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韓国から日本の実顕地に参観に来ました


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去年の2月に韓国実顕地特講の係に入りました。その時の特講生の人達が2月16日~3日間、日本の実顕地に参観に来ました。特講の時に行きたいと言っていたことを実現して実際に日本に来たのはとてもビックリしました。日本の実顕地に参観にきた時の感想文が届きましたので紹介します。

春日山実顕地 山崎彰久


日本実顕地参観感想文  ハン・ダソム

2月16日から18日まで、韓国の特別講習研鑽会同期の方々と日本の実顕地参観に行ってきた。 韓国実顕地で暮らしながら日本の実顕地を直接・間接的に体験して来たが、参観を目的として訪問したのは今回が初めてだった。 特別講習会を受けて以来、初めての訪問でもあった。
実顕地会員の子供として、また、ヤマギシズムについて質問を抱く特講生として今回の参観に臨んだ。

2泊3日の間、内部川実顕地、美里実顕地、豊里実顕地、春日山実顕地を訪問した。 見慣れた場所もあり、初めての場所もあった。
行く先々で皆が歓迎してくださったり、喜んでくださった。
実顕地と職場を訪問する度に、日本の実顕地が初めての特講同期の方々が積極的に質問され、沢山のことを新たに知ることが出来た。
また、直接目で見て体験しながら、韓国実顕地で暮らしながら思ってきた感情を導入することができた。
実顕地滞在中、特講同期の方々と会話をしながら実顕地についてだけでなく、個人の人生と価値観に対する考えを分かち合うことができた。
特講同期の方々は皆学ぶ点が多くて末っ子の私にとってお手本になり、また、応援もしてくださって勇気を得ることができた。

実顕地生活と大学(ソウル)生活を行き来しながら、卒業を控えている今この時点で、今後どんな方向に進むか悩むことが多い。
ヤマギシズムについても依然として分からない部分もあり、断定して決定するにはまだ早い時期だと思う。
実顕地の内側と外側の両面から学び、多様な観点で見る方法を身につけている。
両生活とも大変で息苦しい場合もあるけれど、そういった部分に圧倒され、判断するということは止めようと思う。
多様な経験と学びを通じてどんな価値を人生に適用させるか一つ一つ選択していきたい。 今回の日本実顕地参観もそのような時点から始まった。
今回一回で終わるのではなく、いろいろ体験してみたい。 まだ私の中で質問と価値が整理されていないまま入り混じっている。
困難がある毎にアドバイスを得られる場所が多くてよかった。 韓国の実顕地だけでなく、特講同期の方々、楽園村の友人たち、日本の実顕地まで(笑)。

悩みが多かった時に参観できて、意味があったし、良い方々に会えて癒される時間だった。 私たちを歓迎してくださった4ヵ所の実顕地のすべての方々に感謝します。
おいしいイチゴとおいしいご飯、暖かい寝床、とても楽だった移動、多様な職場訪問など、そのすべての日程に気を使って下さったおかげで参観により一層集中することができました。
今度会うまで皆さんお元気でお過ごしください。 今度また会いましょう!


