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香港からのお便り


”日本学究旅行”訪問先のひとつとして、昨年9月に春日山実顕地に滞在した中国のNGO組織 PCD(Pertnerships for Community Development) から機関紙がとどきました。 「日本学究旅行」特集号です。 少し紹介させてもらいます。

彼らの訪問先は、関西方面3県で
1. 琵琶湖環境保全を進める滋賀県知事 嘉田由紀子さんと地元の人々
1. スローライフを提唱する 「ナマケモノ クラブ」
1. 自然農を実践する 川田由一 氏
1. 農村に戻る若者を支援するグループ
1. 農産物の地産地消を実践する農場
1. ヤマギシ会 等
PCDの日常の活動と直結する交流を準備しての来日です。

以下に、PCDのパートナーの一人、雷静(レイ ジン)の感想文を紹介します。

【加賀実顕地 新村由美子】

Love without border: happiness is a kind of giving

Feature Story Love without borders:囲いの無い愛 happiness is a kind of giving:幸福とは与えるようなもの。

By Lei Jing (Lecturer in the College of Agriculture, Guangxi University) レイ ティン(クァンティ大学 農業院講師)

「あのひとたち、どこからきたの?」 「うちのひと?」

日本への学究旅行は帰ってからずっと心にあった。最も印象深かったのはなんだろう。きれいな国だったことだろうか。水源はよく保護されていたことだろうか。訪れたいろんな組織団体だったろうか。見たものには感動したものが多い。時間とともに多くの印象は薄れていったが 心に突き刺さって振り払えないものもある。

1. ヤマギシ会の幸福

もし自分自身の目で見ていなかったら そんなコミュニティーがあるとは信じないだろう。 日本から帰って以来 ヤマギシ会について語り続けている。より広いいろんな社会からも全く違ったコミュニティーを目撃したのだ。ずっと夢見てきた平和な幸福な世界に似ている。そのような世界に住んでいれば 悩ますような心配事に心を乱すことは決してないだろう。そこにいた時は心安らかに幸せに感じた。 そこでの体験を思い出すとすべてがまだ大変生き生きと私の心の中にある。

楽しい子供たち

ヤマギシ会で最も幸せなのは誰かと問われれば子供たちだと答えるだろう。 小さい時から独立するように教えられている。自分で服を着るよう教えられ食事準備や畑仕事を一緒にやる。ほかの人と仲良く暮らすように教えられる。競い合うよう強いられないし勉強へのプレッシャーもない。ほかの子のように有名な学校に入ったり沢山お金を儲けて立派な人になったりと期待されていない。このため子供たちは自然と触れる余裕が大いにある。 コミュニティーの作業に参加し お互い家族のように思っている。ヤマギシ会の生活は心配のない生活と言えるだろう。心配することがない。自然の中に生まれ、自然の中で学ぶ。自然は学び続けるのに必須のものだ。 農業は自らを体験し他を理解し自然の法則を探す最良の場所である。ヤマギシ会は 子供たちが自然に触れ農作業に参加することは大変重要だということをよく知っている。子供たちは成長のために良い環境を与えられている。試験を重視するような教育から解き放たれている自然の中で楽しく知識を得ている。

カタツムリ見て!かわいいね。友達になろう。

虹に乗って楽しそうだ。

砂で一緒に遊ぼう。

どこから来たのだろう。私たちの家族なのだろうか。

日常私の周りにいる子供たちはみんな小さい時から競争心を植え付けられている。幼いにもかかわらず自由ではない。 まだ幼稚園に行っている時でさえすでに個人授業に通い始める:英語や ダンス、絵画にピアノなど。興味のあるものをする時間があまりないので、子供たちの可能性は発揮する機会のないまま埋もれたままになる。子供だけに与えられた独特の幸せが日の目を見ぬ間に消し去られている。 なぜそうしなければならないか何人かの親に聞いたことがある。 今日の子供は競争しお互い比較するのだという。より良い学校やより良い塾に行けるように、学校で成績がいいことは別にして、子供は何かユニークな能力を持っていること示さなくてはならない。スタートから遅れないようにするためあらゆる種類の塾に入会させる。 これらの子供は子供時代を振り返って幸福な時期だったと思うだろうか。成長したとき “最高級の”育つ環境を与えてくれて両親に感謝するだろうか。あるいはちょうど私のように自然の中で友達といかに楽しい時を過ごしたかを思い出すだろうか。 ヤマギシ会の子供たちはたくさんのお父さんお母さんがいて幸せであり幸運です。この大きな家族の中でみんな子の成長を思い子供たちは互いにいたわり仲良くして生きることを学んでいる。 ここで育ったある大学生が語ってくれた、ヤマギシ会で他の助けになることになれていてまたほかの人が間違っても許すことを学んでいたので学校の級友ととてもいい関係を持てていると。級友はみんな彼女が好きだしそんな素晴らしいお母さんを持っていて羨んでいる。 小さいころから農場や食堂で働いていたので大学の級友よりもずっと自立している。成長段階で何ら抑圧を受けていなかったし多くのお父さんお母さんに成長を見守ってもらったので彼女はヤマギシ会の大きな家族が大好きです。 ヤマギシについて語っているとき幸せそうに笑っているのを見ていると、私はため息をついて思いました:こんな風に私たちみんなから心温まる幸せがいつも流れ出ていてさえすれば どんなに素晴らしいことだろう。

