石巻最新情報【5月下旬】
現在マイクロバスのドライバーを募集しています。
-
<連絡先>
- 春日山実顕地 Tel.0595-45-5550 Fax.0595-45-4870 金子淳子まで
- 豊里実顕地 Tel.059-230-8003 Fax.059-230-8055 sato_j@yamagishi.or.jp 佐藤純まで
または、
食事人数、メニュー
現地の様子
中屋敷炊き出しについて
6月1日から室内にて食事、持ち帰りなし(持ち帰りなしでも困る人は殆どいない)」の方針をJENと阿部和子さんから聞きました。食べに来る人は和子さんがつかんでいます。暑くなることもあり、持ち帰ったものをいつ食べるか分からないため、食中毒の面からも切り換えた方がよいとのこと。
炊き出しの食材
救援物資に頼っていたが、地元の業者に発注し、市が負担する線が出ました。来週分は、千浪さんから中屋敷分も発注してもらいました。実顕地からの贈り物や牛乳など、被災地にとても評判の良い生産物は、提案して使っていきたいと思っています。
雄物川実顕地訪問
6月3日~5日、和子さん他5名、2泊3日で行く予定。お父さん達も4~5日の1泊で誘っています。実顕地に興味があり、永旗ひろ子さんも是非ゆっくり涵養して欲しいとのことで、まずは和子さん家族が行くと決めたようです。
5/31 鹿妻地区今日のご飯は
一昨日の豆ご飯の時、釜が傾いていて水加減がすごく難しかったです。
鳴子実顕地の増田さんに、「木の端切れを下さい」とお願いしたところ、すぐ用意してくれました。さっそく、今日はかなり傾いていた炊飯釜の足に木をかませて、高さを調整して水加減をしたところ、すばやく、適正ぽくやることができたかな!?
増田さんに感謝です。
「ここのご飯は、おいしい!!」
の声に、嬉しくなって大盛りにしたら、ご飯が足らなくなってしまいました。
あわてて炊き足したら…水加減失敗して、やわらかご飯になってしまいました…
それでも美味しいと食べてもらえました。
5/31 台風の影響は(鹿妻地区)
専修大のテントが全部飛んだということは、むらnetでご存知ですね。
鹿妻食堂テントは、電柱に番線で補強してくれてあったり、残った男性陣が、対策を してくれていたので、しっかりたっていました。
鉄パイプにテントをくくっている紐がちぎれたり、細部被害はありましたが、いつも1時間ぐらい前から待っている 井戸端じいちゃん達で、直してくれました。声かけると、待っていましたと言わんばかりに動いてくれる様子が、頼もしいです。
5/31 中屋敷、今日やってみて
地元の九ちゃんというおばちゃんは気さくな面白い人で、入れ替わって来る新人の私達を受け入れ、仕切ってくれます。食事後、ヨガのインストラクターがボランティアで来てくれていて、ちゃっかりヨガも楽しみました。
室内への引越しをして、さあー明日からどんな展開になるかな!