日本の実顕地を訪問してみて キム•ハンギョル

7年ぶりの日本訪問は、昨年、韓国での特別講習会で係役に入った彰久兄さんの「日本の実顕地に皆さん遊びに来てください」といった言葉がきっかけとなり、その1年後、特講生(1997回特講生全員)と一緒に実際に行くことになった。 準備段階では単純な訪問のための企画だったが、多くの人(波田英夫さん、ユン・ソンジュンさん、石門聡さん、山崎彰久さんなど)により、具体的に日程が決まっていった。
日本に行く前から準備してくださった方々に対する感謝の気持ちとそれに応えられる姿勢でなければというプレッシャーを感じながら日本に出発した。
内部川実顕地で美味しいご飯を食べ生活館に入った時、日本の実顕地の特有な匂いを嗅いだ瞬間、「本当に来たんだな」と実感した。
日本で生活していた時、職場の仕事が終わり宿舎に入る度に感じた匂いだったせいか心が落ち着いた。
私は幼年部時代から10代の楽園村、青年期等に色んな交流を通じて3年程の時間を日本の実顕地で過ごした。
様々な実顕地を経験しながら、実顕地は実顕地ごと、また、実顕地を作っている人によって色んな特色があり、実顕地は「~こういうものだ」と決めつけられるものではなく、私がどうやっていくかによって実顕地を作っていくことができるんだという希望をもち参画を決心した。
この間、コロナのため日本の実顕地との交流機会を持てなかったが、韓国実顕地で集中して過ごして来た時間が私の密度を上げる時間となった。「持続可能な実顕地」、「明日のある実顕地」を作ることに集中してやってきたうえで、再び日本の実顕地を訪問してみると様々なことが見えてきた。
職場で一緒にやっている 70、80代の方々の姿がとても健康的だと感じた。
年をとっても一緒にできることがあり、活かされているる姿を見ていていいなぁと思った。
その反面、若い人、特に20代の女性たちが活躍している姿を見ることができなくて残念だった。
私は韓国の実顕地で2人の娘を育てている。未来の実顕地は若い女性たちが思いっきり楽しく生活しながら活躍できる実顕地にして行きたい。現在、主に男性たちが中心となって楽しくやっている実現地の職場の姿に加え、新たな姿が必要だと思う。
実顕地の若い女性たちの話をもっと聞きたかった。このような部分についてどう考えて描いているのか、次の機会に聞いてみて、一緒に考えることが出来たらといいなぁと思う。
その他、食事と宿泊、移動の時はとても準備を万端にしてくださったおかげで楽に過ごすことができた。そして、一緒に行った会員さんたちと毎晩ビールを飲みながら研鑽できた時間も良かった。会員さんの中には一般社会で活動する方々が多かったので、色んな事柄を実際、どのように具現して行けるか、具体的に研鑽することができた。私は生産性のある会話が好きで本当に楽しかった。

最後に、各実顕地ごとに多くの方々が時間を合わせて案内してくださり、歓迎してくださってとてもありがたかった。3日間が一週間に感じるくらい豊かに準備され、充実した時間だった。
ヤマギシズム実顕地を一緒に作っていく同志として、みなさん今後も健康でいてください。また近いうちに沢山お会いできたら嬉しいです。

リュ・スンクォン

23年2月にヤマギシズム特別講習研鑽会を経験し、1周年を迎え、同期の方々と一緒に日本の実顕地を探訪する特別な時間を持つことができた。

16日、名古屋空港で私たちを出迎えてくださった石門聡さんは、内部川実顕地で生活しているそうで、私たちを茶畑の多い実顕地に案内してくださった。
そこで提供してくださった昼食は、韓国の実顕地での食事のように本当においしくて健康的な食事だった。昼食後の休み時間に、私たちは聡夫妻の案内で、地元の村の神社を見て回りながら、和やか日本の田舎の午後を満喫する時間を過ごした。

その後、再び車で美里実顕地へ向かい、緑茶畑の間にあるイチゴとトマトハウスを見て回った。生産過程についての説明を聞きながら味わったイチゴは本当に甘かった。
緑茶の収穫シーズンでないため、緑茶が作られる過程を見ることが出来ず残念だったが、現地で生産された商品を村の隣人たちと一緒に分かち合える店がここだけでなくあちこちにあると聞き、いいなぁと思った。

探訪を終え、美里実顕地の方々が準備してくださった緑茶と餅を食べながら、少しでしたが話し合いの時間をもつことがで出来た。
実顕地の方々の年齢が高いのが心配になったが、余裕のある幸せそうな姿を見ていて少し羨ましい気持ちにもなった。

美里実顕地から車で30分の距離にある豊里実顕地に移動し、荷物を解き、共同食堂で一緒に夕食を食べ、共同銭湯で入浴した後、集まった。実顕地訪問して良かったとの感想を交わしながら、日本での初日を締めくくった。

