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海外実顕地から
【豊里交流会】


豊里交流会で海外実顕地のメンバーが流ちょうな日本語で発表してくれました。ずらりと並び話す姿は、何年たっても、どこにいても変わらず、すぐに使いこなせる日本語と同じように今まで培ってきたその底力を感じさせてもらいました。

豊里実顕地 喜田栄子

ブラジル実顕地

ホメウ(57歳)
いつも、一番遠い実顕地から始まるので、ブラジルカンピーナス実顕地からホメウです。えーとね、今ブラジル実顕地は出発して27年前なんですけど、今は実顕地メンバーは12人で、子どもが4人、5人位かな。1年に特講4回位やって、楽園村1回か2回やって。養鶏もやっていて、今だいたい15、000羽位やっていて、卵は全部供給に出しています。畑を12町歩位、60種類の野菜を作っていて全部供給に出しています。
今回、僕は日本に来るのは7年ぶりなんですけど、28年位前にここでみんな世界にはばたくという運動があって、でー、あちこち、タイ実顕地も出発して、スイスとかオーストラリアとかね、その中で、ブラジルも出発して。でーずーっと27年間やってきて、今回ネ、いろんな諸国から来て、みんなで集まって、なんかー、27年間やって中間研という形でやってみてどうだったのかという形で、実顕地つくり研やって、特講の研鑽会、これから特講どうやって進めていくかという、明日からは養鶏サミットということで、研鑽が始まるのですけど、自分としてはすごく、日本に来て嬉しいというか、いろんな国からも集まって、それぞれ自分のいろんな経験を出してみて、これからどうしていこうか、まー、研鑽してみてもっと若い人が来る実顕地をつくりたいなぁと思って、ブラジルに帰ったら、それにかけようかなぁと思って。
ここで25日までしか居ないですけど、ブラジルに帰ったら、そういう若者が来るようにやって行きたいなぁと思います。
もうひとつ、ちょっと前まで小出農夫也さん恵子さんとか一緒にやっていたんですけど、今度こっちに帰ってきてね、まーブラジルその人たちの力でね、ずーっと実顕地預かってきたんですけど、今度は小出さんたちブラジルにいないけど、僕たちもっと力をつけて、やっていきたいなぁと思います。

箕輪賢治(61)
ブラジル実顕地の箕輪賢治です。18日に着いて28日までの予定です。
今回は、、、実は全国実顕地つくり研とか、そういう知らせは去年辺りから来ているんですけど、毎回知らせとか来るのが1週間前とか2週間前で、ビザとかチケットとるのが、行けないじゃないかという感じで、いたのですが、今回はそういうことも時期をずらしてもらったり、この日なら行けると連絡を取り合ったりしてなんとか、来れることができました。
これから、今までやってみて、ブラジルの実顕地とか、若い人がやっていける実顕地とか、日本ではどういう風に進んでいるのか、どいうことが研鑽されているのかそういうことも知りたくて来ました。僕自身は今までの事いいますと、豊里に80、、、90、91年と2年間やっていました。この下の飼料センターでやっていました。その時の人たちのこともあるんですけど、いろいろ実顕地の懐かしさがたくさん湧いてきました。その後、91年にブラジルでオレンジ園やるという話になって91年からずーっと20年間、2010年までオレンジもやってきました。いろいろありましたけど、一度2010年、オレンジ園だけでやるのはちょっと、あまりにも世界のオレンジの価格の相場とか、すごい輸出に頼っているとか、ひとつのモノだけで作るとかあまりの経営的にすごい波がある。儲かる時はドカンと儲かって悪い時はすごい赤字で平均したらトントンという感じがずーっと続いていて、2008年のリーマンショックの時も世界の不況がガーンと来て、オレンジ園もこれじゃやっていけないということで、2010年に日本に来た時にオレンジだけでなく、多角的に別の物をやっていこうと方針を変えようと研鑽して、その時僕もオレンジ園を離れて、それまではずーっと、オレンジ園に通っていたんですね。それを今度実顕地に住んで、丁度その頃、又、養鶏の方もそれまでずーっと10棟建っていたものを向こうの有機農業の基準に合わせるために、2棟つぶして運動場にして、草を生やして鶏が出るようにチェンジした。2011年オーストラリアから久保田さん、日本から前田さん、修二さん、北海道の正春さんとかが来て、鶏舎移動解体をやってくれたんですね。それがすんで今年、去年で鶏舎のチェンジは終わりました。それで、経営的には卵は順調に売れています。
まぁそんなところできています。明日とか、養鶏サミットとかあるので、これからそういう研鑽して行くという感じです。

