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「贈り合いの経済-私のなかのヤマギシ会-」出版記念対談


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 佐川清和さん著作「贈り合いの経済ー私のなかのヤマギシ会」の出版記念対談が、10月31日に、宗教学者で参画経験もある島田裕巳さんを迎えて、春日山楽園村会場で行われました。三重県各実顕地・六川・北条から150人もの人が参加しました。

 冒頭に出版社ロゴスの村岡到さんの挨拶がありました。その中で、
「ヤマギシの皆さんは、ある事柄について、どっちが正しいか間違っているかということではなく、自分の考え方を議論することを大切にしている。それがヤマギシの特徴であると思う。」
というようなことを述べられ、対談が始まりました。

 島田さんは、特別講習研鑽会を受けて、研鑽学校に行き参画した経緯や、ヤマギシを出て外から見たヤマギシについてなど、面白く楽しく話してくれました。
 「現在、ヤマギシ会が豊かになり世の中に近づいていくと同時に世の中も豊かになってきた。ヤマギシ会が目指していた物があふれる豊満な社会に、世の中がなってきた。世の中との境目がなくなってきている。食を通して世の中に受け入れられている。農業を選択してやってきたことがよかったのではないか。」
などと、食を通してのつながりの大切さを語ってくれました。

 また、沖永さんの、
「島田さんが出版された本には、たいていヤマギシでの体験の話が、書いてある。なぜいつも書くの」
の問いかけに、島田さんは、
「特講での体験・ヤマギシでの体験がなかったら宗教学者にもなってなかったかもしれない位、大きなことだった」
と応え、佐川さんが、島田さんの特講体験のことが書いてある本を引用して、
「特講には、発見型と、解説型と二つのわかり方がある。島田さんは発見型の特講だったと。発見型の特講こそ本来の特講の目的ではないか」と。
それを受けて島田さんは、怒り研の時の、自分が変わった瞬間を語り、
「この瞬間が今でも自分にとって消そうにも消えない一瞬だった」
と話してくれました。

 また、最後に、
「世の中は、腹をたてるということに何の疑いも持っていない。どの団体も怒りについて解決していない。怒りが対立を生み、解体していく。ヤマギシは、腹がたたないというところから出発するところの楽さがある。腹がたたないということの価値がある。」
と言っていたことが印象に残りました。

 佐川さんは、この本を出版するに当たって、
「「贈り合いの経済」にした経緯について、これからの社会にとって「贈り合い」という意味が価値あるものになっていくような気がする」
と語り、そのあと、
「参画して数年経った頃に実顕地に対して疑問が出てきた時に、杉本利治さんに質問をいくつも書いて渡した。しばらくして回答が何かの裏紙に書いてまとめて届いた。気持ちを受けとめてもらえたことが嬉しかった。ヤマギシに来てよかったと思った。このやり取りをもとに、「前渉行程論」三部作をまとめた。その中の「適正規模実顕地構想」に『「卵屋さん」と呼びかけられて、心の中で「その実は養鶏ではない」「大切なことは表現され理解されることも無くて終わるかもしれない秘められた実態の把握で、ないかと」』との一節に今日まで啓発されてきた。これからの実顕地の課題をあげるとしたら、よりいっそうの秘められた実態の把握ではないかと思う」
と語っていました。

 沖永さんのユーモア溢れる進行で、2時間が短く感じられるような楽しい出版記念対談でした。

11/15にも開催決定 → パネルフォーラムのお知らせ
春日山実顕地 柳 順