研鑽学校3の最後の一斉作業で、阿山実顕地で開催されるお正月特講の準備が進められました。
自分が、一体観に立つのか!初めてそのことがスッと入ってきた。
春日山では12月はこのテーマでやっていくことになりました。
美里で取り扱っている急須を提案したところ、「ある物でどうですか」と返ってきました。
玉ネギ定植から重なり合い、温かい空気を共有して広がっている世界を感じあいました。
伝える私に私意はないと思ってたけど、よく見たら...[第1618期ヤマギシズム研鑽学校交流研]より
実顕地づくりは人だと思う、普段職場で何人かの人で、「ああじゃないかこうじゃないか」とやっていくことが楽しみだ。
「尊重」に想いをはせようと意識したわけではありませんが、公意行はとても楽しいものでした。
「自分の私意を尊重する為に私意を出すことだと思っていたが、どうも違うようだ」
集中研で出し合う中、何かしら心が温かくなる二日間だったように思います。
ちょっと角度を変えてみたら違う見え方ができるかも・・・
春日山でやっているテーマを紹介してきましたが、10月は次のようなテーマで研鑽していきたいと思います。
「そうか、今度は幼年ねー」てなもんです、といかない心の動きはそれこそ微妙です。
「一生かけてのこの芝居」大根役者ではありますが、一緒にやらせてください。
どこか遠くにあった「私意尊重」が、急に手元にやってきたような感じがする。
『金の要らない仲良い楽しい村』の看板の中身はなんなんだろう。
離れた中で暮らす私たちが、、のびのびとそのまま出すことで、本質に繋がるような場にできないかな・・・。
平島さんの話は、聴けば聴く程、私意の「行きたい」という方向しかないということが見えてきました。