【5/30】
今日は台風の為、ボランティア活動は中止してくださいと本部より連絡がありました。炊き出しはお休みです。
5/29 鹿妻地区
昨夜、豆ご飯のことで食生活メンバーに電話であれやこれや相談して準備しました。
さて炊こうかと思ったら釜の台が傾いていて、釜の目盛りが見にくく、水加減に戸惑いました。それでも何とか、17.5升、時間に合わせて炊けました。
美味しいと言って食べてくれるのが嬉しかった。
5/29 中屋敷地区の様子
三重県松坂からボランティアグループ50人が泥出しなどやって中屋敷で昼食食べました。炊き出しで豚肉の生姜焼きには、びっくりしてました。
明日は台風なので炊き出しは休み6月1日からテントをたたみ15畳程の室内でゆっくり食事し持ち帰り無しでやると和子さんがみんなに伝えていました。又次の段階へ進んでいくようです
2週間やらせてもらって
私は今日が2週間やらせてもらった最終日です。2週間前を思い返すと中屋敷の炊き出しは随分変わってきました。
そういえば和子さんに「スタッフに入って」と声かけられて渋々名前を書いたけどやっぱり消していた、あのおばあちゃんは、今では「きみちゃんって呼んで」と自ら名のり、楽しそうにやっています。
スタッフの人数調整は、何となく和子さんが気を掛けていて、多くなりそうだったら「明日にしてね」とおうちに行って声掛けたりしています。少ない時は和子さんや中島産業の社員の久美ちゃんとゆう子ちゃんが登場します。そうして、魚菜はスタッフの人達に全部やってもらっています。
今日は美里実顕地の山形美千子さんが「わたしゃぁぜひ、ここの人達にヤマギシのおいしい煎茶を飲んでもらいたいんじゃ。」とのことで、みんなで、美千子さんを「お茶のお母さん」に送り出しました。テーブルで食べている人に急須で暖かいお茶をいれて飲んでもらいました。今まではだるまポットから自分で汲んでもっていましたが、一人一人に渡していくと、一人一人と話ができて「みっちゃん、ありがとな。」とか「こんなの久しぶりだ。おいしいな」とか「水沢茶ってどこでやってんだ?」と話しがはずみ、今まで手渡しでは会っていたお父さん達とも近くなってきました。穏やかな春の空気がそよぐひとときでした。
中屋敷でこんなこともできるようになったんだ、と嬉しく思います。
中屋敷地区泥だしの様子
毎日、「中屋敷」でやっています。 柱だけ残して建て直す家の天井・壁・床はがしをしています。豚舎の解体と同じで、楽しいです。 床をはがした後は、床下の泥出しをしています。夜は毎日テントで、昔話をして大笑いしています。(富田恒平談)
5/26 中屋敷の様子
恒平さんがひとりいるだけで、中屋敷チームがすごく和みます。誰とでも溶け合って、その場の人になるのはさすがだな、と思います。石巻で目の当たりにするのは凄い光景なのですが、恒平さんがいるとなぜか癒されるのです。
5/26 中屋敷の様子
JENとしては、通りに面した中島産業の事務所だった所をコミュニティカフェにして、人が寄れる場にしたいと考えています。6/1からは、今のテントはやめて、カフェの横の倉庫を厨房にして、食べるのはコミュニティカフェの中にしてもらうよう着々と準備がすすんでいます。中島産業の社長さんは流れてきた机の足を補強して、カフェのテーブルを作ってくれています。
今日のスタッフは朝から4人で、そのまま手渡しまで残って、ご飯を一緒に食べて、ちょうどいい人数でした。みんな、包丁やまな板の場所や野菜を切っていく手順はすっかりわかっていて、後から来た人を受け入れて、すすめてくれています。
私はスタッフの受け入れ窓口をやらせてもらっています。できるだけスタッフ同士でおしゃべりしながら一緒に作業してもらったり、一つの仕事を任せられるようだったら、通してやってもらうようにしています。
東北のお母ちゃんたちは気さくで、たくましく、得意分野もいろいろありそうです。淑子おばあちゃんは魚菜の指揮管理が抜群ですし、昭子さんは細やかな心配りで、すっきりとしたテーブルセットをしてくれます。
