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“一緒にやろうよー!”の声かけに心が動いて


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福崎進・志穂夫妻が参画して春日山配置になって、ちょうど1ヶ月が経ちました。
16年ぶりに村に帰ってきました。
進さんは11才から高校3年の途中まで阿山の学育育ち、そこから高等部1期生、
志穂さんは11才から大田原・豊里の学育を経て中学2年から中等部1期生その後、高等部(6期生)
新配置は進さんは学育部で、志穂さんはベジタ部でやっています。
今の心境を聞かせてもらいました。

春日山実顕地 平島春美

<1ヶ月やってみてどうですか?>
福崎 まぁ普通かな、特に違和感もなく。
1ヶ月やってみての研鑽会でも、妹尾さんに思ってるのと違ったとか、あったら言っといたらいいよーって言われたけど。

<進さん達って村から出てすぐ、美里実顕地で結婚式したよね、どうして出ようと思ったの>

福崎 結婚は出る前からしようかーって、決めてたから。
オレも学育育ちやし、一回村出て、地域でやってみたいっていうのもあったし、その頃の村の流れもあった。
オレは直接関係なかったけど、鈴鹿に大分人が流れた時期でもあったしね。オレも学育育ちで学園の係もやってきて、最後のほうは、色々あって、ずっとこのままの気持でやるんかなぁ、自分を自分で縛るような感じもあって。
その時30才で、まぁ、決めるんやったら今かなーと思って。

<志穂さんはその時どんな感じだったの?>
志穂 私は村でよかったけど、結婚したかったし、ついていくしかないかぁ~。それでも、いつかは帰るなぁと思ってたから。
16年外でやった。最初は古ーい田舎で、斑鳩町って代々続いているような、回りはおじいちゃん、おばぁちゃんばっかりだった。
最初はコミュニティセンターに行って必死で若いお母さん捕まえて友達になったりしてた。
6年半前に進さんが整骨院開業するときに奈良の学園前に引っ越した。
そこはマンションがいっぱいで若いお母さんがいっぱいいて、最高だった。
外に出たら若いお母さんとしゃべれるし、家の前は通学路だったから、子供達もいっぱい見られた。
だけどいざ、ゆう太を幼稚園にいれるとなると、お母さんたちとかかわるのにすごく緊張した。
だんだんにうちとけて、楽園村とか、ぴよっこ合宿も進めたくなって、何人かは春日山に来てくれた。
引っ越しする時は「行かないでー」とみんな言われました。
福崎 僕は患者さんには引き留められたけど、、。「困るわー次どこでやるのー!」

<村に戻ってこようという経緯は?>
福崎 最初は介護の仕事してて、それから整骨院で働きながら勉強させてもらって、最後は開業してひとりでやってたけど、どこでも、楽しくやってきた。
楽しくやれるように育って来たんかなぁ。
介護の仕事もいくつか働き場所は動いたけど、いつも誘われて、やってみようかなって、人の繫がりで呼んでもらって動いてきた。
今回も若い連中に「一緒にやろうー!」と声かけられたのが大きかったかな。
志穂 長女も中学生だし、自分達の生き方もはっきりさせていかないとな、って。
進さんが研鑽学校3に自分から行ったのよね、それが良かったのよね。
お父さんに話聞いてみたくなったって、会いに行ったよね。
福崎 研学は行ったら行ったで、いつでも「よかった」ってなるよ。親父はまぁ豊里に行ったついでに、、、。
研学というよりはやっぱり子供の進路をどうするかとなったらこっちもはっきり考えざるをえない。
こっちがはっきりせんと子供にはっきりせいとは言えないし。

<学育で子供達みていてどうですか?>
福崎 子供は可愛いし、ひとりひとり違うなぁ~。
オレも学育育ちやし、いろんなことやったから。元気に育ってくれたらいいかな~。
子供と一緒にいるのは楽しいし、楽しくない時もあるけど、同じ空間にいてオレ寝っ転がって、ボーとしてるなんてこともある。
福田さんみたいにきっちりやれないから、あまり背負い込まずにみんなに助けてもらいながらです。
村に来る前から学育でと言われて、「まぁ、それならそれで、福田さんいるし、2年位一緒にやってから、福田さん離れるのかぁって思ってたら、春からいないよー」 「うっー」って感じです。

6年生の女の子達に「福崎のお父さん甘い!」って言われる。「結構、叱ってるつもりやねんけど」
「そんなんじゃ、まだまだ、甘い!」って言われてるからね。
*そういえば、昨日まめまめしく卵焼きテーブルでつくってたわね。
福崎 あいつらやらんから、オレ作るわーって。2~3日前6年生テーブルでお好み焼き作ってたら、葛原光太郎がたまたま戻ってきてて「進さんのお好み焼き20年ぶりに食べたいわー」って言われて、そういえば、こいつらのオレ作ってたわーって思いだした。光太郎が高等部7期でオレが初めての係やった、その頃は男子と女子テーブル別やったから、男の係がテーブルメニュー作ってた。

<志穂ちゃん畑でどうですか?>
志穂 うれしいー! 高等部の時は蔬菜部になれなくって、今、担当が貰えたってことがうれしいくって、ちえみちゃんと胡瓜といんげんの担当になったの。ちえみちゃん2週間研学に行っちゃたから枯らさないように、みんなに見てもらって、聞きまくってやるしかない。
*フレッシュだねー

福崎 まぁ暮らしてて、そんなに大きな違和感はないかな~
「こんなはずじゃなかったみたいなのは」
志穂 暮らし始めた東部の宿舎はここに住むのが初めての人ばかりでスタートしたの。
(今回の春の大移動で1棟全部入れ替わった家)家に驚きつつも住みやすいようにみんなの得意分野で手入れして住み心地がよくなってきました。
こんな風にみんなで暮らすのが私にはピッタリだなぁと思ってます。
みんなでやれるなんて、こんな幸せいいなぁ~。

*ありがとうございました。
あまりに自然体だったので、福崎さんに「学育の今後の展望や夢は?」なんて聞きそびれてしまいました。
3月20日過ぎに引っ越し・豊里楽園村・新学期と立て続けで周りからは「体調管理自分でしてくださいねー」と釘をさされているようです。どうぞよろしく