ページを印刷 ページを印刷

春日山・新豚舎の『今』


P1140311

春日山の新豚舎の構想が出て2年位たつそうです。そういえば今年の2月寒風吹きすさぶの中、東部の土手の上で養豚部の若手・推進メンバーから新豚舎への抱負を聞かせてもらいましたっけ。今にも着工しそうでしたが実際はなかなかすすまないな~という印象でした。それがここに来て、動きだした感じです。
初めの頃のことを何も知らない私は6月の春日山の資料研で、同じ養豚部の鈴木さんが『今日、新豚舎研があって、こりゃー新豚舎当分建たないな、、、と思った』と出してきました。
推進メンバーの一人、奥田さんが「もっと元のところ‘ひとつから’が大事なんじゃないかな」と言ってるとか。「それは去年の暮れに確認して始まったはず、今又それを言い出すあたりが、、、、(新豚舎は遠のいて行く?)」奥田さんは職場の友田農場でも心のうちの一端を話してくれていました。『仲よくするしかないからその中で鶏(豚)でも飼おうか』の心境とでもいいましょうか、、、。(彼は養鶏法に今年3回も出むいている!)
6月の後半、奥田さんが養鶏法の係りに入っている間に交流に来てくれた豊里養豚部の中山さんの「新豚舎楽しみですねー」と言う声かけに「・・・・?」といった反応の私達友田農場のメンバー。新豚舎の話に『ワクワク感』がこないという話はその後、養豚部研でも話題になった。
今月から豊里で新しく始まった実顕地作り研でもこんな話がでた。
寺岡さんが「豊里も4~5年前、設計図までできて、今にも建ちそうだったけど新豚舎、結局建たなかったよなー、あれはどうして?」
生原さん「・・・・」
「まぁ。建たなかったということよね」と私。
7月に入って、三重県5実顕地から多彩なメンバーが集まって「実顕地の今」を語り合う研鑽会が持たれた。いろんな話題の中に新豚舎の話もでたようです。
それに参加した矢内さんが次の日の新豚舎研で、『新豚舎って、春日山養豚部が建てるって思ってたけど (知らず知らずに自分がそこでやってる姿を思い描いてる) 狭かったな~。全国養豚部で、ひいてはヤマギシが建てるだよな、と気づいたよ』と発言。
だからこそ(なのかどうかわからないがけれど)「今のままで建ててもいいんかな~と踏みだせない」と迷う推進メンバーの光太郎さんの発言もあった。
誰がどのように「GO」を出すのか?
その日の新豚舎研は面白かったです。(私は外野席なので、余計そう思えたのかも))
又その次の日に、新しくなった春日山職場連絡研に矢内さんが出て来て、前日の新豚舎研の話を熱く語ってくれました。
「(新豚舎を)自分達も建てたい、周りも建てたらいい、となってるのにどうして建たないの?」由美子さんの素朴な質問
「そうだな~、『最後の踏み切る力』がなかった、ということかな」と矢内さん。
今月の全国実顕地づくり研鑽会「産業編」の記事の中で語られた『ひと押し』を読んだ時、この矢内さんの言葉を思い出しました。
そういえばこの全国実顕地づくり研鑽会で真理子さんの「新豚舎を遅らせていたのは私だった」と言う発言もあったとか。
さて、肝心の春日山の新豚舎は『踏み切られたかな?』
少なくとも私は今、‘歩く度に踏み抜きそうな友田農場の6棟・分娩舎の通路’でワクワクしながら新豚舎を思い浮かべています。

【春日山実顕地 平島春美】