今日やってみては、私が調理の人の様子も、もっとよく感じて、スムーズに必要なところに入って入り合っていけるように、まだまだやっていくことがあるな、と思いました。
スタッフに入る人数は、今は来たらみんな受け入れてやっていますが、ゆくゆくは地元のおばちゃん達で「今日は誰が入って、明日は誰がはいるんだぁ」と考えてもらえたらいいんじゃないか、と私達の間では話ししています。
5/25 鹿妻地区の様子
朝8時、鹿妻に着くと、もう15升の寿司ができてました。 近くの<りんちゃん>を呼んで試食。
「錦糸卵がのればねー」と、りんちゃん。
私達も、そんな話はしていましたが、ほとんど冗談ですましていて… 千浪さんが、突然
「 やれるで。フライパンがあったら!!」と。
りんちゃんが、フライパンを2個持ってかけつける。 りんちゃん、
「色気が大事よ」と、うれしそう。 そんな鹿妻食堂の朝風景です。
5/25 中屋敷地区
午前からスタッフが8人来ました。想像以上にたくさんで、ありとあらゆることをやってもらいました。スタッフをいつならできる、を書く表がありますが、みなさん明日の予定を立てにくいので、書かずに来てくれています。今日はちょっとたくさんで、受け入れるのに大忙しで、うれしし悲鳴でしたが、もっと何か考えていけそうな気がします。 こんな日もあって、今後スタッフの入り方について、こんなふうにしたらいい、という線が除々に見えてきたらいいと思います。
5/24 鹿妻地区の様子
男の人達の泥だしは、地域の自治会長さん(毎日食事にきてくれてます)に聞いてすすめていますが、今日は、県営住宅前の側溝をやりました。ありとあらゆるものが 泥と一緒に入っています。ちょっと複雑な心境です。
5/24 鹿妻地区の様子
鹿妻食堂前の公園に、ひまわりの芽がでていました。ダンボールに、ひまわりとかいてありました。地域の人達が、数日前に撒いたそうです。ちょっと 感動しました。
5/24 鹿妻地区の様子
お茶のセットは、最初の準備の時から用意してあったのですが、 箱にしまわれたまま2週間がすぎました。第2陣の戻り便で、使わない器具として、送り返そうかと いう声もありましたが … 今日、食堂で食事した人たちに、煎茶を出すことができ ました。温かいお茶は 3月11日以来だと、喜んでもらえました。
明日の山菜散らしにむけて、こめちゃん(米山さん)は、テントに泊まりこみ、早朝よりごはんを炊き始めるということです。 節子さんも、私が助手を務めますと、名乗り出て、テント泊。「気愛」がはいってます。
5/24 「地域の輪がこれからも、この地に根付きつづけたらいいな」
今日のスタッフは5人でした。今日は中島産業の人はいないので、実質は新しい人が増えています。
スタッフを受け入れるときに、少し前は私たちと一緒にやってもらうようにしていましたが、今はスタッフ同士で寄ってやってもらっています。まさに井戸端会議です。
魚菜は「野菜炒め用に玉葱を出来上がりで8kg切ってね」と一人に伝えるとその人が、どこでどんな風に切るか考えてみんなとすすめています。
洗い方を聞かれて、私の思うのを言うと「そったらこと、納得いがね。二度やらねばよ。」と主婦の経験と知恵でやってくれています。
やっちゃんは「うちはあと、大工さんに入ってもらわねっと、やることないがらさ、もっとやらせてけろ」とのことで、今日は朝から片づけまでやってくれました。
ちょうど私たちが明日のメニューと量出しをするときに居合わせて、一緒に輪に入って話しをしていました。すると、野菜の在庫については、やっちゃんが一番把握していることが判明したのです。
野菜を切りながら、話しするだけでも楽しそうですが、今一番欲しいこの地域の情報を交換し合っています。
こんな地域の輪がこれからも、この地に根付きつづけたらいいな、と思います。
5/22 炊き出し第2陣報告会
5月22日、帰ってきた鹿妻食堂炊き出しメンバー第2陣の人たちを囲んで報告会がもたれました。・自分達のやっていることは、まるで合宿生活のようで楽しかったけれど、被災した時の様子を聞いたり、これからの復興のことを考えると、こんなに楽しくていいのかなとも思った。
