はイメージしていたのと全然違います。声でイメージしていたので、ラジオとテレビの違い位。

入院する時は仲良し班からも診療所、介護の方からも熱烈なお見送りを受けました。
本当にラッキーでした。ありがとうございます。
目は高校生の頃に兆候が出て、30代で殆んど見えなくなった。
豊里ができたあくる年に参画。掘立小屋だった。
26年前に昭和から平成に変わる頃、盲人で生きて行こうと盲人訓練センターに入って、1年間の寮生活いろいろ訓練した。
26年間盲人として暮らしてきた。全然見えなくてボーっとした中で暮らしてきたけど、盲人も楽しかった。イズムのおかげ。
これからはみんなと一緒に村づくりやっていきたい。
復帰してマッサージやって行きたい。
むらnetも音声のパソコンで見てきました。巳代蔵全集も読んでいます。