ページを印刷 ページを印刷

その日暮らし
【一志】


鶏移動で--下田妙子さん

鶏移動で–下田妙子さん

最近実顕地づくり研○○編がオオハヤリで、一志からも参加する人も増えてきて、そこで話題になったことや、他実顕地の動き始めたあたりが一志の中にも広がりつつあります。
最近では春日山衣生活部の、仕事の担当を決めないで、その日暮らしの動きでの味わいや、仲良し班で六川のみかん摘果へなどの刺激を受けて、自分らもちょっとやってみた辺りを紹介します。

【一志実顕地 園田宏彰】

下田妙子 一志 養鶏部
23日に一志の育成舎から成鶏舎への鶏移動がありました。最近、養鶏部では故障者が続出。屈強の穴澤敬子さんまで腱鞘炎に。
人手不足だなぁ、どうしたものかと気が重くなりかけた頃、ロビーで食生活の零子ちゃんに出会い何気に「ご飯作らなくていいから鶏移動に来てよ」と言ってしまいました。
「ちょうどおはぎ作りも重なるし・・・」「おはぎ食べなくてもいいし・・・」の会話。
次の日「夜は防災食にして、昼は豊里の人も来るからラーメンは変えたくないし、二人を残してみんなで行くから!」との返事。
ヤッター!食生活スゴイ! 結局いろんな方面からの声かけで飼料部、GP、建設部からも来るわ、来るわ。
今までは成鶏舎では午後までかかっていたのが10時半には終了し、育成舎の方も10時過ぎには終了して豊里メンバーも今回は楽だったと言ってもらい、またやろうという気も起きてきます。
余談ですが防災食は年3回のペースで食べないと古いのが貯まっていくとか・・・・
そして今晩は一週間延ばしたおはぎ。一味違うかも。
                             

宮本零子 一志 食生活部
鶏移動数日前、ロビーで妙子さんとの会話。
「23日は鶏移動があるね、おはぎ作りもしたいんだよね」
「今回は負傷者も多くピンチなんだよね。食べるものより鶏移動に来て欲しいわぁ」
「ほんならもっと声を大にして呼びかけなきゃー」・・・・

そして翌日から食生活でその事が話題になりました。
24日は防災訓練を予定していて、いつも訓練の日は防災食を食べていました。
鶏移動の日の夕食を防災食にしたら食事作らないから行けるのではない?
2日続けて防災食たべようか?
普段の暮らし、食事の日に防災訓練しよう。片付けはどうする?etc
なるべく多くの人が鶏移動に行けるようにするには、と考えた・出し合った・知恵を寄せた・研鑽した。
一度も養鶏に携わった事のない人も行く前にあれこれ考えるより先ず行ってみよう、行ってみてやれる事をやろうと。
鶏移動の前日からそれぞれが何がやれるかなぁと動いた二日間でした。終わってみれば「鶏移動まつり」みたいでした。ここ最近の一志の雰囲気は足し合って足し合って心が寄り合って山盛り。敬老の日の会食や鶏移動、六川のみかん摘果など足りないから埋めるのではなく一声にあーしょう、こーしょうと足し合って進んで行ってる様な気がするのは私だけでしょうか。
 

本巣京子 一志 衣生活部
全国衣生活部研をやったとき、今うわさの”その日暮らし”の様子を春日山のひと6人に聞かせてもらいました。毎朝寄るまで、誰が何をするか決めていないという。慣れないことを二人でやることも多いようで、ひょっとしたらムダなことも、逆に抜け落ちもあるように聞こえましたが、効率でない何かがあるみたい。「さなぎが殻を破った蝶のようです」「感動です」の言葉に一志衣生活でもあこがれの”その日暮らし”をやってみようとしています。直後に私は娘と大潟へ10日間交流に行くことになったので、職場にとっても、いつもと違ってちょうどいい機会となったようです。
私のほうは大潟でやったことのない食生活で、経験の浅い浦崎みち子さんと二人三脚で料理本を見ながら「どう切る?」「どうやって作る?」という日々。そんな中で朝、職場に行ったときその日の段取りが頭にない自分を発見したときの驚き。自分がフワッと浮くほどの軽さ、「これは気持ちいい」と感じました。
遅かったり、失敗したりと仕事の質としてはどうか分かりませんが別の何かがあるみたい。そして「どうする?」「どうする?」のみち子さんとの交流。そのことが大きかったです。
さて、一志に帰ってみたら「どうする?」の前に「わたし洗濯するね、あなた”干し”してね」と先ず決めて言ってしまいました。15年余りも衣生活部なので滲みついたものがあり、どうしたものかと考えています。