2日目の朝、私たちはユン・ソンジュンさんの案内で豊里実顕地を参観することができた。衣生活部、イチゴハウス、肉牛部、バイオ発電、ネオポリス(蔬菜)などを参観した。
共同体のすべての洗濯を担当する衣生活部で働く高齢者の姿の中に安定感を感じ、肉牛部の出発研鑽に参加した時「20人がすべきことをここでは40人でしている」
と笑いながら話す姿を見て、<あぁ、幸福になるための人生の形とは、効率ではなく分かち合いの人生ではないだろうか>と思った。

ネオポリスの訪問は、賃貸して使用している広い土地を見て、私たちの食べ物の重要性を改めて考える機会になり、日本もイノシシの出現による農作物の被害を防ぐためにフェンスを張っているといった話を聞いて始まった、1対1のイノシシ論争(? )は、また、私たちの(? )喜びの一つとなった。

午後は関宿通りを歩きながら短い観光をし、夕食後の交流研鑽会では、1年ぶりに係役の山崎彰久さんと再開できて嬉しかった。私たちの質問をじっくりと考えてみると、できない理由を持った質問であった。実顕地にいらっしゃる方々は研鑽を通して考えを分かち合い、相手の考えを受け入れ「とりあえずやってみて」再び考えを分かち合う過程の中を生きてる方々のようだった。
私たちが思う簡単ではない瞬間(この方々にとっては多分問題になり得ない)を過ごして生きてきた月日を考えたら、尊敬の気持ちが沸いた。

最終日は彰久さんの案内で春日山実顕地を訪れることになった。酪農部参観では、機械式で乳を搾るシステムを参観した後、公人の丘を訪れた。
実顕地で生活した方々とその家族が眠っているところで、山岸巳代蔵さんの墓もそこにあった。
本当に幸せな社会を夢見て生き、その人生の場を後の代に残して平安な世界に旅立った方々を記憶し、今、私たちが見逃して生きていることが何であるかをもう一度確認することで、単純だけど幸せな人生のために生きなければならないという思いが心に残った。
そのように生きるためには、昨夜行った交流研鑽会で聞いた、その意志を貫く人生を生きることが重要だという実顕地の方の言葉を思い出した。

帰りの飛行機の中で、私たちを案内してくださった聡さん、ユン・ソンジュンさん、彰久さんの3人に対する感謝の気持ちと、短い日程の中で出会った実顕地の人々の姿と春日山実顕地の檜風呂に身を浸して感じた暖かく幸せな気持ちをもう一度感じたいと切実に思った。

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参観記  ハン•スヨン

私達、247回特別講習研鑽会の同期達には、「特別講習研鑽会の間、誰も居眠りをしなかった」という修飾語が付いてくる。20代から70代という年齢も、地域も、活動分野も多様な7人だが、私達は1年前の今頃の7泊8日間をとても真剣に臨んでいたようだ。
その勢いは日本の実顕地訪問に至るまで持続し、私達自身も信じられない(これが可能だと? )全員参加の旅行が実現した。 (お二人の係役の方々、一緒に行けなくて残念です)
特に航空券の手配など事前に準備をしてくださったホ・インチョルさんと盛り沢山の日程を用意してくださったキム・ハンギョルさん、彰久さん、そして日本の案内者の方々に深く感謝します。

私は海外旅行の経験が多くないうえ、名古屋は初めてだったので旅行前にあらかじめ地図で探してみたが、実顕地の地名と位置は聞き慣れないないものだった。
だが今では、内部川、美里、豊里、春日山といえば、新鮮なイチゴ、健康な牛、大型直売所、立派な銭湯、そこに住む方々のおもてなしと親切を思い浮かべることができる。
私が住んでいる地域に再生可能エネルギー組合が出来たこのタイミングで、ちょうどバイオ発電システムを参観できたのも幸運だった。普段、年を取ることと死というテーマについて関心の高い私は、何よりも「公人の丘」参観が良かった。
長い過去と遠い未来を合わせた循環の中で現在を感じることができる空間だった。

