食器洗浄機の貼り紙【春日山】
ある日、夕食が終わって食器を洗浄機の水槽に入れようとしたら、貼り紙がしてありました。
≪食器の割れが増えています。食器洗浄に入ってく下さい。≫と書かれていて、水槽には水が張られていなくて桶が2つ置かれていました。
「どういう意味なんだろう?」「食器を夫々洗って行くようにということかな?これからそうなっていくのだろうか・・・・?」
食生活の人に聞いてみると、「最近食器が山のようになっているのに、食べ終わった人が洗わないでその上にまた食器を重ねていくので食器が割れることがある。一石を投じようと思って。」とのことだった。
翌日の食生活の出発研(私は時間メンバーで入っています)では、ほとんどの人が貼り紙によって洗って行くことを支持する意見だったように聞こえました。
その日の昼には、≪食器洗浄に入り合っていきましょう≫という言葉に変わったものが貼られていました。「なんか、しっくりこないな。貼り紙を貼って呼びかけるというのは、何となく一方的に求めている感じがして私の中ではやりたくないことなんだけど・・・。」と思いました。
でも実際、食器がたまらなくなったし、私もそれまでより洗うようになりました。
「実顕地には貼り紙はありません」というのを何回か研鑽したことがあるけれど、そのことが意図する中身はどういうことなんだろう・・・など、あらためて考えてみたいと思いました。
春日山の仲良し研でもこの話題が出てました。
「食器洗浄の話は10年も前からでてるけど、全然改造もすすまないな」
という意見もあったりと色々でしたが、こんな日常の一コマに顕れてくるあたりを研鑽していけるのがまたいいなと思いながら家に帰ると、
「今日から冷蔵庫の2段目と4段目が紺野家用になったので、他は使わないで」
と声をかけられました。
引っ越しで新たなメンバーも入ってそれが分かり易くて上手に使っていけるんだろうなと思いながらも、何かが残るそんな出来事でした。
きょう、別海実顕地は仲良し研でした。ここでもこの記事が話題になりました。
あの記事は洗浄機がたまることがテーマじゃなくって、「貼り紙」がテーマかい?
「なんで、あかんのや?」「そういう事に反応するやついるんだよな~」
私はこの反応に逆にちょっとびっくり! まぁ~貼り紙だらけっていうのもへんだし、
「貼り紙はしません!」って言い張るのもヘンだし、、、。
げんに順ちゃんは今までは洗浄機に入ってるとこあんまり見なかったけど入るようになったって言ってるわけだし、、、。その心はいかに?
洗浄機っていいテーマよね。
毎日のことだし、、なにかしら話題を提供する。 でも「洗浄機が溜まる」ことがテーマに
なってる所は今時は春日山くらいじゃないかな?
最近はどこも、その実顕地らしいやりかたで、各自がある程度洗って、溜まらないような
仕組みになってるような気がする。
それが前進なのか、後退なのか?単に選択の問題なのか?
伝える手段としてなら、似たようなことが北条には有ります。というか、有りました。
(今はあまり見ないので・・・)
それは、部屋から出てスリッパを履こうとすると、スリッパにメモが貼ってあることです。
なんだか、当たり前のように頻繁にそのようなことをやっていたような気がします。(私もです。)
休んでいる人への心遣いもあるでしょうから一概には言えません。
とても便利でいいという反面、なにかなあー・・・と考えていました。
最近は、コンコンと部屋をノックして貰うことのほうが多くなった気がします。
順ちゃんの問いかけている事と、テーマは似ているような気がしますが・・・・どうでしょう?
2月、研鑽学校の通訳で韓国実顕地に行ったら、ロビーのホワイトボードに「使い終わったカップは各自洗います。」と書いてありました。確か5年前に韓国実顕地に居た時も書いてあったな〜と思って「まだ書いてあるのか!みんな余程洗わないのかな・・・」と少し違和感を覚えました。
昔、学園生だったころ係から「ヤマギシでは、貼り紙はしません。」と聞いたことがあったので、貼り紙に対してなんとなく違和感があるようです。
「貼り紙をしてはいけない」ということではないけど、あちこちに貼り紙が貼られているのもあまりいい感じしないな~
しかも、いくら貼り紙をしても、読まない人が結構いるんだよね。
美里でもふと気がつけば張り紙ばかりになってしまっています。
まるで「注文の多い料理店」ですよね。
ちょっとした声かけで充分のときもあるだろうし、張り紙を貼るときは剥がす時期も含めて考えたらいいかなと思います。