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スイス実顕地交流記


12/9 「村のクリスマス」中島伸明・郁代

隣のタイラーさん一家と馬が、サンタとトナカイに扮しています

隣のタイラーさん一家と馬が、サンタとトナカイに扮しています


 12月に入ると、村や町の様子がクリスマスに向けて一変します。
普段静かな通りに、電飾がきらめき、日本と同じで、お店はセールが始まります。

 先日実顕地でも厨房を使い、活用者の人たちとクッキー作りをしました。
家族ぐるみで、25人位楽しみました。

 次の週はハーゲンブーフの村の集会所で、クリスマス・マーケットが開かれました。
ヤマギシは又、クッキー作りで参加しました。集会所の横の広場では、隣のタイラーさん一家が愛馬にトナカイの帽子と、サンタの服装で試乗させてくれました。

 村を歩くと、素敵なクリスマスリースが各家の玄関や、窓を飾っています。
我が家のも、郁代手作りのリースを掛けました。 

 スイスの家庭でのクリスマスを聞いてみたら、イブの日は家族が揃い、プレゼントを贈り合い、教会へ行ったり、歌を歌ったり、静かな夜を過すそうです。
子供たちは、親に贈るプレゼントを学校で作るそうです。
25日は各家庭で、ガチョウやニワトリ、フォンデュ(しゃぶしゃぶのようなもの)など、クリスマスの料理を楽しむとのことでした。

                        

12/3「ルツエルン供給コ-ス 相乗りの巻」 中島伸明

コ-ルネルさんと

コ-ルネルさんと

 ルツエルンという町は地図で見るとスイスの中央部で、実顕地からは100kmくらいのところにあります。朝6時に供給所を出発し、最初のポイントに着いたのは、午前8時過ぎ、ようやく明るくなった頃でした。
 そこは住宅地で、しばらくすると、小さい子どもを連れたお母さんや、通勤前でしょうか、男の人も出てきました。皆エコバッグを持っています。5~6人来て、人が途切れたころ、「今日はあの人は来ないナー」とアンドレさん。次のポイントに向いました。

 車を止めて供給を始めると、女の人が一人来て、生産物をつぎつぎと買っていきました。思いきって、「おはようございます、日本のヤマギシからきた中島です。」と声をかけると、彼女、名前はコ-ルネル、去年日本に旅行して、東京・大阪・京都などどこも素晴らしく、日本の人はみな親切でとても良かったと、これ以上ないくらいの賛辞。
私も気をよくして、日本の食べ物は好きですかときくと、「うどん」と「うなぎ」が大好き、と彼女。私はますます気をよくして、日本で「うどん」を作っているなどと、大いに盛り上がりツーショットで記念写真まで撮りました。
 帰り際に、「これケンゾー、誕生日に娘がプレゼントしてくれたの。」と笑顔が印象的でした。よく似合ってました。あとでアンドレが、彼女の娘さんは日本語が堪能で、家でお好み焼きを作って食べる程の日本好きだよと言ってました。恐れ入りました。

 こんな感じで、10分くらい走ってはポイント、又ポイント。
 車の中からアンドレが、「昔あのアパ-トの5階に住んでいた。」と指差すので聞いてみたら、彼は独身の頃、看護師をしていたそうです。スイスでも当時、男性の職業としては珍しく、人の役に立つ仕事をしたくて看護師になったことや、このアパ-トに、あとから越してきたアグネスと知り合った事など話してくれました。

 昼食は、チーズとハムをはさんだパン・生野菜をタッパーに入れたもの(これをサラダと呼ぶ)・りんご、あと水を1リットルくらい。毎日これで飽きないのかな?聞いてみようとしたが、失礼かなと思い直しやめました。
昼過ぎから霧が晴れて、ピラトス山がきれいに見えました。

 夕方行ったのは、ハンスという20年来の会員さんで、のこぎりで木を切っていました。
気さくな感じの人で、職業を聞いたら、料理人・ミュージシャン・建物の内装など多才な人のようです。農家の倉庫を自分で改装した家に住んでいました。
 ルツエルン供給の時、アンドレさんは、ここで休憩しているようで、私もコ-ヒーをご馳走になりました。奥さんのデニースがチョコレ-ト菓子をどうぞどうぞ、とすすめてくれるので一つもらいました。しばらくすると又すすめるので、もう一つもらいました。しばらくするとまたすすめられ、帰り際玄関口まで持って来てすすめるので、にっこり笑ってもらいました。
もう日は暮れていました。

 これで帰るのかと思ったら、チューリヒに最終のポイントがあるとのこと。暗い中、近所から子供連れの若いお母さんや、夫婦、仕事帰り風の男の人など、7~8人集まりました。子供たちが供給車の周りをくるくる走ったり、アッという間に近所の人たちの社交場になったようでした。ヤマギシの供給が活用者の暮らしの中に、しっかり根着いている様に見えました。
 