・こんなに仕事をしたのは久しぶりで肉体的には疲れていたと思うけれど、現地の人から元気をもらって疲れは感じなかった。
・地元の人がスタッフとしてどんどん入ってくれ、味見をしてもらったり、配り方なども私たちのやり方を押し付けるのでなく、話し合って無理なくやれた。
・食材や調理器具が届いて大きな後押しがあることを実感し、自分達は目の前のやることだけに集中できた。
などの話を聞かせてもらいました。
5/21 「この地域のこれからを考える話し合い」
「この地域のこれからを考える話し合い」に参加しました。地元の人9人、JEN2人、ヤマギシ7人でした。
行政からの報告が何かあるんじゃないかと思って来た人や、誰かに話を聞いてもらいたくて来た一人暮らしのおばちゃん等、話し合いに来た目的がみんな違っていて、とにかく思っていることを出してみた感じです。
今日炊き出しの魚菜に入ってくれた伊藤さんが「やってみて楽しかった。みんなと話ししたり、久しぶりに包丁握れてよかった。」と出してくれました。
JENの加藤さんは「食べさせてもらって悪いから来た」というのから、こんな風に「やってみて楽しかった。またやってみたい。」と炊き出しか広がっていくのがやりたい、と言っています。私たちもまさにそこをやらせてもらいたいです。
今日の魚菜は地元のおばちゃん3人と私たちで、涙あり、笑いあり。それは楽しくやりました。3人はそのまま手渡しに残って、ご飯もみんなで一緒に食べました。ご飯の時に「浴槽に泥が入って、運び出せないんだ」と聞くと即、光太郎部隊3人で浴槽を運び出しに行き、食器を片づけている間に「今、出せましたよ」と声かけてくれて、とても喜んでもらえましたし、そういう光太郎の対応がすごくいいなぁ、と思いました。
5/21 中屋敷での2回目の集まり
昨日は、新しいメンバーと今までのメンバーとの顔合わせで33人が鳴子のロビーに寄りました。今までの最高だそうで。
今日、中屋敷での2回目の集まりは、地元の人8人、JEN2人、中屋敷炊き出しメンバー全員。今の現状を思いっきり出す人、「今日ここでスタ ッフに入って、楽しかったー」といってくれた人、行政の話が聞きたくて来た人、それぞれでした。
集まりが終わってから、JENとヤマギシのメンバーの話の中で、「こういう場が定例であったらいいね」と、出ていました。道程はボチボチですが、地元の人が、以前より寄って来てくれている感じがします。
5/20「一緒にやってくれている一人一人がぐっと入ってきました」
昨日鹿妻に行って「こんな風にもできるのか」と私は衝撃を受けました。
今日はなんだか今までは「地元の人」と見ていたのが、みゆきさん、久子姉さん、男沢さんとか、一緒にやってくれている一人一人がぐっと入ってきました。
…みたいな感じです。
私自身、みんなとやるのが、数日前とは、また違う感じで楽しくなってきました。
5/19 交換留学
今日は、明美ちゃんと私は交換留学で私は鹿妻に行きました。
鹿妻では、地元の人たちがすごく楽しそうで、やりたくて、寄って来たくてやっています。ヤマギシメンバーも相乗効果で、楽しく、言いたいことを言って、やりたいことをやってそれで成り立っていく。そういう自然な流れを感じました。地元の人ともずばずば言い合って、ケロッとしています。
明美ちゃんは中屋敷で1日やってみて「食べに来る人の流れがゆったりしていて、手渡しの時にひとりひとりと話しができるのがすごくいい」ど言っていました。
ちがう成り立ちと経過でやってきて、交流することで、活かし合っていける感じがします。交換留学を次々にやっていこうと話ししています。
5/19 毎日 うれしい響き愛
昨日初めて食べにきた女性から、家でつくった蒸しパンを届けて頂きました。 今朝、スタッフ一同で、モーニングしました。昨日炊き出しを食べ終わった後 、「津波の後、家族と4日間あえなくて、もう死んだものと思われていたこと。今は、毎日仕事から帰って、みんなのご飯つくって、毎日毎日家の片付けがあって。…こんな風にしていただいて、嬉しいです。」と、ウルウル。その後 この蒸しパンを届けていただきました。