スイス実顕地

ウォールタ哲(42)
僕はですね、何話してもいいんですね。2007年の12月まで豊里に居て、それからずーっとスイスで、肉牛とか豚とかの世話をしています。今回こっちに来たきっかけというのは説明すると、スイスは夏の間一般の方が休暇に入っちゃうので、その間供給は休みということで、1か月休んでその間なにをするかということで、最初は研鑽学校どうかと言われたんですけど、今年はちょっといいなぁと、それは断って、今年は日本に行くことないだろうと思っていたらソンジュンからいきなり電話がかかってきて、養鶏サミットがあるから是非来てくれってえらい、強い感じで言っていて、それに来たらもう10年来なくていい、まーそれでまー、そんなに来たいとは思ってなかったんですけど、チケットも用意してあったので、一応来ました。それでこっちに来たら毎日研鑽会があって、なんかはめられたなぁと思ったんだけど、
僕はスイスでは週に1回位しか研鑽会あまりやらなくて、結構強烈だった。まーやってみてよかったなぁと今では思っています。でーまースイスにこれから帰ってというのでは、もっちょとみんなと寄ってやって行けるようにみんなで考えてやっていきたいなぁと思っています。

アンドレ(57)
ちょっと、言葉足りないけど。スイスのアンドレです。僕供給やっているね。スイスは今8人いるね、10年間位供給やっている。その前は養鶏、今ここ見たらいっぱい、スイスに来た夫婦見たね。その人はいつも新しい空気入る。スイスの実顕地に入る。8人いつも同じ、一緒の顔、だからそれすごく大事なことです。それで、来たら、実顕地ひとつでやりたい、だから、もう、スイスの実顕地から人をもっと、もっと送り出したい。他の実顕地とみんなと一緒に実顕地つくりたい。それで、まー、別ですけど今日楽しかった。今日春日山行って、邦子さんの所行って、幼年さんと遊びたい、すごく楽しかった。

オーストラリア実顕地

久保田康伸(65)
オーストラリアの、、最近は名前を変えました大河実顕地になりました。康伸は引退です。僕はちょっと、孫紹介しますけど、こちらが久保田いさや、こちらがまさや、5か月で。双子がうまれました。オーストラリア実顕地安泰ですね。えー若い人がやりたくなる実顕地ということで、今回メインがそういうテーマでずーっとすすめてきたんですけど、うちに若い人も時々交流に来て、今貴志実君、結構長くやってくれているんですけど、とにかくあのー、ゲームが好きなんですね。スマホ持って、飯食う時も、食う時まではやっていないんですけど、とにかくゲームが好きなんです。オーストラリア実顕地はスマートフォン実顕地にしていきたいなぁと、スマートフォンを持っていればすべてができるという。今回の養鶏サミットがあるんですけど、スマートフォンではい、今から集卵とか、今から選卵とか、全てがスマートフォンがあればできる、そういう実顕地を今後目指していきたい。山岸さんもね、機械でできることは全部機械でと前から云っていたんですけど、僕もそれをなんとかやりたいと思っていたんだけど、その話を母ちゃんにするとそんなことしていたら鶏なんか見て行けないといつも却下されるわけ。今迄も25、60ですけど、もう65ですけど、このままいくとヤマギシ養鶏は廃れてしまう、ここでなんとか一般でもかなりの機械使って、山岸でもそれ以上のもの目指して、明日から始まる養鶏サミットに胸ワクワクしていますけど。この間も若い人がやりたくなる実顕地そういう実顕地ということで、僕らがあまり、僕らが考えていることと、若い人が考えていることが違うからギャップがあるから、すべてこう、若い人に任せてね、みんながね、若い人がどんどん来たくなる、でもね、年よりも来たくなるそういう実顕地を目指していますので、みなさま交流をよろしくお願いします。