 供給のポイントは、全部で30ヶ所くらいあったようです。
 帰りの道中は、アンドレと互いの国のこと、ヤマギシのこと、子供のことなど、男同士でよくしゃべった楽しい一日でした。


11/26 「ぶらり村散歩」 中島伸明・郁代 

牧場の朝

牧場の朝


 スイス実顕地のあるハ-ゲンブーフという村は、集落の周りに、馬・牛・羊の牧場がどこまでも緑色に広がっています。村はずれの小高い丘に登ると村が一望でき、空気の澄んだ日には遠くサンティス山(スイス東部で一番高い山)が望めます。その山の向こうは、オ-ストリアだそうです。霧の朝は、「・・・一面に立ち込めた、牧場の朝の霧の海・・・ ♪♪」がぴったりの光景です。

 村は役場を中心に、バスの停留所、スーパ-、ガソリンスタンド、農機具屋、理容店、自転車屋。自転車人口の多いスイスならでは。日本なら、コンビニかパチンコ屋か?
役場には時計台があり、時刻を知らせる鐘が鳴ります。

 昔からの農家や、一戸建て住宅、集合住宅など様々ですが、屋根は皆三角で村全体が調和してきれいです。小さな交差点にも、通りの名前の標識が立っていて、車の運転は便利でしょうね(読めればの話ですが)。
 時計台の横には、いつも水の出ている水槽のようなももがあり、これは何ですかと聞いてみると、昔、馬車が交通手段だった頃、馬の水飲み場だったそうです。
今は、その目的では使われてなく、夏になると子供達が水遊びをするそうです。

 道ですれ違うときは必ずと言っていいほど向こうから声をかけてくるので、こちらも、「ターク」や「ハロー」や、とっさに「こんにちは」になったりしながら言葉を返しています。
 坂を上がっていくと、私達の暮らしているオーバードルフの家を右に見て、供給所と小学校があります。供給所の屋根の修理もほとんど終わり、あとは、南面にソ-ラ-パネルを載せて完了です。

 小学校は1~6年まで全員で70~80人くらい。子供達は12時になると、昼食のため、一旦帰宅、サッカ-ボ-ルをけったり、キックボードに乗ったりにぎやかです。

 先日フィルモア君という5年生の男の子を受け入れて、緑餌やりや、集卵をしました。
ふつうは親の職場に行くのですが、彼には事情があってヤマギシで受け入れました。
まさかスイスの小学生とマンツーマンをするとは思いませんでした。
中学生になると地域で受け入れてもらい、職場体験させているようで、日本とよくにています。
彼にドイツ語を一つ教えてもらいました。Das ist ei. (これは卵です)

 小学校の上がヤマギシの牧場で、実顕地の建物が右に見えてきます。ちょっと鶏舎を見に行くと、くじゃくとチビとマルがパンを食べていました。
さらに上っていくと、この辺りからも村が一望できます。写真の右上の建物の一部が製粉場です。

 村の一番上に酪農家が一軒あり、そこの牛達が、牛舎に帰っていくところでした。
余談ですがスイスでは、牛や馬が道路に落としたものは、そのままにしておいていいそうです。
つまりたれ流し。ペットの犬のものはもちろん飼い主が処理しなくてはいけません。
 道路の脇にしゃがんで見ていると、人なつっこい牛が近づいてきて、なめられてしまいました。


オーバードルフの家にて

オーバードルフの家にて

11/18 スイスより 中島伸明(春日山)

●ラ-メンでつながる実顕地

ラ-メンを前に喜びの文枝さん

ラ-メンを前に喜びの文枝さん

 恐縮ですがまたまた、麺の話。
文枝さんはスイスでラ-メンを作るとはりきっています。ある日こういう物があるよと言って食器棚から取り出したのはなんと!!「かんすい」(ラ-メン作りに欠かせない材料)しかもその袋の中には見覚えのある、坂本さんの字で詳しく書いた生ラ-メンの作り方まで入っていました。ビックリです。
 聞いてみると、5年前日本に来た時、清村さんに誘われて、観音寺実顕地へ行き、製麺工場を見て、帰りに「かんすい」をもらったそうです。その頃スイスでは、毎月会員さんと日本食を作って食べる企画があり、ラ-メンをやりたいと思っていた、という話でした。それから、中古の家庭用パスタマシンを15フランで買い、いつ か作ろうと思っていたそうです。

 それにしても、いつかは手作りのラ-メンを愛和館メニュ-にしたいとずぅ~~~~~と5年間情熱を持って暖め続けていた文枝さん。一方の私、あれは3年前、春日山に製麺工場が来てから、坂本さんに教えてもらい、ラ-メンを作りはじめました。そして現在、実顕地に思い切った交流の風が吹く中、スイス交流を提案し、職場の人や、実顕地の皆からの送り出しを受けての今です。
 