また、これ迄毎日ヤッケを着て食べにきていた女性が、昨日は 家の片付けが終わったので、「 今日は、 手伝います」と、日常着で登場すると、またその友人が「 じゃ、わたしも明日から手伝うわ 」と、うれしい響き愛です。
もう、みんな動きまわっています。「 はよ、 ウインナー切って」と声がかかっています。
石巻炊出し隊へ後方支援
昨夜(5/18)研鑽会で雄物川Gに行ってきました。
直前永旗ひろ子さんからお土産の連絡があり、鳴子で一番大きな車で出かけました。
用意されていたお土産は、鉢植えのパンジー等の花80鉢、手採りの菜の花、灰汁抜き蕨でした。スペースの関係で花は60鉢、食材は全て戴きました。
ひろチャンへ
今朝早速、石巻炊出し隊に繋げましたよ!明日は次の隊との引継ぎ全体研です。是非参加して欲しいな~
夜8時〜 於 鳴子Gロビー
5/18 鹿妻地区の様子
日に日にテントで食べていかれる人が増えてきたので、今日からテーブルを2つテントの外に増やしました。
現在やっている炊き出しの概要
食事は、昼食を1回出し、午前11時半からスタート。
既に30人位並んでいる時もあります。家族分として2人分から6人分を持ち帰る人が多いです。12時半には、ほとんど終了となります。
(濱川由紀子)
炊き出しやってみて
毎日が実践の場の連続です。いろんな思いは出てくるが、まずは前に進む。
昨日、「えっ、玄米だ!」と気付いたのが炊きはじめる35分前。 「精米して来て」の明美さんの声。普通なら30分位だが、今は渋滞だらけで、まともな時間では帰ってこれないが、とにかく、ご飯を出すに向けて、車をスタート。
地元の人に教えてもらったら道を使って、地図とカーナビを駆使して、やっと時間に間に合いました。奇跡。奇跡。
瀬戸は調達や周り仕事が主です。穐本さんは泥だしでやっています。
(瀬戸俊秀)
5/18 中屋敷地区の様子
一昨日の集まりを受けて「スタッフ募集」の看板を昨日出しました。
和子さんは昨日も、手渡しの時「一緒にやりませんか」と一人一人に声をかけています。「はい、やります」とその場で答えてくれる人はほとんどいません。それでも声をかけ続ける和子さんの、この地域を想う深い愛情を感じます。頭が下がります。
今日は地元の人が準備に4人、手渡しに2人来てくれて一緒にやりました。だんだんと増えてきています。
私たちは、今まで食事はヤマギシメンバーで食べていたのですが、一緒に作業をするとだんだん仲良くなって、今日は自然にそれぞれが地元の人とテーブルを囲んで話ながら食事をしていました。
JEN主催で、土曜日に「これからのこの地域を考える集まり」を中島産業ですることになりました。この集まりの看板を炊き出し会場の一番目立つ所に置きました。対象は炊き出しに来ている人みんなです。
5/16 中屋敷地区の様子
中屋敷と鹿妻で2台車を出していましたが、ガソリン代もかかるので、今日から鳴子往復する便は1台でやってみることにしました。2箇所からドライバーの瀬戸さんを含めて6人が鳴子に泊まり、あとのメンバーは専修大学のテントで宿泊です。
現地に行かないとどうしても味わえないものがあるんだな、と思いました。
みんなのコメントが一つひとつ生きて、その人を表しているように読みました。
そういう場を用意してもらったんだな、と思います。
今のヤマギシの実顕地でやっていきたいことにすべて活かされていくいくものだと思いました。
みんな早く実顕地に帰ってきてほしいです。
とはいえ、そう簡単には帰ってくるわけにはいかない、
もっとやり続けたい味わいたいものも感じます。
※僕もなんとか一度は行きたいなぁ
もとやすさん行くべし。貴方地元でしょう。
なんて~言える私でないけど。私まだ怖いのです。
新聞読んでもテレビ見ても現実受け止められなくて涙が出て体が固まるの。なぜだろう。
一緒に行く?
