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李朝の家具
【エッセイ】


2014/2/18
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日本の朝鮮統治時代

浅川巧(たくみ)は オンドル(床暖房施設)のために

禿げ山になった 朝鮮の山々を 「緑」に変える事業に加わった 

難しいとされた チョウセンカラマツの苗を 育てた

当時の日記に 「朝鮮の山を青くする」と書いている

植林という考え方が ヨーロッパにも 大陸の果ての朝鮮にもなく

島国の日本に 豊かに 開花しているのは 不思議といえば不思議である

かつて 中東もギリシャやトルコあたりも 緑の沃野だったというから

一神教と対立の概念 もしくは「自然と人間との闘い」と位置づける

自然観がそうさせたのかも知れない

八百万の神と自然との共存、共生共活を

生活そのものとした 日本文明の発展史としてみると 

それが どれほど 豊かな文明なのかと 驚嘆してしまうのである

現在でも この民族的な考え方と技術をもって 

世界の大地に 植林をすすめる 日本人は多いと聞く 

浅川巧は 同時期に 日本語教師の兄にならって 李朝の文化を 残すために

ヤンバン(朝鮮の貴族身分)の使った 李朝の家具を 収集し 

やがて ソウルに 私的な美術館をつくる

その 収集品は 現在も ソウルの中央博物館に大切に保管されている

ハングル文字で書かれた 彼の追墓碑には 

「朝鮮の山と民芸を愛し 韓国人の心の中に生きた日本人 ここに韓国の土となる」

享年40才であった 

民芸運動の創始者 柳 宗悦(むねよし)は 

「李朝の壺」と 浅川兄弟の熱意に 心を揺さぶられたという

やがて 李朝時代の 生活雑器は 青山二郎らに収集され 日本に渡る

その卓子(たくし)本棚は 一見華奢(きゃしゃ)にみえる

実に細い木でつくられ 釘を使わず 木のゆがみを生かしてある

細部にこだわらず しかし 泰然と 存在感がある

長野県 松本市の 李朝家具 復元工房でつくる 家具は

どうしても キチッとしたものに なってしまうという

自分たちのつくる家具は □ 李朝の家具は ○ ともいう

儒教思想が ヤンバン達に「清雅」「簡潔」の気風をつくった

李朝の家具は その気風と 工人の技術が 相まって  

一つ一つ 形をかえて 手作りで 生み出されてきた

また 李朝の500年 商人階級というものが 育たなかった 

ヤンバンと農民と工人と賤民という構成である 

そして 流通という概念もなかったという 儒教思想のなせる技なのかも知れない

「私の性格は、実はそうではないのですが、事に当たると数理的に走り、自然界の

歪(ゆが)みの良さを容れないために、殺風景で味がありません・・・・。」

と山岸先生の文章にある 「自然界の歪みの良さ」とは どんなことか

本当のところは分からないが なにか示唆的であり 面白い

そういえば 法隆寺の宮大工 西岡常一は 塔を建てるに

木の性質や ゆがみを生かすのに 腐心したという

その技術は 神業(わざ)であり こころは哲学の域に あるようにも思える

さて 村の暮らし さまざまな ひととひとの 組み合わせの妙

癖といわれるものも いつのまにか 一体の中の 持ち味として 

昇華し 生かされてくる 実態が見えてくる

自分が 一体のひとになれば 妙味が つきない面白さ

「われわれ 」「わたしたち」といえる実態は 「志」に 直結し

「志」は 柔らかな 羽毛で 包み込んでいく 一体のすがたに 変わる

村の暮らしは あの遙(はる)かな 大和の美しい塔が 

組み合わされて まっすぐに 立つように

その時期の その村人達の 暮らし 

美しく 無理なく 組み合わさり 重なっている 実態に 気付くと

そう こころは 歓びに 震えるのである

【春日山実顕地 柳文夫】