ページを印刷 ページを印刷

故奥村きみゑさんへ お別れの言葉


img570a
 奥村きみゑさん、あなたは100年生きられました。100年と言うと一世紀です。一世紀をよく生きてくれました。お位牌の裏には享年百歳と書かれてあるはずです。享年とは天から享けた年という意味があるそうです。きみゑさんは自分が生きたいから100年生きたのではなく、天から受けた100年を生きられたのだと思います。
 私達は今日、人としての奥村きみゑさんを永遠へと送り出します。そして私達春日山実顕地では一昨日川口和子さんを永遠へと送り出しました。戦後70年の節目と言われている今年、山岸巳代蔵さんが提案してくれた幸福社会づくりに全てをかけてくれたきみゑさんと和子さんという二人の女性を永遠へ送り出すことで、私は何か大きなもので背を押されるように感じるのと、このお二人と共に生きて歩んできたことを誇りに思いほんとうにありがたく思っております。

 きみゑさんを偲ぶとき、特講の中でテーマについて考えられず苛立ったり激しい言葉を発する人に「○○さん、本当はどうなんでしょうね」と穏やかにやさしく声をかけていたきみゑさん、その声そのものが、きみゑさんとして私の心の中に今も生きています。
 特講から帰ってヤマギシの村の中にいるきみゑさんは<奥村のおばちゃん>と呼ばれてみんなに愛されていました。そして大きな薫陶をもたらしてくれました。春日山で毎年餅つきをするのですが若いお母さんが合いの手をしてくれます。その人たちの多くがヤマギシズム学園高等部で育った女性なのですが合いの手をする姿の中に<奥村のおばちゃん>が生きているのが見えるのです。
 又以前、豊里実顕地のすぐ近くに公的な焼却場が建てられることになりました。鈴鹿山脈からの鈴鹿おろしがいつも吹く豊里にとってそこに焼却場ができるのは大変な事態なので、なんとしてもやめて貰いたいとする動きが起きました。それでも公共の施設として着工されることになった時、きみゑさんは他のおばちゃん達と共に、男の人が前面に出ると騒動になりかねないから、ここは女の人にやらせてと、工事の最先端での座り込みをしました。大型のパワーシャベルから、砕石を頭の上からふりそそがれそうになっても、「作られたら困るんです。どうかやめてください」と訴えつづけてくれたのです。それで今の豊里実顕地があるのです。

 きみゑさんのお位牌の中に『和室』と書かれてあります。これについて、お通夜で導師様がこれは奥村和雄さんのご内室、つまり奥様であることを顕したと説いてくださいました。きみゑさんの亡き夫奥村和雄さんは山岸巳代蔵さんが提案された、みんなが幸福に生きられる『金の要らない仲良い楽しい村』をヤマギシズム発祥の地、京都に顕現しようと志を同じくする人と船南実顕地を創ってくれました。そして幸福社会と呼べる規模の実態を造るため、豊里実顕地創設メンバーになってくれました。
 さらにすべての人が真実の自分を知り、真実の生き方の出来る社会への第一歩を踏み出す特講の会場を鈴鹿山脈の中腹に伊勢湾や四日市の夜景を臨める所に作るために、『俺がやらねば誰がやる、今やらねばいつ出来る』と夏は自分が育てたみごとなスイカを携えて地元の人を訪ね続けて実現してくれました。
 和雄さんときみゑさんはどんな時も指導者や功労者ではなくヤマギシズム実践の人生を全うされたお二人でした。
この奥村和雄さんときみゑさんというすばらしいご夫妻を全人幸福社会づくりに送り出してくださいました奥村家、親族の皆様、そして船南実顕地のみなさん、奥村夫妻のふるさと園部の皆々様方に深く敬意を表しお礼を申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。
そして最後に奥村きみゑさん、ほんとうにありがとうございました。 

          

2015年6月4日 ヤマギシの村人代表 春日山実顕地 逢澤利晃