お久しぶりです。東北のほうは震災で大変な被害ですね。
一日でも早く復興を願っております。
みなさんにも宜しく伝えてください
智也君一緒に行った遠野も被害あるのですよ。
心配してくれてありがとう。
智也君の気持ちで私も元気100倍。
がんばるぞ!また会いましょう。
ひろ子さ~ん。鳴子まで行ってくれたんだねぇ。雄物川へお邪魔した時、被災地へお花を用意してくれていたから、東北の姉御が、もっと関わってくれたらいいなあと思いました。中屋敷や鹿妻の様子をむらネットで見ていると、そろそろひろ子さんの出番じゃないですか!私は大潟で、食事作りの腕上げていますが(笑い)、炊き出しから次の段階が待たれているんですかね?どんな感じ、光太郎さん!
ただいま田植の真っ最中。
すべては終わり次第。
心の準備が必要。現場がこわい。
何でだろう。私の前世で何か組み込まれた遺伝子があるのかな~
鳴子実顕地で引き継ぎ
10畳ほどの部屋に33人が寄って、やってみてを出し合った。手を握って涙の別れをしてきたという話を聞かせてもらった。
由起子「7日に豊里を出て、布団乾燥機の機械を直し、布団乾燥をするところから始まりました。」
光太郎「人に対して暴言、失言が多々あったのは、被災地に来ると誰でもそうなると認識してください」
? 「光太郎君いつ暴言はいたの」
光太郎「小松菜なんていらねーよとか」
瀬戸「職場での延長線上だったけど、現場に行ってすごいできごとだったと実感した。鹿妻食堂で調達とかで動いた。自分に何ができるか、養豚以上に頭がかなり動いていた。ご飯を炊こうとしたら玄米で、精米してきてと言われ、道が渋滞する時間で、間に合うかと思ったが、地図、ナビ、地元のお母さんの教えてくれた道、なんとかしようと、頭を駆使した。一週間やっても目の前の事しかやれない、ボーっとしている自分が一時もなかった。それが疲労には繋がらず、まだまだやっていける」
泰子「声が出ない。1週間の予定をもう1週間やりたいと延ばしてもらった。自分のこと、自分の都合がなく、そこに合わせていくのが普段にはない味わいだった。道具もどういう風に使うか、230人は春日と同じ位だけど、食べる量は半分。レシピとか、まともな計りもなく、ザーッと醤油を入れたり、砂糖を入れたり、計算、衛生感覚なんて言ってられない。やったとこ、やったとこホコリかぶってくる。みんなと繋がってきて「切る処から来ました」と入ってくれて、手を外れてやってもらうとしてきた。一緒にやりながら話を聞けば聞くほど、そういうことが起こったんだなーと思った。間一髪とか」
豊子「人とのお付き合いの段階だなー。始めの頃はなにしろ食べてもらうのでいっぱいだった。中島産業の倉庫に拠り所として畳に部屋ができて、泊まっていいよと言ってくれて、2人で泊まった。中屋敷の住宅にポッポッと電気がついてるのを見て、みんなが帰って来るんやなーとうれしかった。明日ミーティングがあるねとか言っていて、他を見るゆとりが出てきたんだなーと感じた。食べに来る人が居る限りは無条件で、もういいですと言うまで出していきたい」
花子「中屋敷と交換留学で鹿妻に行った。成り立ちが違うけど、雰囲気も違っていて、鹿妻の地元の人も言いたい放題で、自然な感じ。居心地がよくて、手渡しとかもやりたくて来てる」
