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実顕地が伸展するには 【6】


私の中のヤマギシズム

実顕地が伸展するには 【6】

 行動に現れる現象は元の心の現れ、
 人間社会はそれぞれが意識するしないに係わらず、その社会を構成している人の思い考えによって造りだされている。先行きの見えない今日の世界の情勢も実顕地の現状にしても、それを造りだしているのは私達の日々の行動であり、その行動を起こす元になっている心、即ちそれぞれの思い考えによるものだと思う。
 
 誰しもの願いであろう健康で仲良い楽しい暮らしが、人生の健康正常な姿であるならば、それを目的とした社会の仕組みや在り方、その社会を造っていく一人ひとりの行為やそれを左右する心の在り方はどう在ったらよいのだろうか。
 山岸さんはその答えを見出すべく物事の道理や真理を徹底的に追究し、目的とする理想社会は「真実の世界」にあることを突き止めて、それを基にして人生の目的である幸福社会の在り方や仕組みを編み出し、それを為し得る心の在り方、そしてそこに至る方法までも究明して「ヤマギシズム社会」として、真理即応のかつてない新しい社会の姿が描きだされるに至ったのである。
 正しい目的の設定と真目的達成のための一貫した考え方で組み立てられてあり、どんな人もその通りを実行することによって、いつの間にか幸福世界の中に立っている自分に気付かれることでしょう。

 ひとと共に協力し合えば栄える道理になってあるものを、そうなる理を知ろうとせずに囲いをつくり融け合わないままでは物事がうまく進まないのも当然で、こんな子供でも解りそうなことを理解しようとせずに、以前アーだった、こうだった、こんなことを言われた、あんなこともあったといつまでも過去に囚われていたり、あれはダメだこれではアカンと、たいして根拠もない自分の考えを主張するよりも、新しい明るい明日を創っていくために、先ず「私」のない一体の人となって、自分のことよりも世界中の我が子に楽園を贈る喜びに生きる人になりたいものです。「ヤマギシズム」はそれを可能にする生き方であり、それを実現するために造られたのが実顕地なのだと思う。

 これまでの生き方を如何に改良を重ねてもその先にあるものは、法律の呪縛か無法の力による支配しかなく、考え方の根本が間違いを生み出す考え方になっていることに気付き、180度方向転換しない限り、やること為すことが心底からの願いとは逆の結果となって、対立や奪い合いが繰り返され、いつ足元をすくわれるか分からない、解決の糸口も見出せない闇の世界を突き進む他ない。
 「〇〇実顕地」と看板を掲げていても、ヤマギシズムを解明し実践実行することが目的になっていなかったら実顕地にはなっていかない。実顕地が伸展していくには、刻一刻と移り変わっていく事実の中で、これはこうだと決め付ける考え方で物を見、捉えて、物事に出会ったその時からすでに間違いが始まるいき方は止めにして、キメツケのない理に即したものの見方考え方に立って物事を進めることだと思う。
 そして、どんな実顕地にするかの形を描く前に、実顕地とは何か、何のために造るのか、どう在ったら実顕地といえるのかなど、何をつくるにしても目的を明確にし、それが成るための要素を調えていくというような、為すには成るように為す、成る理を見出して方法を考え実行するということが必要になってくる。

 遊びなどのように結果を重視しないものはともかく、何かを為そうとするならば、ただやりたいからやるとか、新しい技術だから取り入れる、自分が好きだからやる、嫌だからやらないというようなことでは成るものではない。
 先ず大事なことは、何をしたいのか目的を明確にすること、特に実顕地造り、社会づくりなど多数の人と共に進めるようなことは、夫々に目的の捉え方が違うという状態では、研鑽会をもっても意見がまとまるはずもない。
 目的が違うということは、在り方や方法も違ってくる訳で、そこを一つにすることなく方法研鑽をすること自体がナンセンスなことで、人生の正態を確かめ、全人幸福社会実現のための一貫した考え方で組み立てられてあるものを、その仕組みや考え方を理解しようとせずに、調正世話係は要らないとか、仲良し班は無くて良い、経営は若いモンがやったらいいなどと自分勝手な判断を入れたり、自分がよいと思うことだけをいいとこ取りするというような考え方では、旧来観念での組み換えに過ぎなく、一貫性の無い、理を無視した場当たり的方法では全人幸福を齎す本当の実顕地には成り得ない。
 時流に乗った若者たちのセンスでやったらいいとか、旧い人はダメといった感覚的なものでなしに、その考えが理に副っているかどうかが問題なのであって、若いから最新の考えだからといっても、理に適っていないものは成るものでない。