韓国実顕地

キム ハンギョル(27)
韓国実顕地から来たキムハンギョルです。僕がここでしゃべったのは3年前、楽園村の閉村式の時だと思うのですけど、今回も日本でここ豊里で日韓の楽園村をやって、今回僕は来ていないのですけど、終わって子供たちが来た時、僕は空港まで迎えに行ったんです。迎えに行って「どうだった?」と聞いたら「すごくよかった」「何がよかった?」と聞いたら「全部大きくて、色んなものが沢山あって、人も沢山いてそれがよかった」と言っていて、それと楽園村韓国はスタッフでやっている人が全部用意してやっているのですが、村で本当に色んな人が少しずつでも関わって、何もしなくても座って子供を見てくれるおばあちゃんやおじいさんもいて、そういうのを聞いて、大きな村に包まれて、そういうのがよかったと聞いて、僕は子供たちが無事に楽しく暮らして、帰ったのでありがたいと言いたいです。それと、この3年間の間に僕は参画もして、結婚もして、子どももできました。僕はこういう写真は持っていないのですが、僕は若い世代なのでスマホで。さっき佳江さんが韓国は人も少ないのに、楽園村とか特講とか研鑽学校ができているのがすごい!と言ったと思うのですけど、韓国の力だけでは僕はできないと思うのです。やっぱり、実顕地ひとつとして、色んな人が生活スタッフに来てくれたり、僕の結婚式もそうだったけど、ほんと、色んな人がこう、ひとつでやって行こうとして、日本からも色んな人が来てくれたり、ここに来ても色んな人が用意してくれたり、そういうのがあって、今なっているんじゃないかなぁ、だから韓国実顕地だけでやるという感じでなく、世界中の色んな人といろんな実顕地の人とやっていると思っています。

キム ヒヨンジュ(51)
韓国実顕地のキムヒョンジュンです。私は韓国実顕地、これからの事をどう云う風にするかということを、2000年から考えていて、後継者つくる為には青年活動を活発にしていく方向が始まっているよというのが始まって、その時から担当をやっていて、今年までで15年、15年位やってきましたけど、今年2月養鶏法から帰ってきたハンギョルとユ ジェホというまだ若い人がいるんですけど、その二人に私は呼ばれて、これからのことは自分たちやるから辞めて下さいと言われて、研鑽会も来ないで下さい、と言われて「私何をするか」と聞いたら「自分が探していったらいいよ」とまた言われて、今日の話を聞いていて本当に考えてみました。韓国実顕地も去年で2014年で立ててから30年になりました。それをきっかけにしてこれからのことを考える来てて、2013年研鑽学校Ⅱを日本からいろんな実顕地メンバーに来てもらって研鑽して、また、今年5月養鶏法でいろんな実顕地メンバーが来てもらって、一緒にも考えてもらって、暮らしをつくって行きながらやってきた二つの長期研がすごく、良かったなぁと、思っていて、またその間には色んな人が交流に来ていて、韓国実顕地ではこの2年間、色んな動きが変わったなぁと思います。それがうれしくてね、それを思うと、私は今までずーっと貰って来たから、特に日本のいろんな実顕地のメンバーから貰って来たものを、次のことを考えみると他の実顕地に交流に行ったらいいかなと、思っていて、次って考えてたらまずはオーストラリア実顕地行ってみたら、と言ってもらって、次、そういう風なところを考えていきたいなと思っています。

ユン ソンヨル(72
ちょっと長くなったから、簡単に。もと、こういう風に集まるようになったのはホメオさんと賢治さんがなんか来ると前月聞いて、そしたら私も来るわ、と言ったら若い人たちが世界の実顕地どこの人でもちょっと寄ろうかとなって、また養鶏の事も前からどうしたらいいかと云うことで結構、中西喜一さんに何回も相談かけたけど、最近喜一さんが名古屋の展示会を見まわってみて、これならこれからは、今のままではだめだなと気が付いた。という話をしていて、そういうことを若い人たちに言ったら、そしたら一緒に研鑽しようというようになった。だから、サミットと云うのが日本語だったらどういうことかな?、英語だったらサミットと云うけど、サミットと云う日本語私は分からなかったですね。ユニークな言葉付けてくれて、今度こういう風にいって、あー、実顕地と云うのは1カ所じゃない、全世界あちこち、うちの実顕地だなぁと云う、で、どんどん韓国に来るから韓国からはオーストラリアを追い出す、そこから、また、どこか行くようになるのでないかな、だから、どんどん来てください。そしたらその人が他の所に行くようになるから、この頃若い人たちが韓国へ何回も行ったり来たり、したこともあるし、結構来るから、行くようにもなる本当に全世界がひとつの実顕地だなぁと実感するようになりました。

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