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ヤマギシの村づくり2-(2)


脱皮

脱皮

ヤマギシの村づくり2-(2)

  • 実顕地づくり研、一堂に会することで齎されるもの
  • たえず脱皮し、新たなものを産みだし続ける源泉にふれる
  • どうしたらよいかは、本当はどうかという研鑽では全くなかった
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    新しい動きが始まっています。
    豊里ファームを通して「実顕地一つの動き」が実働してきたことから繋がって、1月に2回の実顕地づくり研鑽会開かれ、それぞれ各実顕地から80人以上の人が一堂に会しました。
    全国の実顕地(海外も)から寄るだけで、齎されたものが大きく、その後の余韻も未だに各地から伝わってきます。来月、それを受けて全国の生活部の人たちが集まる研鑽会が企画されているようです。
    今月の養鶏法研鑽会も多摩実顕地で開催され、産業・流通に関して何か新しい動きが期待されます。
    春日山でも、実顕地づくり研鑽会に参加した宮崎さんのつぶやきから、蔬菜の出荷場が実顕地の中心にある伊賀供給所の隣に移転することになりました。宮崎さんが「実顕地づくり研鑽会に参加する前は、仕組みとかそういうものに興味がなかった。研鑽会が終わって蔬菜部の出荷場を伊賀供給所の隣に移転する事がとてもやりたくなった。それもただ単に蔬菜部が移転したとならない動きを作りたくなった」と話しているというのを聞いて、私は頼もしい若い人が育ってきたなあと感心すると同時に、全国から集まって研鑽会をすることの意義を感じました。
    私自身も、13年間やってきた養牛部から学園部に変わることになりました。
    私は牛が好きで、今までのどの職場より私に合っている職場だと思っていたし、80歳くらいまでは牛の仕事がしたいと思っていました。最近、養牛部では若い人たちが育ってきていて、そういう若い人たちと一緒に仕事ができることは嬉しいし楽しいことなのだけれど、私がいないほうが若い人たちはさらに飛躍できるのではないかなどと考えることが多くなっていました。
    そんなこともあり、職場を変わったらどうかと言われたときは、すんなりハイと言えました。それまでは、「私が変わったほうが若い人が飛躍できるのでは」と思いつつも、自分からはなんとなく放せない感じがあったのですが、実際に放してみたら、先が広く明るくなったような気がしました。
    ところが、私が職場を離れてから「養牛部にも新しい動きが出てきて面白くなってきているようだ」などという話を耳にすると、「ん?やっぱり私がいなくなったほうが良かったということなの・・・?」と、そうなることを望んでいたはずなのに、矛盾した何か寂しさのようなものが出てきました。こういう気持ちは何なんだろう・・・?でも、私が抜けることで確かに新しく動き始めている職場。そこを放して、私自身も新しい動きに身を投じよう!
    これからは子どもたちと一緒にやっていくことになりますが、どんなことが待っているか楽しみです。「できることなら、子どもたちの一番の味方(?)になりたいな。」などと夢がふくらんでいます。

    【春日山実顕地 研鑽部 柳 順】

    2014年春日山研鑽テーマ

    2013年春日山研鑽テーマ