年を取るという証拠なのか、世の中の流れは何だかますます暮らしにくくなってきている。今は人工知能の時代だというが、熱心に学んで適応したいというよりは、世の中がどのように流れようが、自分なりに自足的になれる代案を模索するようになると思う。
実顕地の方々にとってはヤマギシズムがその代案だったのだろうか。
思想としてのヤマギシズムと実顕地参画の間の敷居は私には依然として高く見える。しかし、「20人がすべきことを45人でしていて大変ではない」という肉牛部の研鑽会での一言はぜひ記憶しておきたい。老人、障害者、社会的弱者、AIに押し出された人間に接するかという糸口にしたい。

春日山がヤマギシズムの発祥地としての意味があるのに対し、豊里はその規模の面で驚いた。
なのに最も大きかった時期に比べると大幅に減ったとは、規模の衰退と構成員の高齢化を考えると、実顕地もそれなりの悩みがありそうだ。
最後の交流研鑽会で橋口さんは私たち訪問者に実顕地の未来のための助言を求めた。本当に答えを聞こうとしたのだろうか。
もしかしたら、私たちに省察を誘導するための質問だったのかもしれない。 その時、答えられなかった答えをここに差し上げてみる。「十分に幸せでいて下さい。どうぞ、今のように。」

 

日本の実顕地参観の感想文  ホ・インチョル

こんにちは。ヤマギシズム韓国実顕地247回特講生のホ・インチョルです。

2023年2月の特別講習研鑽会に参加し、ヤマギシ実顕地を知ることになったのですが、特講を終えた1周年になるこの時点で、特講の同期の方々と行ってきた日本の実顕地参観はとても有意義な時間となりました。

日本を旅行で何度か訪れた経験はありましたが、今回のように誰かが待って歓迎してくれる来日は初めてだったので、準備をする時からときめきと期待がいつもにまして大きかったです。

午前7時40分、仁川空港から飛行機に乗って午前9時20分、名古屋空港に到着。内部川実顕地の聡さんが私たちを笑顔で迎えてくださいました。聡さんのおかげで初めて訪れた名古屋が見知らぬ異国ではなく、韓国を旅行しているような身近な感覚で参観の日程を始めることができました。

聡さんの案内で到着した内部川実顕地はなんか韓国の実顕地と似ているところが多いようでした。養鶏場があり、ひよこの絵が描かれたカフェがありました。内部川実顕地では私たちのためにあらかじめ手のこもった昼食を準備してくだっており、韓国の実顕地で特講期間中、特講生のために準備してくださった食事のようにとてもおいしくて温かい心がいっぱい詰まった食事でした。

昼食を食べて内部川実顕地周辺を散歩しながら日本の郵便局で切手を見物し、神社や小学校、小さな町の商店を見て回りながら、内部川実顕地は町の中で周辺の人たちと一緒に定着しているように感じました。

内部川実顕地での短い日程を終えた後、美里実顕地に移動し、イチゴと野菜を生産するビニールハウスと緑茶を作る作業場を参観しました。韓国の農村で見られる懐かしさと自然な雰囲気が感じられる場所でした。美里実顕地の売り場で販売している餅やお茶、野菜を見物し、店頭の隣にあるカフェで実顕地の方々と軽く研鑽の時間を持ちました。言語が違うので会話内容がよく理解できない部分もありましたが、日常でお互いの年齢とは関係なく、相手の意見を偏見なく聞こうとする姿勢でそれぞれの考えを自由に分かち合って研鑽する姿を見ることができ、そして研鑽に一緒に参加できて良かったです。

