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『常夜燈』が消えた?3日間【春日山】


愛和館は村の「常夜燈」です。春日山はズーとそう言ってきたように思います。
それが6/2~6/4まで、「厨房の排水工事と徹底美化の為、愛和館も魚菜部分も使えません」
「食事をどうするかはまだ未定です」と5月の中旬に出されました。その後、家生活研鑽会(月1回家生活世話係りの定例研鑽会)でも出され、この際、家でまとまって食べる機会にしてもいいね~と盛り上がったようです。食生活でもそれなりに考えているという話も流れてきたり、学食を美化して使うということも考えられるし、、、と話は色々出てはくるのですがはっきりしたことは打ち出されないままに、日が過ぎていきました。

時期は「自動解任」月。あって当たり前としている愛和館もその観点から考えてみようという空気が流れはじめました。
そのうち波田英夫さんが「餃子作ろうか?」と言い出し、食生活の人達やることないし、、、。豊里の餃子作りの機械が小型化して、いま試験段階中。その機械を使って作らせてもらおう。その話はとんとんと進み、6/2の夕食は生餃子が村のお店に用意されることになりました。波田さんが餅用の薄いコンテナを前日に運び、材料は魚菜して当日持ち込み、食生活のメンバー15人が3組に分かれて時間差で出発しました。材料も味付けも今回はオリジナルで、ニラ入り・オイスターソース入りだったようです。作った餃子の数は3500個(一応ひとり15個目安)豊里愛和館で昼食をよばれて研鑽会もしてきたようです。食生活の北村政子さんはその日の夜の仲良し研で『いつもの場所を離れて、みんなでわいわいやれて、研鑽会もやれたのがよかったわ―』と言っていました。その日の夜は愛和館前で、重山夫妻と波田さんと何人かで、ホットプレートで焼きながら道行く人に「いつものと違って美味しいよー、食べて行きやー」と進めまくってました。各家でまとまって食べたところあり、各自で焼いて部屋で食べたところあり、色々だったようです。
後日、豊里の清村さんからこんなメールが来ました。
(「お世話になりました」のメールの返信に)
『こちらこそ!大勢で来てくれて、機械が見えない程入り合って、やれるところを一人一人実に楽しげにやってて。感動しました!自分らは、どう小人数で効率的にやるかばかり考えてきたので。こういうのもあり!って目からウロコでした。アリガトー!!』

5/25の春日山日曜市の会場で、養豚部の真理子さんとよし子さんが「愛和館休みの日の1食をトントン横丁やろうよー!前回ほど種類多くなくてもいいから」と話していました。
東部養豚ではその話で盛り上がり、各養豚場に発信されました。6/3の夕食は日曜市ランチコーナーで、養豚部の呼びかけでトントン横丁になりました。魚菜は串カツの串刺しや、野菜切り、肉はがしなどいろんな人が入りあって、なんなく終わりました。当日はやりたい人がやりたいだけやって、輝いて各自の持ち場で華咲いていました。「最後の人まで、充分に」と言う枠もはずれて、最後はご飯と野菜と肉でチャーハン大会になったようです。チャーハン十八番の渡部さんの登場でした。ちなみに養豚部の私は冷しゃぶと紅茶煮(私は並べただけですが、、、)が早々に完売したので、早めに退場しました。

 6/2の夕食は村のお店に焼きそばとうどんの麺とスープとソースが用意されました。野菜はあるものがコンテナでボンとおかれていました。
この3日間の昼食はご飯(3日目はおにぎり)と漬物と昆布の佃煮が用意されていました。

あちこちの家で揃って食べたところはなかなか盛大で楽しそうでした。そうかと思うと静かーな家もあり、色々で面白かったです。
ちなみにこの件での色々な購入提案は「おこずかいでどうぞ」だったそうです。
さて、「常夜燈」は消えたんでしょうか?

【春日山実顕地 平島春美】