ヤマギシの村づくり (9)
ヤマギシの村づくり(9)
この夏共に味わった喜び秋の稔りへ結ぶ 実顕地一つの実動から見えてきた未だしのもの 重なり合おう、結び合わせよう、働きかけよう
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この夏各地で開催された子ども楽園村、実顕地間交流、各種研鑽会、豊里ファームの運営等々に、実顕地一つからの送り出し・受け入れがひんぱんに行われるようになってきました。
8月の春日山交流会でのビデオや発表を通しても、それぞれがこの夏に味わったそんな実顕地一つからの実動の喜びが伝わってきました。
なかでも別海実顕地で行われた「お母さん研」の様子を聴いていると、研鑽会に参加した人たちのみならず、受け入れの別海実顕地も子ども預かり・食生活・養鶏等に送り出した実顕地も、一堂に会して動いたその事実実態に驚かされたようでした。
新しい一つの実顕地が、実態として先行しているかのようです。
またそんな中でこそ、各部門間での人的・物的調正での無駄や未だしの部分に次々と研鑽の光が当たるようになってきたようです。
もっともっと自分のこととして互いに重なり合うことで、動き出した実顕地の実態に乗っていかれる私であるよう心したいものだと思います。
【春日山実顕地 研鑽部 柳 順】
2013年春日山研鑽テーマ
先日の基本研で一志のメンバーから『一志がピンチ!』の実際を聞かせてもらいました。
テーマの3番目そのものだったんだなーとあらためて思いました。
「重なり合おう、結び合おう、働きかけよう」が実態として顕された様子が目に浮かびました。
一志の工業用鶏舎に一時は50人位の人が寄って手集卵したそうです。集卵された卵は後日全部、選卵
され製品になったようです。一志のメンバー自身が初めは諦めていたようですが人が続々と寄ってきて、なんなくやれていく実態に驚き・歓び・楽しみついには『祭り』のようでした、と。
印象的だったのは実際の事が起きた時、「他実顕地に働きかけようとすぐに頭に浮かばないものだよ」と園田さん。他から声かけられて「そうかと思い」豊里の高橋護さんに連絡したのですって。僕が働きかけたのはそこだけ。後はそれぞれの人が自分の持っている情報網を使い動き、もちろんそこここで声が寄せられての集大成が翌日曜の早朝6時発の15~16人のメンバー(豊里)の第 1陣となったようです。情報は土曜日の夜のうちに内部川にも春日山にも流れ、動きが作られて行ったのですね。さらに動きが広がったポイントは帰って来た第1陣の「案外おもしろかったよー」の声だったようです。一志の人自身が「やれるよーやれる!」と声が中からあがり火曜日は自分達だけで、なんなく出来たことも大きい。「着替えや履き替えの靴はどうしたの?」と聞いてくれる人がいて、過ぎてしまえば忘れてしまいそうな事も日頃から培われてきたことの顕れとして確認できた。いつでも手が差しのべられる実態があるんだという実感が大きかったと妙子さん。「よかったよかった、ばかりじゃなく、事故の検証もちゃんとしておきなさいね」と釘をさしてくれる人もいて、「一志がピンチ!」を追体験した面白い基本研でした。
一志Gでも今年の夏は養鶏法の流れで、内部川に楽園村の期間中、養鶏と生活へ4人を送り出しました。私も送り出したことで楽園村の交流会に出かけてみたくなり久しぶりに楽園村が我が事として視野に入ってきました。
その一方で送り出した後は猛烈な暑さがやってきて鶏への影響も大きく、対応にバタバタした一週間になり内部川ではいつもよりゆったり出来たと聞き、ちょっと複雑な気持ちにもなりました。送り出すについては決めていたところもあったかなと。
お母さん研で別海G の養鶏に敬子さんと入らせてもらったのも新鮮な体験でした。
敬子さんとは10年同じ職場でやってきたのですが、この別海で過ごした一週間のほうが濃厚でした。
敬子さんも「養鶏をやってきてよかった。こんな時直ぐに役に立つことが出来るし」との感想。
いつの間にか当たり前になっていた暮らしぶり、仕事のやり方にも揺さぶりを掛けられた感じがします。