ページを印刷 ページを印刷

チーム餃子


豊里文化展から

2018-06-20 (1)
アルバムを見る⇒チーム餃子
 大貫喜代子
一周年 早いですね。去年の6月7日に一回目の餃子作りが始まりました。
毎回参加させてもらっていますが、顔ぶれが違ったりで、いろいろな人と触れ合えるので、とても楽しい餃子作りです。

先日の30日、いつものように始まり9時までは順調だったのですが、その後機械が止まり、2時間たっても動かなくて、結局できたのは豊里用のみで、春日山・美里・内部川・一志は具と皮を持ち帰ることになりました。
でも皆「豊里用79コン出来てよかったね」の喜びでした。

一志は12時に食生活部から「今日の夜のメニュ-は餃子です。機械の故障のため具で届きます。4時から餃子包みをやりましょう」のメールが流れ、食生活部の人がスーパ-3ヶ所回って餃子の皮1200枚ほどか買ってきました。
4時には10人位のお母さんたちが寄ってきて、あっという間に、大きいのや小ぶりのや、形も色々の、機械で作ったのとは違った手作り餃子が1200個出来上がりました。皆の心が寄った愛情たっぷり餃子、とってもおいしかったです。
残った皮と具で零子さんと二人で棒餃子を作ったのもとってもよかったです。

この一年間の中で清村さんが「自分と上羽さんともう一人の三人で3ヶ月かけて餃子を作ろうと思って機械を直したんだ。どうしても餃子が食べたいとの声もあって」と話されたときはすごいなというか、とても嬉しかったです。
こうして男の人も入って出来ていく、流れて出てくる餃子を見たら、感激と喜びで、嬉しさが沸くばかりです。色々ある中で皆で作っていくって楽しいですね。これからも一緒にやらさせて欲しいです。

追伸
ニラは一番多かった時14㎏です。平均10㎏かな。
一志から私だけの時があったり、加藤さん・遠藤さんと3人で行ったときも一度あって楽しんで喜んでもらってよかったです。

清村武雄
ひとり、ふたりの”思いっきり食べて欲しい~!”との心からのつぶやきが、多くの人にジワッと染ていっての一年でした。さらに、ニラクラブ、餅チームへと、拡がりにもなりました。
声かけですすむ、気持ちのキャチボール、”・・っぱなしのよさ”かな?!
寄ってくれて、食べてくれて、嬉しいー‼︎

奥田なな瀬
新しく餃子づくりが始まって1年ということですが、月一度寄ってやっているうちに1年が経っていたという感じです。早かった気もするし、もうずっとやってきていているような気もします。 1年前の春、それまでは清村さんの方から製造の日が連絡が来て、時々食べれていた餃子でしたが、「月一度くらいは餃子を食べたい」という声があがってきて、三重県地区のメンバーで食品加工へ寄りました。どうしたら、みんなが月に一度おもいっきり食べられるくらいできるか、ということで、色々出し合いました。
『男の人で関わっていける人を増やしたい』『野菜の下準備を豊里だけに任せる出なく各実顕地から持ち寄ったらどうだろう』『今までは各実顕地自分のところの分ができたら持って帰るというリレー方式だったけれど、半日一緒にみんなの分作るというのはどうだろう』などなど。思い出してみるといろいろ段取り的な話が多かったけれど、何がともあれ寄ってスタートできました。
1年後こんなふうになっているとは思いませんでしたが、最初のころはとにかく次の製造の日を決めて終わる、というのが意識の中にありました。そうでないと「また立ち消えになるのでは」と、どこかにあったのだと思います。
でも、その心配もいつの間にか消えていました。春日山からも餃子づくりの数日前になると今回行きたい人、ということでいろいろな職場から送り出してもらい、食生活からもたくさんのメンバーで関わらせてもらっています。
当日、各実顕地からのメンバーでお互いのポジションや休憩も特に段取りすることもなく進んでいき、製造後の片付けから駆けつけてくれるメンバーがいたり、その後の昼食にみんなで食べる餃子を焼きに来てくれる人もいたりと、流れていくようなとけていくような、そんな餃子づくりかな。
あんまり書くことないかなと思っていたけれど、書いてみると餃子づくり楽しんでいる自分なんだと思いました。

橋口利明
僕は餃子が好きなので市内の餃子店に食べに行ってました。しかし、我が家の餃子を食べたいと思っていた。
豊里で餃子の半自動機があると聞いたので、自分のやれることはないのかなと思い、餃子を立ち上げる研鑽会に参加した。
三重地区の食生活のメンバーが寄ったら、「来月からこのメンバーが寄って、餃子を作ろう」となったように思います。それから毎月豊里に集まって楽しくやっています。

「チーム餃子」というライングループもできて、いろいろやり取りしています。
餃子は毎回13000個ぐらい作って、みんなで作ったばかりの餃子を味わって、飲み物やおにぎりなども、これが楽しみの一つでもありますね。
僕は春日 山の分4500個を車に乗せて持ち帰るのが楽しくもあります。

昨日は餃子チームが結成して1周年。餃子を作った後に、緑地公園で食事会をやる予定でしたが、機械の調子が悪くなり、復帰できなくなりました。残った具材については各実顕地持ち帰って何とかしようとなりました。みんなの即断即決には驚きました。それから、緑地公園に行って、牛や豚肉などの焼肉に夏野菜と飲み物で乾杯!