美里実顕地から豊里実顕地に移動して荷物を解いたら、いつの間にか日が暮れて夕方になっていました。名古屋空港から豊里まで私たちを案内してくださった聡さんへ感想文を書いている今この瞬間も、改めてとても感謝しています。豊里実顕地でもユン・ソンジュンさんをはじめとする多くの方々が私たちを迎えてくださいました。規模の大きい実顕地であるだけに、実顕地全体が何か組織的に歯車がよくかみ合って回る現代風の小さな町社会のように感じました。最初はこの雰囲気に少し驚いたのですが、少しずつ慣れてくるとどうやらこれは安定感と親近感をもたらす共同のルールと約束のようなものではないかと感じました。

豊里実顕地では肉牛部とイチゴハウス、トマトハウス、ネオポリスの野菜畑、豊里ファーム、バイオ発電所、衣生活部など様々なパートを参観しました。各パートが独立して運営されながらも、大小の歯車が互いにつながって噛み合って回るゼンマイ装置のように感じました。肉牛部の事務所で見た「人と一緒に牛と一緒に」という言葉が鮮明に記憶に残っています。私たちは専門家ではありませんが、お互いが一緒に研鑽しながら、どうすればお互いに良く、そして牛により良い環境を作れるか考えて実験しながら、どんどん良くなって行っているという話が本当に印象的でした。イチゴの農業教育を受けた経験があり、イチゴハウスの参観は面白く、醸造と発酵の勉強をしていて、バイオ発電所の参観について関心が高かったのですが、イチゴ農業やバイオ発電所のようなリサイクルエネルギーの分野では、私も小さな実顕地を作る実験をできるのではないかという想像の翼を心の中で広げてみたりもしました。

最後に訪れた春日山実顕地では 乳牛の牛乳を絞る酪農部を参観しました。自動搾乳機は人の労働の代わりとして使われていると思っていたのですが、自動搾乳機のおかげで人が寝る時間でも牛たちの時間に合わせて搾乳できる、乳牛と人の両方にとって良いシステムであることを知りました。

春日山実顕地で共同の追悼空間である公人の丘も参観しました。内部川、美里、豊里、春日山など私たちが参観した様々な実顕地の現在と、そして明日のために私たちより先に一緒に研鑽をしながら実験しながら挑戦して努力してきた共につくってきた公人たちがいて、現在もたくさんの公人がいることに感謝の気持ちが湧いてきました。特講に参加して初めて知ったヤマギシ実顕地に対する第一印象は、皆が一緒に幸せな世界を作っていくために「各自」が研鑽して研究実験する新しい生活研究所のような感じだったが、「一緒に」研鑽し、誰かが実験してきた努力を守り続けて、改善していく生活共同体にもっと近いのではないかと考えられます。

私はヤマギシ実顕地を参観しながら幸せな世界を作るという目標を持って生きていく広い形の家族に出会ったような印象が深く残りました。”いってらっしゃい”という見送りの挨拶に”行ってきます”という挨拶で韓国に帰ってきましたが、いつかまた”ただいま”という挨拶で、日本の実顕地にご挨拶できることを楽しみにしています。2泊3日間の私たちの日本の実顕地訪問のために色々とたくさん準備し、迎え、歓迎してくださった日本の実顕地の方々に改めて心から感謝を申し上げます。個人的に安否の挨拶を伝えることができるのなら、春日山実顕地でエゴラップの歌とあだち充の漫画本について一緒に話してくださった佐藤さんに個人的にお礼を言いたいです^^

内部川実顕地  石角聡
韓国の会員さんを受け入れて一番驚いたのは、内部川実顕地のある水沢の町中をみんなで散歩した時のこと。ほんとに小さな集落で、こんなとこ歩いてなんか楽しいんかなと思っていたんですが、彼らはその風景1つ1つにとても感激していました。同じ景色を見ていても、観方一つでまるっきり違って見えるということに僕も感動しました。

一人一人とても瑞々しい感性を持って日本を観ようとしてるんだなあと思い、一緒に過ごせて嬉しかったです。