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古代釘【エッセイ】


2014/5/4

古代釘一千年もつ釘には 百年程度の材木では 用をなさず

樹齢 千年に近い 年輪の桧(ひのき)が 必要だという

千年もつ釘を 鍛(う)つ男は 四国は松山の 野鍛冶(のかじ)である

釘は 千年もつように 

一千年の風雪を考えて 宮大工が 打ち込む

つまり その釘の命は 野鍛冶と 桧と 宮大工の 

三位(さんみ)一体の すがたなのだ

塔が できあがってしまえば 構造物としては 打たれた釘は 必要ないらしい 

しかしながら 塔は 木造である 雨に濡れれば 土台が腐る

必然的に 日本の塔のひさしは 大きくなってくる

それゆえに 屋根の美しさは この上ないのだが 

地震には めっぽう強いが 強風には弱い という要素を もってしまう

それを補う役目 遠い年月を視野に入れた技が 宮大工の真骨頂である

鍛たれた釘に 命が宿り 

釘は 一千年の月日を 塔の内側から 体感するのである

釘の品質で 一番良いのは 鎌倉時代のもの きめが細かく 錆びにくい

現代では その釘は ほとんどつくられない

先端技術と 現代の経済が それを止めてしまう

野鍛冶の出番である

鉄は 不純物が ないほど 寿命が長いという 

このこと

お釈迦様は 菩提樹の木の下で 悟りを得て 

その悟りを 七日をかけて 確認したという

しかし その深い悟りを 人びとに どう伝えたらよいか 

その絶望的な試みに 逡巡(しゅんじゅん)したといわれる

内なる梵天は お釈迦様に 踏み出せと 三度 声をかけた 

お釈迦様は 決定(けつじょう)し 

かつて 苦行を共にした 5人の仲間のところに 足を踏み出す

仏法の 波瀾万丈の幕開けである

山岸先生は ジェーン台風による 機を得て

一体社会づくりに その一歩を踏み出した

そこには 怒濤のような 人びとの こころの嵐が 

たくさんの 生身の人間が 錯綜(さくそう)状態で 待ちかまえている  

その舟は 戦後の混沌のなかに 漕ぎ出し 

人間の心の 真なる部分に 働きかけて 

日本の各地に 一体社会の 萌芽を 生み出すのだが

本質的であるがゆえに 人間のさまざまな 我執に晒(さら)され

ことに於いて 本質が ズルズルと後退するを 止むなきに 至ることもあり

道なかばにして 先生は たおれる

船は 一体社会の経済を含む 心の解放と 

人間の俗性をも 包み込むようにして

革命的に織り込んだ 社会の仕組みを 帆に孕(はら)んで進んでいる

かつてない新しい社会づくりは 初めての試み故に さまざまな紆余曲折や

失敗を繰り返しながらも ここに至る

この革命を 山岸先生は 200年後に 必ず 成就すると確信している

とまれ 1000年後の 地球上には 

どのような社会が 実現しているのであろうか

今 自分たちは この試みの 現在唯今を そして未来を

どのように 画いて行くのであろうか

お釈迦様の 悟りは 時代を経て 変遷し 極東の島国 日本でも 

神道(しんとう)と融合し 独自の仏教文化を 現出させた如く 

ヤマギシの考え方は 地球の どの大陸で どのような展開をみせるのか

想像は 時空を超えて 翔(は)ばたく

次にくる社会に向けた願いを 心に刻んで

今こそ 自分たちは 純なる千年釘を 

現代社会に 打ち込まなければと 思うのである

鉄は 不純物が ないほど 寿命が長いという

このこと

本質が 本質であるほど 人のこころを 揺さ振る

厳然(げんぜん)として 旗 はためく下に 働く同士たちよ

今 何を考えたらよいのか 

どのような思考と 

どんな具現方式を用意していくのか

物心というが 既に ものは溢れ 

もので幸福になるという幻想は 既に なくなっている

本質は 本質であるほど 時空を越えて 国境を越える

今こそ 新しい角度で 自分たちの実態を 

世に問うことが 必要とされている

同志よ 新たなる地平を 目指して

同志よ 瑞々(みずみず)しい こころを用意せよ

【春日山実顕地 柳文夫】