何が起こっても慌てることなく、どうするかだけを実践していくメンバーに脱帽!
ちなみに春日山では持ち帰った具材を、すぐに棒餃子を作って夜のメニューに初登場でした。

 楽しみは不純な動機から 犬飼
一年前、村づくり研で餃子製造のあとの食事会(宴会?)が話題になり「餃子にビールなんてサイコーじゃん」と密かに思い参加しましたが、毎回出来たての餃子を頰張りながら一品持ち寄りを頂く食事会は最高ですね。
また餃子製造を通して大勢の人と知り合えるのが嬉しいです。三重県地区のメンバーたまに全国からの人も来て、実顕地の垣根を越えての出会い作業は、世界が広がり、心を愉しませて貰えます。
数ヶ月前から前日の仕込みもやら、毎回発見です。
ひと段落して清村さんとのコーヒータイムも楽しみで、本番では味わえないゆったりした時間を楽しんでます。次回はどんな餃子ができるかな

浦崎雄一
チーム餃子1周年でという事ですが、私は途中からの参加で、どういう経緯か良く分からないのですが、各実顕地から寄ってわいわい楽しく餃子を作って最後は皆で餃子を、持ち寄りでのご飯や飲み物と一緒に食べて楽しく歓談してゴミ一つ残らず帰って行く。こんな気風に触れたいと思って参加し始めたのを覚えています。

毎日研で清村さんが今日の1周年を振り返ってを話してくれました。
毎月餃子を目安無しで食べたい、1万個作りたい、皆で作ったらいいんじゃない等々の声に後押しされながら、三重県地区のみならず全国の実顕地メンバーに餃子と心が行き届くようにと。

製造機械洗いもどんどん女性が関わって来る。掃除や片付け、洗いが終わったころには餃子が焼き上がり、おにぎり、飲み物が用意されている。
また色んなメンバーが関わって来る。面白いから行ってみようと声かけられてきた人、特講を受けたての実習生、モンゴル実習生、若い人からお爺ちゃんお婆ちゃんまでやれるところで楽しみに来て楽しんで帰って行く。

そんな1周年を迎えての当日、休憩が終わってさあやろうかと始めた矢先、餃子の皮の原料が機械のベルトにがっちりと挟み込まれてしまいました。にっちもさっちも行かず結局分解してやり始めたが、変形したベルトに皮が引っ掛かりここで万事休す。
男性が何とかならんかと手を打っている間、女性達は夕食の段取りを考えて、上手く再開出来なかった場合、餃子の種と皮を持ち帰り夕食の段取りをあれこれと考えていたそうです。早速、餃子の種をビニールを敷いたコンテナに広げて入れ、薄く伸ばした皮も折りたたんでコンテナにいれる。
一方、私と女性何名かはログハウス「集い」で炭を熾したり、野菜を洗ったりバーベキュウの準備をして、洗いや片付けが終わった面々がそろい1周年を祝っての乾杯、もちろんノンアルコールでした。

春日山では餃子団子スープや財布(?)餃子に変身して、また一志では市販の餃子の皮に種を入れ餃子になり食卓を賑わし、チーム餃子のラインに早速写真が載っていました。
何があっても楽しんで行ける実践が皆とやれたという実感が心に残りました。

福崎志保
食べ物の中で一番餃子が好き。好き過ぎて自分で餃子何回作って食べたことか…餃子に関わる事ができたら幸せな私です。

餃子のLINEグループに入れてもらったけれど、なかなか行けず、餃子を作りに行ったのは2回だけ。
餃子工場に行くと、お母さん達に「あんたはあれやりな。これやって。」と言われるがまま「はい。」とやるだけでめっちゃ楽です。

日常は、考えたりやったり結構いっぱいいっぱいな生活なので、餃子作りの空間でまったりと、その上大好きな餃子でお昼から餃子パーティー。餃子お腹いっぱい食べて帰って、更にまた夕食でも餃子をぱくぱく食べちゃって大満足しています。

今井有記
清村さんに、有記ちゃんの「1万個作りたい!」っていう声から始まったよ。ってよく言ってもらうんだけど、私はただ、愛和館で最後の人まで生餃子を食べてほしかっただけで。でも、その声に反応してくれた清村さんがいて。

その後に、春日山メンバーから、毎月食べたいな!作ろうよ!という声とか、餃子の魚菜から一緒にやれる人いない?という清村さんの声に反応して集まってくれた、美里、一志のお父さん達とか、毎月、餃子作りの後の餃子デ昼食会で、出来たて餃子を美味しく焼いてくれるお母さん達とか。

それより前、豊里メンバーだけで、豊里の分を作っていた時、必ず朝早くから、昼過ぎまで、入ってくれていた小野口さんとか、なかなか集まらないメンバーをいつも必死に集めてくれていた、いく子ちゃんとか。

たくさんの人の繋がりや、ひと声から、こんな形になってきたかなぁと思います!

もっと他の人にも餃子作りを味わってみてほしいなぁとも思うし、でも、他を成り立たせてもらって、愛和館に美味しい餃子を食べに来てもらうのでもいいなぁとも思うし…。ま、どっちにしろ、つながってるのかな。

豊里文化部