恵子「5時45分に出て、7時半に着いて、1日やって、帰ってから魚菜、洗濯してドライバーやって疲れた。3日間のテント生活は楽しかった。全体ミーティングも超個性的で、着た切り、汗だらけでそのまま過ごすのも型に入ってない、こういうのもいいなー。炊飯器でお浸し作ったり、こんな風にも使えるのねと驚き。水も使えないので簡単にきれいに洗えるか。排水を隣の庭に撒かせてもらったので、帰る前の日にヘドロとかきれいに片づけさせてもらった。みちがえるようになった。少しづつ進んできた過程を見れてよかった。」
ひろ子「雄物川から市川さんに呼ばれて来ました。普段実顕地に居る人と顔が違って輝いていて、びっくりした。なにがそうさせるのかな。
市川「食材もそうだけど、パンジーとか花を用意してくれた。雄物川から100キロ、2時間県境でひろ子さんにも来てほしいと思って、初めてむらnetに投稿した。
ひろ子「話していてこれからの実顕地や生き方になって、人間らしくいきたいなと思って、今の動きを見て、理屈じゃなく、今私がやれることはなんだろうと考えるようになった。リーダーもなく、湧いた心でやっていく、復興している。うれしい。
希「2回目。自分にやれることをやるだけ。みんなの中で、自分がどうやったらいいかでやってきた。どうやってコミニティカフェにどうやって、やっていくのかももっとやりたいと思ったけど、いろいろな人に関わってもらいたいと思った。
千波「まこと君が麦わら収穫に入るのを聞いてすぐ送り出したいと言ってたね。自分がそこを進めていく人の集まりで、気負わず、受け止めて前向きに生きている。そういう人の活力になる。配給物資があっても、炊き立てのご飯が食べれてうれしい。温かい味噌汁が美味しいと、喜んでくれて、「私たちの所に顔だけ出して今日のメニューは」とのりがいい。ちなみにちなみちゃんです。名札見てちなみちゃん美味しかったよと。特別なことをやっている気がしない。好きなことを好きにやっている。力仕事に近い料理。
由起子「総君が炒め物やってくれた。安倍川餅も。七味がない、買い物に走りましょうかって言ったら、総君が足りない位で用意しましょうかって。」
光太郎「明日、地元の人の集まりがある。出て話を聞いて、地元の人の集まりに出てうだうだしょぼしょぼさに触れてここから作って行くんやなと感じてほしい」
明日の朝、石巻(鳴子実顕地)に向け出発します。
今日の夕方豊里実顕地で送り出し研がありました。
4/28、春まつり直前で石巻出張希望の提案をして
やっとここまで来たなという感じです。
この間、通常の(豊里菜園の)仕事をしながら、春まつりおにぎりの店、
震災支援用のジャガイモのお世話、同じくキャベツの定植
今朝は石巻に持っていく小松菜の収穫等々・・・
やりたいことをやりたいだけやらせてもらって
いよいよ震災の現地での活動なのですが
ここにきて思うのは、「気負うことなく、普段通りにやればいいのだし
それをやりたい」ということです。
いつも自分(達)は地球上のすべての人の幸せを願って行動しているし、
それはどこに行っても同じこと。
そのためにそれぞれの持ち味を最大限に活かすべく、研鑽して実践して
研鑽して・・・そういうことがまさに社会づくりなのだろうと思うのです。
今日の送り出し研で高橋護さんが言っていたことが印象的です。
「普段通りにやってもらったらいいと思う。
現地ではそのことが鮮明に浮き彫りになるからわかりやすく面白いと思う。」
震災の現地のことを思うとやりたいことが次から次と
浮かんできて抑えるのに苦労します。
出しゃばらずに自分のやったらよいところを
やらせてもらいたいです。
明日からは携帯でしかメールを打てなくなる可能性が高いので
パソコンからコメントしました。
市川さんへ
YES I CAN !!