 今の段階では、幸福社会、仲良し社会といっても、人により捉え方がまちまちで、旧来社会観のそれとヤマギシズムでいう幸福とは白と黒程の違いがあり、その異いが分からないでは実顕地を運営しようとしても物にならないでしょう。
 ほんとうの幸福を目指して参画していながら、自分流に実顕地生活を送ることは時間の浪費であり、自己の願いに反して逆走し自らの人生を無駄に終わることに等しいことだと思う。
 実顕地を造る、仲良い楽しい人生を送るには、先ず本当の自分を知り、自分自身の心底の願いに気付いて、ほんとうの幸福の正態を知ることから始まる。   
 それは、これまで自分の観念の中につくり上げてきた世界観(旧来社会観)から解放され、事実の世界に降り立つことでもある。事実が観えるようになると、特講のアノ絵図に表されてあるこれまでの人間社会、暗黒の夜の世界の実態が有りのままに観えるようになり、人も物も頭脳もそのほとんどを不幸を招くために費やされていることに唖然とする。
 ここまで観えるようになるとさすがにこれまでの生き方を続けようとは思わないし「ヤマギシズム社会の実態」に表されてある真実の世界も見えだして実顕地を創っていく意欲も面白味も湧いてくるのだが・・・・。

 理想社会といっても何千年と続いてきた現実の社会とは対極の世界、というより異質の世界である。これまで使われてきた言葉で説明しようとしても、それを受け取る側とのズレが甚だしく、また染みついた観念が邪魔をして容易には伝わらないため、疑問視したり、取るに足らないと見なしたり、又はこれまで世に出ては消えていった数々の思想と同程度に捉えられ勝ちで、中には危険視して距離を置いたり、理念は最もだが人間は神の様にはなれないよと自分の考えで判断して諦めたりと、考え方を言葉で世界中に拡げても誤解の拡大にしかならない。
 これの解決策として言葉や文章だけでなしに実際に現実に顕わして、誰もが見れば分かる、理想は実現し得ることを実態をもって顕わし示そうと構想されたのが実顕地なのだろう。私たちは、全人を代表してここまで考え抜かれた山岸さんの熱意を引き継いで理想社会実現のために参画しているのです。これを実現するにはヤマギシズム理念観念に転換する一点に掛かっているのです。

 理に即した観念に転換することにより、このイズムの真価も分かり、真目的や一体社会の仕組みや成り立ちも理解でき、成り立つための要素も観えてくる。そしてこれまでの考え方の間違いに気付き、理に反した、不幸を生み出す考え方で敢えて不幸を積み重ねてきた愚かさや、考え方の革命なしには理想社会は造り得ない理を知って、もっともっと本当のことを知りたい、本当の生き方をしたいという、自身の中に湧き上がってくる気持ちを行動にしていく生き方が無理がなく健康的な生き方になると思う。
 そして、その「本当」にみんなが行き着く唯一の方法が「研鑽」だと思う。「ヤマギシズム社会」は「真実の世界」であり、真理に即応していくことで成り立つ生き方だから、常に本当はどうかと、実行の前にその正否を見分けることが不可欠で、その本当を見出す理に適った究明方法が「研鑽」なのだと思う。
(つづく)

【豊里実顕地 御所野茂雄】