幸せな老人たち

 ヤマギシの老人たちは幸せな人生を送っていると思う。そう思う理由は次のとおりです:  1. それぞれに合った仕事が割り与えられている。 老いてはいるけれど 役立たずとは感じていない。できる役割を割り当ててもらい まだヤマギシを創っていく一役をしているのを感じる。作業しながらお喋りをしている。幸せなゆったりした生活をしている。 2. 居心地良い生活である。 “陽光館”という名の付いた家が老人のために建てられている。特別なニーズを考慮してデザインされている。それで大変居心地良くなっている。建物内で楽しめる。特別な介護人がいるので日常生活で患うことはない。  3. 子供のことも心配する必要がない。 この建物には 老人以外に住んでいる人がいる。家族に会い共に過ごせるように子供たちも住んでいる。日中は親のことを心配せず働け仕事を終えて帰ってきて親と過ごす。中国の老人ホームと違う、中国ではいったん入所が認められると老人は家族と離れる。子が孝行なら必ず訪問するだろう。そうでなかったら老人は子供に会うのが難しい。  このため多くの老人はホームに行きたがらない。その結果親も自分の子供もみなければならない。そのプレッシャーと負担は想像できる。

ヤマギシを発つとき さよならを言うのが残念で、老人たちも名残惜しく見送ってくれた。

陽光館の老人たちとともに分かち合う。

幸せな若者と中年。

子供や老人と較べると中年のひとや若者はプレッシャーがあるかもしれない。 しかし彼らは幸せだと思う。ヤマギシでは仕事を六か月ごとに変る。別の言い方をするとやりたいことを選べる。 土いじりをしたい私のようなものは農作業を選ぶだろう。何か一役やりたいところにサインするときは躊躇なく農作業のところに名前を書きいれる。 ヤマギシ農場での作業はやりがいがある。ガーリックを植えることから始め、土がかなり柔らかかったので長い二畝を植えるのに長くかからなかった。 それから食堂用に二三種の野菜を収穫した。作業を始めてほんのしばらくだったがおばさんがお茶に誘いに来てくれた。一日にあんまり仕事をする必要がないといった。仕事は楽しいもので疲れ果てるような荷厄介なものではない。その後彼女はしばしば休憩を取った。娯楽室で茶を飲み仕事に帰った。彼女にとって一日で最も幸せなことは簡単な仕事を終え家に帰りお風呂にあったかいお湯と食堂に美味しい食べ物があることです。さらに自分で育てた野菜を食べることができることです。 毎日誰かが洗濯をしてくれるのでこのような家事をする必要がありません。やることは野菜を育てるのに精を出すことだけです。生活はシンプルで楽しい。

収穫する果物を見ている顔は楽しい笑いにあふれている。

農場の作業について話す。この女性にとって作業は幸福をもたらすもの。

簡単で楽しい厨房。

若者が、かれの仕事と心の生活について話してくれた。

ヤマギシ会は多くの違った家族で構成されているので要るものも違うのは当然です。 すべての要求を満たすのは不可能です。大家族は小さな家族からなり家族のメンバーは必ずしも親族とは限らない。一緒に話し合うためにいつも寄る人はほんの小さい集団です。 ある一つの大家族にインタビューして「必要なものがあったときどのように満たされるのですか。」と問うと必要な人が提案をすると返事があった。 提案はヤマギシの特別な部署で認められるのではない。そうではなく大きな家族から送り出された代表によって相談される。 (相談に送り出される代表はいつも同じ人でないかもしれない。時間がある人ならだれでも参加するよう送り出される。これはヤマギシのどんな事柄も自分自身の事柄でありしかもみんなの事柄でもあると信じているからです。誰に責任があるかという質問は存在しない。) 提案が認められればその人の要求は満たされる。 提案が認められなかったらうろたえるかどうか聞いてみた。その答えに私は驚きました。結果よりも相談する過程にもっと関心があるからうろたえないだろうと言った。 何かを決定するときにも会合を持つ。時々コンセンサスに至らないことがある。いつもコンセンサスが必要だと思っていない。 これは私のいつもの考え方をはるかに超えている。私たちはいつも何かをやるとき結果を期待している。それは会合では一つの共通の目的に行きつくことを期待していて了解した計画について実行を決定したときにのみ動き始めるからだ。 実際ほかの人が自分の考えを実現するのは難しい。私たちはいつも多様性を薦めるが実際に実現することは珍しい。何かをするときその過程や予期せぬ結果や予期しなかったことで巻き起こってきたことなどをめったに相手にしない。ただ設定された目的が達成されたかどうかを調べる。何かをしているとき私たちはいつも結果を期待している。結果が期待に合わないと、たいてい計画がうまく実行されなかったと思いずっと批判し合う。 ヤマギシ会は人と人との間のまた人と自然との間の持続可能な交流生活を示してくれている。 この会はメンバーが素直で偏見がなく自然を尊重しているので人と自然との調和を齎すことができている。素直さの深さを示すものの一つにヤマギシ会が異なる意見の人も経歴の違う人も受け入れていることがある。コミュニティー生活の中にいろんな二―ズを持つ人もいろんな考えを持つ人もそこで共に生きている生き物も同じように包み込んでいる。 会の歴史からいかにすべての生き物も自然も尊重し敬っているかがわかる。飼育している動物をまるで子供のように扱い良心的に世話をする。土や植物に優しい農法を採用している。すべての生き物を尊重し敬ったときにのみ我々は命の美しさを感じることができる。その時にこそ我々は命を大切にし、そして世界はたくさんの幸運に満たされるだろう。大きな愛には境界がない。この地球上のすべての生き物を愛し尊敬しよう 幸福は与えるようなもの。愛を与えるとき幸福の分け前を収穫するのだ。 

PCDのホームページ、及び原文(英文)はこちら→http://www.pcd.org.hk/newsletter/love-without-border-happiness-kind-giving

雷静(レイ ジン)