 食材・道具・作り手・やる気全部揃いました。11/8にしようと、すぐ決まり、私がラ-メン作り、文枝、郁代が冷凍の親鶏でス-プ作りにかかりました。小麦粉は、ハンスが畑を耕し育てたものをクリストフが製粉したもので、中力粉くらいの感じで、作りやすかったです。
さてさてその味ですが、なんということでしょう。春日山のと甲乙つけがたい美味しさでした。
特にス-プが味わい深く、スイス実顕地生ラ-メン完成!
これで心置きなく日本に帰れそうです。

 「念願のラ-メンが実現しましたね」と、感想を聞いたら「今は、中島さんたちが来てやってるから出来てるけど、あなた達が帰っても、毎月愛和館にラ-メンを出せるようにならないとね」と文枝さん。ごもっともです。

●スロ-フード見本市

会場内は、たくさんの人でした

会場内は、たくさんの人でした


 チュ-リヒ市内のメッセ(見本市会場)で毎年この季節に行われており、今年は11/14~16でした。ヤマギシが出店するのは、今年で4回目。ヤマギシを知ってもらい、生産物、特講につなげていく拡大の場としています。私達が交流に来た1ヶ月前から、何回も研鑽を重ねてきました。
 今までは、写真や文章で説明的なことを多く展示してきたが、今回は、自分達の内にあるものを伝えていこうということになりました。むしろこれはどういう意味なのか、関心を持ってもらうような短文のメッセージを。テーマは「 In der freude leben sich brauchen zu lassen 」(幸福な人生のために私達を活用してください)になりました。
 これからの実顕地づくりを考える良い機会にしよう、軽く・楽しく・一緒にやりましょうと出発しました。私は、皆で連日研鑽し合ったことが大きかったと思いました。

 見本市には、ドイツのケルンから飛行機で駆けつけたブリッタさん、20年以上前に日本で特講・研鑽学校に行ったフィリップさん、5~6年前豊里で半年暮らしたル-カスくんなど多くの会員さんが来ていてにぎやかでした。ヤマギシのブースは供給車ごとの展示です。
人は途切れることなく盛況で、わたしは試食用のパンやハムを切ったり、洗い物をしたりしてました。スイスに仕事で赴任した日本人が来た時は、このときばかりは私の出番でした。

 やはりここはスイス。出店は、チーズ・チョコレート・ハム・ソーセ-ジ・オイル・パン・パスタ等が多かったです。試食すると、店の人はフレンドリ-な笑顔で、ドイツ語で何か話しかけてきます。わかりませんというと、次は英語、それもムムム・・・・・。チーズも思い切り大きいのがあったり、オイルもいろんな香辛料で味付けしたものが並んでいました。見て、試食しておしゃべりしてそれを楽しんでいるようでした。
 チーズをいくつか試食しました。大方硬い、それに値段が高い。私には、マックスバリューのカマンベ-ルチーズが一番口にあってると思いました。

鶏舎遠望(右上が鶏舎)この写真を写したあたりは、遠くが見渡せる散歩コ-ス。別名ロマンティック街道

鶏舎遠望(右上が鶏舎)この写真を写したあたりは、遠くが見渡せる散歩コ-ス。別名ロマンティック街道

11/4 スイスより 中島伸明(春日山)

 皆さんグ-テン ターク。 こちらは日増しに秋が深まり、森が色付きいっそう美しい風景を見せてくれます。

 私の一日は、供給車の生産物積み込みから始まります。ヨーグルト・プリン・ケ-キ・豆腐・卵・野菜と順番に並べます。当たり前ですが、会話も文字も皆ドイツ語、何もわからないので

伝えられる事を、「よく見て、そのとうりやる」だけです。自分の思いが入る余地は有りません。二十数年前、やる事が何もかも初めてだった予備寮の頃、いろんな職場に行って受け入れてもらった

事が、よみがえってきました。ハーゲンブ-フの供給所は1996年から始まり、当時アンドレさんは果樹・畑、アグネスさんは太陽の家のお母さんだったそうです。いまは二人がここの二階で暮らし、

供給の全体を見ています。建物は100年以上も前のもので外壁の一部はそのままで、小さい木の板を鎧のように貼り付けてあり、葡萄や藤の枝が屋根の近くまで絡みつき、とても風情があります。

野菜のパック詰めや価格ラベルを貼る部屋が以前は事務所で、野菜保管の部屋が拠り所だったとか。どちらもコンクリ-トむき出しで、冬とても寒かったそうです。

それから住居部分の壁に断熱材を入れ、暖房の設備も整えて住みやすくしてきた。でも床は当時のまま木で、少し補修はしたけれど、歩くとギシギシいうらしい。

でも温かみがあって私は好きとアグネスさん。

 活用者はチュ-リヒを中心に600~700人位。アグネスさんのコースはお年寄りが多く、供給車が着くと家の人がみんな出てきていろんな話をするそうです。供給日の前には、あの人のところには、

これを届けようとか、そろそろ前のがなくなる頃かなと、顔を浮かべながら準備するそうです。みんなが家族のようだと、言ってました。金曜日は一番遠いルツェルンのアンドレさんのコース。

供給車が来ると活用者が大勢集まってくるそうです。「アンドレさんの人柄なんでしょうね」というと、「そうそう」とアグネス。今度相乗りさせてもらおうと思っています。

  ヨーグルトは毎日200個位のせていきます。いちご・オレンジ・りんご等は馴染みがありますが、キャラメル・コーヒー・チョコレ-トなど全部で15種。さすがスイスです。

野菜は近くの野菜生産者から毎日、その日とれたものを仕入れています。その生産者はスーパ-マ-ケットにも卸しているそうですが、1~2日で痛んでしまうとか。

ヤマギシのは、一週間もつと活用者に言われるそうです。なぜでしょうか?と聞いても、私達にもわからないと、ニヤッと笑っています。何か目に見えないものが作用しているのかも知れません。

野菜の扱いはとても丁寧で、ほとんどのものは、パックに入れきれいに包装されています。そのわりにパンは包装なしのそのままを、素手でつかんで棚に載せています。

 供給車には「Lebenskraft aus Lebensfreude」と書いてあり、「生きる喜びが充実していたら、活力が出てくる」という意味だそうで、これを見てこの車の中には何が入っているのか?

と尋ねて来る人もいるそうです。毎年チュ-リヒで行われるスロ-フ-ドの展示会(今年は11/15~16)では、多くを説明したパネルなど使わないで、ヤマギシはこの線でいこうと、

方向が定まりつつあります。私達も何か一役やらせてもらいたいと思っています。

 積み込みが終わると出発研です。今日一日どんなところでやるか、考えかたや具体的やりどころなど出し合って、供給に出発していきます。

 7時頃になると東の空が明るくなり始め、私は鶏舎に向かいます。霧が深い日は、村が乳白色に包まれて幻想的です。道すがら牛達が牧草を食べています。鶏舎に着いて一番先にやることは

ルシアン(雌猫)とチビとマル(つがいのガチョウ)の餌やりです。チビとマルには私達の食べ残したパンをやります。つまり彼らもパン食。それから鶏舎の水・餌を見て天窓を開け、緑餌やり。

ただこちらには「箕」がありません。バケツで緑餌やりは、どうもしっくりいきません。メイドインジャパンの「箕」はすばらしい道具と再認識です。

 午後から餌やり・集卵・選卵です。集卵していると、ルシアン・チビ・マルがなぜかぞろぞろ付いて来て、不思議な光景です。

しかもルシアンは時々鶏舎の中にはいります。始めは私もビックリしたけれど、鶏も騒がないし、後で聞いてみると、ネズミを取るので入室OKにしているとのことでした。

夜は、テレビ(スイスではサスペンスものが多いそうです)も新聞も何もわからないので、近くのスーパ-で買ったワインを飲みながら、今日一日の出来事や思ったことを妻と話し合って、

つまり整理研をして、10時には床に着く、とても健康的な暮らしです。

11/4 郁代

 私が「グ-テンモルゲン」と言うと、ハンスやアグネスは「おはよう」と答えてくれます??。生活館の中では、不自由なく日本語が行き交います。

 朝は7時、空が茜色に明るくなり、日によって濃い霧がたち込めて「牧場の朝♪」の歌のそのままの風景です。昨夜の食器片づけ、部屋の美化をして、7:30に文枝さんと今日の出発研。

コーヒ-を」飲みながらします。供給に行く人の弁当作り、交流の人達への気づかい、家周囲の花壇の整備、特講の係りなど、生活の中心は、文枝さんが「お母さん」として大きな存在だな~

と感じます。

 先日は春日山より持参した冷凍うどんを夕食に出しました。冷凍のままスイスまで持ってこれたので期待もひとしおです。かき揚げを作り、ネギ、おぼろ昆布、卵をのせ、一人一人に運びました。

丁度ドイツ在住の鹿野ゆきさんが娘のカリーナと遊びに来ていて、大喜びでした。

 スイスでは主食・副食の考えが薄いらしく、パン・チーズ・ハム・ヨーグルトを何種類か食卓に出します。それを各自が思い思いに切って、パンに挟んだりします。あとじゃが芋・パスタもよく出ます。

昨日のメニュ-は巻き寿司でした。15本巻いて、全員おいしい~。と言って完食でした。